ぼんじり

凡imi

第1話

金曜の夜は客入りが多くて、油まみれに拍車がかかるわけよ。



だから、炭火焼き鳥ムスビの店名が背中に白でプリントされた黒Tシャツの袖を肩まで捲って、生中を片手に3ジョッキずつ握って運んでる時に、彼女連れて来るのは反則だと思う。



「いらっしゃーせ!」


とびきりの作り笑いで迎えて、汗だか油だかでテカったおでこと鼻の頭が悲しさを増してる気がした。ちっちゃいバッグを両手で持って、ハルトの後ろについて店に入って来たノースリーブの彼女の細い腕を見て、私は伝票を取りに戻ったカウンターの影でそっとTシャツの袖を下ろして、肩で鼻とおでこをぐいと拭いた。



「生中ひとつと、烏龍茶、トマトサラダとねぎま、鶏皮、ぼんじり、せせり…あれ、彼女トマト苦手じゃなかったっけ?」


注文を繰り返す途中で聞いて、やらかしたことにすぐ気づいた。トマトが苦手なのは、前の彼女だ。



今カノは気分を害して帰ってしまった。


「ごめん…ハルト。追いかけなくて大丈夫?」


私が伝票を両手のひらで挟んで拝むようにして謝ると、


「まあ、あの調子じゃ追いかけても話聞いてもらえないだろうし、ちょっと時間あけたら落ち着くと思うから、とりあえずメッセージ送っとく。生中一杯で許してやるよ」


ハルトは左手で頬杖をついて、右手でスマホ操作して、彼女に短いメッセージを送ってスマホをテーブルに伏せた。



生中のジョッキとやみつきキュウリをハルトの前に置いて、私は目を閉じて深々と頭を下げた。


「まずはこちらを、お納め下され。ぼんじりも今焼いてもらっておりまする…」


「うむ。苦しゅうない」


ハルトの手のひらが私の油まみれの私の頭を優しく撫でた。


私はハルトの優しいところが好きだ。だけど、同時に優しいところが嫌いだ。



結局ハルトは私のシフトが終わるまで店にいた。着替えの前にハルトの会計をしようと店長に声をかけたら、私が他のお客さんの相手をしてる間にハルトは会計を済ませたと聞いた。


着替えてる時、ハルトのくせに何だかっこいいことしやがってって思って、うれしいとくやしいと恥ずかしいのが、わちゃわちゃになって、気持ちをおさめるのに、30回スクワットした。



ハルトとは家が近所で、小中高と一緒で、たぶん親友って言っていいと思う。お互い地元の大学に進学して、実家暮らしのままだから、大学は違うけど仲は続いてる。



自転車を押しながら、ハルトとふたりで夜道を歩く。


「今度の彼女はえらく短気だね。てか、前カノと雰囲気似すぎだし。好きだねえ、色白で華奢ぁーーな小柄女子」


「ヒナもなあー。昔はちっこくてかわいかったのになあ…。今はヒナというよりゴリ…」


私はハルトのお尻に蹴りを入れて、言葉を遮った。


「嫁入り前のうら若き乙女にゴリラはアウト!!」


「ぐおお!筋肉質な足から繰り出されるキック、半端ねえ!」


自転車のハンドルを右手で握って、左手でハルトの右肩にグーパンチを繰り出したら、前かごに入れた荷物が重くてバランスを崩して自転車が右側に大きくぐらついた。


ハルトが咄嗟に自転車のハンドルと右側に自転車ごと倒れそうになった私の体を支えた。



何年も何年も一緒に過ごす時間があったのに、こんなにも近づいたのははじめてかもしれない。こんなことなら、もっと念入りに汗ふきシートで体を拭いておくんだった。



「ふははっ!炭火焼き鳥のにおい!!ヒナの焼き鳥!!」


ハルトが笑って体を離して、自転車の傾きをなおして、私の油まみれの頭をワシャワシャとちょっと乱暴に撫でた。


私は下を向いて目を閉じて大きく深呼吸した。



好きが溢れでそうだ。好きが溢れでそうだ。好きが溢れでそうだ。


筋トレしたり、目を閉じて大きく深呼吸してやり過ごすのもちょっと難しくなってきた。



自分自身へのごまかしがきかなくなってきてる。


ハルトのくせに。ハルトのくせに。



あの色白で華奢な彼女をハルトはどんな風に抱きしめるんだろう。



そんなこと考えたくもないのに、頭に浮かんでしまって、自転車の後ろの荷物置きにまたがって地面を蹴って深呼吸を繰り返しながらわざと無理な体勢で自転車を進ませた。



「また倒れるぞ、チャリ。何入ってんだよ。その重いリュック」


「店長が田舎からたくさん送ってきたからって、リンゴいっぱいくれたの。詰めれるだけ詰めた」


自転車を止めて、リンゴでパンパンのリュックを開けて見せた。


「いや、雑!」


「だって、店長、段ボールで持ってけって言うから。さすがに重すぎだし、分けて持って帰ろうと思って」


「店長、ヒナのこと気に入ってるよなあ」


ハルトはリュックの中を確認して笑って、そのまま私の自転車を押し出した。



自転車を押すハルトの少し後ろを歩く。


「…いい加減、私のバイト先でデートすんのやめなよね」


「俺はムスビのぼんじりが大好きなんだよ。それに彼女には大好きな親友と仲良くなって欲しいし。一石二鳥だろ」



こんな風に一緒にいられるのは『親友』だからだ。だけど、もしかしたらなんて淡い淡い期待も『親友』って言葉がぺしゃんこに潰しにかかってくる。



「あのねハルト、ぼんじりが好きだ。みたいな、そんな好きは欲しくないんだよ」って言って後ろから抱きついてやったら、どんな反応するだろう。



出来もしない想像の中ではハルトの反応までは想像出来ない。私の恋の障害は、ハルトに彼女がいることなんかじゃなくて、『親友』なこのポジションを手放せないチキンな私自身なんだと思う。



右腕を曲げて自分のにおいを嗅いで、油まみれの前髪を指先でいじる。



とりあえず新しい汗ふきシートを買いに行かなくちゃ。

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ぼんじり 凡imi @bon60n

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