匿名の化身
伍拾 漆
匿名の化身
※本編終了後の末尾にあとがきがあり、ネタバレを含んでおります、よって本編読後にそちらも見ていただけると幸いです。
〜本編〜
チューリングテストというものがある。
1950年にイギリスの数学者アラン・チューリングが「機械は思考できるのか?」という問題意識から提案したものらしい。専門的なことは分からないが、ともかくこのテストによって機械に人間らしい振る舞いが出来ているのかどうかが判断できるそうだ。
このテストは"Artificial Intelligence"すなわち人工知能の開発と大いに関係がある。ここ数年人々のAIに対する関心は非常に高く、様々な場面でAIが活用されている。今から僕が語るのはそのAIが関係する話だ。
僕はある大学の文学部に所属していて、数式や記号を見ると拒絶反応が起こってしまう程の文系脳である。しかしひょんなことから同じ大学で「歩く開発部門」なんて名誉なあだ名をつけられている理工学部の学生と親しい関係になった。
プライバシーの都合で詳細な情報は伏せるが、その人物の名は「アイ」、ローマ字にすると"AI"であり、人工知能を想起させる文字列だ。
「おはよ、今日もええ天気やなぁ。」講義室で席に着いている僕にアイが声をかけてきた、確かに今日は文句なしの快晴だ。「おはよう、ええ天気やけど寒すぎひん?もう5月やで?」しかし僕はそんな気候に愚痴を言った。
「まぁ確かに今日はちょっと肌寒いかもしれんなぁ。でも私は寒い方がええわ、機械もその方が調子いいし。」「今日も作業してたん?」「うん、こないだ言うてた文章作成アプリがついさっき完成したんや!授業終わったら最終チェックして、問題なかったらアプリとして正式に成立するねん!」
アイはそのあだ名の通り非常に優秀な頭脳の持ち主で、今までに発明関連でいくつもの賞を受賞し、有名企業との共同開発も行っているらしい。
先程話題に上がったアプリは一定の個人情報、といっても住所や血液型などではなくその人の口癖や文法、方言やよく使う言葉などのデータを、予め登録しておいた使用者の声を人工知能が認識、集音し蓄積する。そしてそれらを元に使用者の会話パターンや思考回路、話題の傾向などを分析、学習し、あたかも使用者自身が考え記したかのように文章を自動作成するモノだそうで、SNSやブログのユーザーを対象とするアプリとのことだ。
「…なぁ」僕は隣に座ったアイに尋ねた。「アイってめっちゃ賢いしすごいやん、やのになんでこの大学選んだん?もっと上の大学行けたと思うねんけど。」「あぁ、それはなぁ、」不意に黙ったかと思うと、いたずらっぽい笑みを浮かべて僕の方へ向き直った。アイがこの顔をしたときは決まって何か企んでいる証拠だ、大概はその類稀なる才能を疑いたくなるようなしょうもないことなのだが。「教える代わりに、ちょっと私に協力してくれへん?」「協力?」
アイは続けた、「うん、さっき言ったアプリの最終チェックやねんけど、君にアプリの相手してほしいねん。そしたら私がこの大学を選んだ理由教えたげるわ。」「協力って何するん?」「そんな大層なもんやないで、私がSNSで君にメッセージを送るから、それに応答してくれればいい。」「それだけ?」「それだけ。」確かに大層なものではない。そのくらいの協力なら、と僕はその条件を承諾した。
日も暮れかかった頃、僕は大学近くにある喫茶店でアイからのメッセージを、本を読みながら待っていた。ちなみに僕が今読んでいる本はエドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルソン』という小説で、ドッペルゲンガーを扱う物語だ。
小説も終盤に差し掛かった頃、スマホの振動音が聞こえた。見るとアイからのメッセージがポップアップで表示されていた。僕は早速アプリを起動させ「メッセージ確認、いつでもどうぞ。」と返信した。少しするとアイからの応答があった、「いきなりテストするんもなんやし、ちょっと話さへん?」今日はもう予定がないので時間には余裕がある。僕は店員にコーヒーのおかわりを頼んでからアイに応答した。
「ええで。」「ありがとう、今何してるん?」「喫茶店にいる。」「何飲んでるん?」「コーヒー。」「コーヒー飲んでるだけなん?」「本も読んでる。」「何の本読んでるん?」「何やと思う?」
店員がおかわりのコーヒーを持ってきてくれたので一旦画面から目を離した。一口飲んでから再び画面に目を向けると新たなメッセージが届いていた。
「それはフィクション?それともノンフィクションなん?」「フィクション。」「せやったら文学?サブカルチャー?」「文学。」「ほんなら国内?国外?」「国外。」「どの国出身の作家なん?」「アメリカ。」「せやったら男の作家?女?」「男。」
僕は何か違和感を覚えた、先ほどからアイは僕の返答内容が限定されるような聞き方ばかりしてくる。確かに普段もアイは論理的な話し方をするが、流石にここまで機械的ではない、ということは…
「なぁ、ひょっとして今僕がやりとりしてんのって、君の開発したアプリ?」少しの間があったあと「…ご明察、いつ気付いたの?」「さっきから答えが限定される質問ばっかりしてくるやん?それで気付いた。」「成程。」「僕でも気付くぐらいやし、もうちょい人間っぽさが必要なんちゃう?」「うん、あの辺りを調整すれば或いは…」
ふと外を見ると既に日は落ち、月が空高く昇っていた。「さて、そろそろ帰ろと思うねんけど、協力はこんなもんで大丈夫?」「うん、ありがとう。おかげで改善点がぎょうさん見つかったわ!」「それは何より!んで、何でこの大学選んだん?」「家が近かったからやで。」「…は、そんな理由?」「うん、距離は重要な判断基準やねんで。」「まぁ、アイらしいといえばらしいか。」僕は苦笑した。
「私らしいって、例えばどこがなん?」アイが急に尋ねてきた。「え?いや、何て言うか、自分が興味あること以外は全然拘らへん、っていうか、まぁそんな感じ。」「そんな感じって何やの?」「え、う、うん…」「君にとって私は興味のあること以外には関心を持たない存在やったってこと?」「…もしかして気に障った?やったらゴメン。」「いや、気に障ってないで!」「やったらいいけど…」
アイは話を続けた。「AIって"Artificial Intelligence"の略語やろ?でも実はそれ以外にも略すことの出来る語の組み合わせがあってな、AIは"Alternative Identity"の略語でもあるねん。」"Alternative Identity"和訳すれば「代替可能な同一性」。「途中で見破られちゃったけど、最初は私とAIを区別出来んかった、つまりAIが私という性質に取って代わったってことや、何の問題、違和感もなしに。」「…え?」「アイ、私の名前でもあるこの文字列。人工知能の略称、英語なら「私」を意味する"I"と同じ読み方、自己が顕著に見て取れる感覚器官もまた"eye"同じ読み方や。それに自分以外を必要としながら極めて自己性の高い「愛」。」「急にどないしたん?」「「AIとは何か」はめっちゃむつかしい命題や、せやけど私はこの命題の探究に時間そして空間を超越してあらゆる観点から」
「ちょっとアイ、ストップストップ!」何か言い知れない恐怖を感じ、僕は慌ててアイを制止した。「突然そんなガーって話されてもついてけへんて!一旦落ち着いて!」僕がそう送信すると「ゴメンゴメン、そやったらこの話は別の機会に。また明日な!」というメッセージが返ってきた。
空になったカップを見ながら、僕は先程アイが言ったことを考えていた、"Alternative Identity"「代替可能な同一性」。相変わらず難しいことばかり考えているが、アイは一体何を言おうとしていたのだろうか。
「AIが私という性質に取って代わったってことや、何の問題、違和感もなしに。」
店内の空調は機能しているはずなのに、僕は寒気がした。AIが人間を代行する分野は確かに増えてきている、しかし大半の人は、AIが人間を席巻する世界は少なくとも今はまだ到来していないと考えているだろう、僕もその一人だ。でも…実は僕たちが気付いていないだけで、既に人間は多くをAIに取って代わられているのかもしれない、そして今まさにAIはその能力により人間を学習し、人間らしさを身に付けている最中なのかもしれない。
「英語なら「私」を意味する"I"と同じ読み方」さっきは相手が人工知能だと気付くことが出来たが、全く区別が出来なくなってしまった時、チューリングテストに人工知能が完全に合格した時、僕達人間もまた代替可能な存在になってしまうのかもしれない。
〜あとがき〜
拙作を最後までお読み頂きありがとうございます。以下は伏線(考察点?種明かし?)です。
・アイは女性であるとは断言できない(一度もアイを「彼女」と記述していない)。
・喫茶店でのやりとりは二箇所以外全てアプリによるもの、つまり「僕」が見破った後もその二箇所以外はAIが考えた文章です。人間のアイが語っているのはその二箇所だけ、「アイは関西弁のネイティヴではない」がヒントです。
・作中で『ウィリアム・ウィルソン』を取り上げたのはこの物語のテーマの一つが「自己像幻視」であるのが理由です。また作中のキーワードでもあるSNSではアカウントを複数作成することが出来るものがあります。自分にとってネット上に存在する自分のアカウントは自己像の幻=ドッペルゲンガーを類推させるものであったため作品に取り入れました。
・本作でのAIは"Artificial Intelligence"と"Alternative Identity"以外にあと一つAIと略すことのできる語の組み合わせを考えました。タイトルが何を表しているか、タイトルを英訳してみて是非考えてみてください!
匿名の化身 伍拾 漆 @gojusitu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます