炭の向こうへ

ナナシマイ

 彼の名前は知らない。うちの店の常連さんで、いつもお友だちやら仕事仲間やらいろいろな人を連れてきてくれるけど、そのたびに違う名前で呼ばれているから。

 私はなんの捻りもなく心のなかで「常連さん」とだけ呼んでいる。

 別に問題はないと思う。小娘ひとりの店がそう簡単に繁盛するわけなくて、常連さんと呼べるような人は彼しかいないのだ。それより、まだ小さな弟たちを養うために始めた一見さんばかりのこの店で、一、二週間に一度くらいのペースで来てくれる彼の存在感の大きさといったら……!

 そもそも常連さんは素敵人間がすぎる。

 お友だちとの会話で気が抜けたようにへにゃへにゃ笑っていたと思ったら、次の週にはびしっとスーツをキメて私にはてんで理解できないようなお仕事の話をする。その合間に私が串打ちをして、私が焼いたヒンニャージ鳥をひと口、またひと口と美味しそうに食べるのだ! ちらりと見える八重歯がもうたまらなくって、私、生まれ変わるならヒンニャージ鳥になりたいとすら思う。国が定めた基準をはるかに上回る環境で育てられるのだから、不自由はないだろうし最終的に彼が食べてくれるのならアリアリのアリだ。

 今どき現金払いというのもなんか粋な感じがするし、一杯目は必ずヨォゾのサワーを頼んで、それからエーリャのメニューを見始めるところなんてすごくすごく可愛い。

 ……あぁだめだめ、開店前からこんなに興奮していたらヒィマ鳥の鳴き声が大きくなっちゃう!

 私は邪念を振り払うようにほっぺたをパシンと叩き、丁寧にカウンターテーブルを拭きあげる。もちろん毎日丁寧にやっているけど、そろそろ彼が――

 ――カランコロンカラン。

 なんてタイミング! この扉の開きかたは常連さんで間違いない。チョッパヤで髪の毛を整えて押し付けがましくならない程度の笑顔を作る。

「こんばんは。二人だけど、空いてる?」

 予想通り、お待ちかねの彼が顔を出してひょこりと指を二本立てた。ついでにやわらかそうな薄茶の髪も揺れる。あのラフな感じ、触りたい――じゃなくって、お連れ様はお友だちかな。とにかく、今夜は心踊る時間になることが確定しました。ありがとうカミィ様。

 さあ。息を吸って、さわやかに!

「……ぅぞ」

 ああああ違う! 話が違うよ私! なにが「どうぞ」よ、ここは明るく「いらっしゃいませ!」でしょうよ?

 だけど常連さんは不愛想な接客を気にすることなく嬉しそうに入ってくる。それも店員である私が身に着けるべきさわやかさを身にまとって。煙の溜まりがちなこの小さな店に初夏の風が吹き込んだみたいだ。

 彼のあとについて入ってきたのは常連さんに似た薄茶の髪の青年。興味深そうに店内を見回す姿がさわやかだ。今日はさわやか祭なのかもしれない。カウンター席しかないのだから彼らが目の前に座るのは当然のことなんだけど、なんだけど……うう、横並びの笑顔が眩しすぎる。拝んでもいいかな、だめだよね。

 とりあえずホカホカのおしぼりを渡す。気分でボァラの花の香りを付けてたけど、ヨォゾの皮のほうがよかったかも。

「兄さんがこんな行きつけを隠していたなんて」

「にっ……」

 兄さんですって⁉ ってことはなに、私、とうとうご家族に紹介されちゃった? 今日は記念日だ。あとでカレンダーに丸を付けておこう。

「……に?」

 常連さんが楽しそうな笑顔で聞き返してくる。恥ずかしい。

「に、二名様ですね」

 わかりきってる言葉とともに注文をとるためのペンと紙を用意する。こちらがお客様の家族構成を気にするなんてもってのほかだ。あくまでも店員とお客様、という姿勢を崩さない。

「ん、こっちは僕の弟」

「カイマです。よろしくね」

 って、本当に紹介されちゃった! 弟さんはカイマさん。常連さんの名前は知らないのにね。……聞けないけどね。

「でとりあえず僕はヨォゾサワーと、あとシリラの浅漬けも。……カイマは?」

「僕はコーヨ産のエーリャにしようかな」

「じゃあそれで」

「……へい」

 私が小さな声で返事をすると、常連さんはクスリと笑ってからカイマさんにメニューを渡す。この店に慣れた余裕のある感じがまたいい。

 彼らがメニューを見ているうちにサワーとエーリャの用意をして、カウンターに出す。「乾杯」の声を聞きながら作り置きしてあるシリラの浅漬けもお皿に盛りつけて出す。そしてペンを持つ。

「追加いい? まず串がここからここまでタレで二本ずつ、スジの赤ウォナ煮込み、ペテヒー、ママモ焼き……あとなんだっけ」

「ルシイの酒蒸し」

「そうそう。以上で」

「……へい」

 また常連さんが笑うのが恥ずかしくって、私はその視線をさえぎるように頭上のレバーをガコンと引いた。上から四角くて高温の機械が下りてくる。

「おおお、こんなの置いてあるんだ。すごいね」

「ね。より美味しくなるのはもちろん、焼いてるところも見やすいし」

 そう。なんとこの店、最新の炭焼き機を使っているのだ。しかも仮想ショップじゃなく直営店へ足を運び実物を見て選んだ物。どうせ目の前で見られるのなら楽しく見てもらったほうがいいと思って奮発したのは大正解だった。

 彼が喜んでくれていたと知れるなんて、今日は本当にいい日だ。丸じゃなくて花丸にしておこう。


 頼まれた料理をバランスよく出していき、さわやか青年たちの前で串を焼き、そのあいだに二人は三回もお酒をお代わりしてくれた。家族といることでくつろいでいるのか、いつもよりほわほわした雰囲気で可愛い。

 そしてだんだんと食事より会話がメインになってきて、カウンターに残っている食べ物は煮ママモだけだ。

「そろそろ――」

 そろそろ会計かな。残念だけど、こればっかりは仕方がない。

「ココロをもらおうかな」

 ヒュッと息が吸い込まれるのと、カイマさんが「このタイミングで?」と笑うのは同時だった。

「うん、いつもは最初に頼むんだけどさ。なんとなく、ね」

 常連さんはチラリとこちらを見て、それから小さく唇を舐める。

「彼女のココロはすごく美味しいから」

 ……落ち着いて、私。いや、今日は頼んでくれないのかな、とか思ってたけどさ。彼がハツをココロと呼ぶたびにドキドキして、そう呼ぶ地域もあるんだからって、でもせっかくなら心を込めて焼こう、なんなら私の心ももらって欲しい、なんて考えてたけどさ。本当、タイミング!

「へぇ、じゃあ僕ももらおうかな」

「それは駄目」

「「え?」」

 またもや私とカイマさんの反応は同時だった。常連さんはカイマさんの注文を拒否してから一瞬しまった、という顔をして、それから私に向かってニコリと微笑む。

「ね。ココロモト、あるよね?」

 私は頷く。ハツを仕入れていればハツモトもあるのは当然だ。

「僕がココロでカイマはココロモト。くっついてるものなんだから、余らせたら申し訳ないでしょ」

 そんなことを考えてくれるなんて、優しすぎる。

「わかったよ。ええと、これもタレがいいのかな」

「だね。ハ……ココロは塩で」

「……へい」

 ハツからハツモトを切り分け、それぞれ串に刺していく。特にハツのほうは焼いたとき広がりすぎないよう丁寧に折り込みながら。

「どうして塩なの?」

「彼女のココロならそのままでもいいくらいなんだけど、さすがに、ね」

 軽く塩をまぶし、両手の指で串を挟む。すっと炭焼き機に掲げれば、四つの瞳がこちらを向いた。

「兄さんはこの店の常連なんでしょ」

「いちおう。そろそろ全部もらおうかなとは思ってるよ」

「まだなの?」

「まだだねぇ」

 優しく撫でるように串を滑らせる。炭の熱が少しずつココロに伝わってゆく。

 私の気持ちも伝われ……と念じておく。

「駄目だなぁ兄さんは。あと何回くらいの予定なの? ちゃんと考えてる?」

「そんなのわからないよ。ほら、変わることだってあるし」

 ピラピラと常連さんが仰いだメニューから風が起こり、炭がほんの少しだけ爆ぜた。右手に持った串をタレ壺につけ、また戻す。

 じりじりと表面が焦げて脂の匂いが混ざる。まだ、まだだ。

「でもココロは絶対欲しいんでしょ」

「そりゃそうだよ。彼女のココロは僕に元気をくれる。だからこそ大事にしたいんだ」

 ああ、もう焼けてしまった。焼いてしまった。

 小皿に乗せて二人の前に出すと、常連さんは嬉しそうにハツの串を手に取る。そして軽く口を開けたところで私は慌てて目を逸らした。

 今日はなんというか、彼がハツを食べるところを直視できなかったのだ。


「今日も美味しかったよ。また来る」

「僕も楽しかった」

 お釣りはいらないと渡されたお札を握りしめ、頭を下げる。

「……ぁっ、した」

 ありがとうございましたあああああああ!

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