焼き鳥屋の一角
家宇治 克
第1話 焼き鳥
「つ、疲れた……」
今日は職場で散々な目に遭った。
取引先に送ったデータが間違っていたり、上司の機嫌が悪くて八つ当たりされたり、新人が間違えて消したデータを復元したり、それを修正したり……。
「もうヘトヘトだよ……」
啓太は肩を強く揉みながら、居酒屋の前を歩く。
たまには酒でも呑んでいこうか、なんて開けっ放しになった戸から店を覗く。
けれど、どこもかしこも満席で、入れそうになかった。
ちょうど、目の前で焼き鳥屋がネオン看板のコンセントを差した。
店先にのれんが掛かり、看板娘が戸を開ける。
啓太はそのまま、店に入っていった。
「あの、一人ですけど」
「いらっしゃいませ! えぇ、どうぞ。好きなところにお座りください!」
居酒屋独特の元気な声に、啓太は背中を押される。
カウンターの隅に座ると、看板娘はお水とおしぼりを出した。
「ご注文お決まりなら、お声がけください!」
太陽のような笑顔が、啓太の疲れを吹き飛ばした。
何を頼もう。まずはつくねか、とりももか。
タレもいいな。でもやっぱり塩がいいか。
啓太は悩みながら、看板娘に注文した。
「つくねととりもも1本ずつ。塩でお願いします」
「はい! ありがとうございます!」
看板娘は注文を受けると、カウンターに入り、テキパキと焼き鳥を準備する。
啓太はてっきり、他の店員がやるのかと思っていた。
看板娘はうふふ、と笑った。
「男の店員さんが、焼き鳥を焼くと思っていたでしょう?」
「え、あっ、いやその……」
図星をつかれて、上手い言い訳が出てこない。啓太は「すみません」と白状した。
看板娘は笑って許してくれた。
「いいんですよ。居酒屋は大体が男の人が営業してますし、女はスナックが主流ですから」
「焼き鳥屋さんは、あんまり見ないですもんね」
看板娘は「母の店なもので」と言った。
彼女は炭の上の焼き鳥を回しながら、話をした。
「焼き鳥が好きなんですよ。というか、焼き鳥屋で話をするのが」
彼女の母は、カウンターでお客さんと話をするのが好きだという。
焼き鳥を焼いて、それを食べたお客さんの口が緩んで、色々話してくれるのだと。
景気の話や政治の話はもちろん、最近の流行りや家族の心配事。それらを聞いて、話を広げて、最後にお酒を流して終わる。
その一連が好きなのだそうだ。
「店を任されてから、私もそれが好きになって」
「じゃあ、お母さんは……」
「海外旅行行ってます」
「あっ、そうですか……」
恥ずかしい。
啓太は顔を赤くする。
啓太がお水を飲み干すと、ちょうど焼き鳥が手前に置かれた。
「つくねと、とりももの塩です!」
啓太は早速、とりももに手をつけた。
熱々のとりももが、口の中に転がる。
ぷりぷりの肉に塩がいい塩梅で、さっぱりと食べられた。
肉に香りつけられた炭が、いいアクセントになっている。
次はつくねだ。
はぐ、と噛めば、軟骨が入っているのかコリコリとした食感で、歯ごたえが良い。
刻んだシソが、いい味を出していて、いくらでも食べられそうだ。
なるほど、これは確かに緩んでしまう。
啓太は追加で焼き鳥を頼んだ。
皮にぼんじり、ネギまにレバー。
塩もタレも両方楽しんで、ビールで口の中をリセットする。
酔いが回ってくると、啓太は看板娘に仕事の愚痴をこぼした。
「……今日は、全然上手く行かなくて。上司の機嫌悪いし、データ間違って送るし、新人はデータ飛ばすし」
全部片付けるまで帰れず、結局この時間だ。と言えば、看板娘は「大変でしたね」と励ましてくれる。
「うちに来る会社員さんたちも、失敗して落ち込んでたり、いい事あったりで様々ですよ」
「んふふ、本当に今日はどうしたんだってくらい、忙しくて。それで失敗したのかなぁ。ミスが出るわ出るわで笑えてくる」
「客観的に見られるなら、次の失敗は防げるでしょう?」
看板娘は、啓太の注文を次々とさばきながら、啓太におかわりのビールを提供する。
啓太は赤い顔で、ビールを呑んだ。
「でも、失敗しないに越したことはないでしょ?」
看板娘は追加の焼き鳥を出した。
塩とタレが混ざらないように、皿を分けるところが、気配り上手だ。
「失敗してもいいじゃないですか」
「完璧な人間はいないから?」
啓太が自虐的に笑うと、看板娘は「そういう日だから」とやんわり訂正する。
「失敗しやすい日と、失敗しない日があるじゃないですか。失敗するのはそういう日だってことでしょう? いいじゃないですか。今日は『おっちょこちょい日和』だとでも思えば」
その『おっちょこちょい日和』がおかしくて、啓太は笑った。
看板娘は気にせず焼き鳥を焼き続ける。
「おっちょこちょい日和ねぇ」
「そうです」
啓太は焼き鳥をビールで流すと、会計を済ませた。
思った以上に食べていたようで、すっかり財布が空になった。
でも不思議と、「使いすぎたな」なんて落ち込まない。
「……なるほど。確かにこれは良いや」
啓太が店を出ると、他の店から流れてきた客が、あの焼き鳥屋に入っていく。
また今度、あの焼き鳥を食べに行こう。いつにしようか、どうしようか。
啓太はふふ、と笑って家路についた。
酒のせいもあってか、それはそれは軽い足取りで。
焼き鳥屋の一角 家宇治 克 @mamiya-Katsumi
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