【KAC20226】焼き鳥屋おちょん

リュウ

第1話焼き鳥屋おちょん

 今は、金曜日の18時。

 僕はまだ仕事をしていた。

 部長の急な命令だった。

 いつものことだが、よりによって今日だとは。

 今日は、彼女とのデートのはずだった。

 仕事でずーっと伸ばしてきたデートなのに。

 やっぱり、怒っているよね。きっと……。

 だって、LINEの返事が返ってこない。


 帰り際、部長が僕の席の前に来ると、

「メール送ったから、書類作って送り返してくれないかな」

「今日は、ちょっと、用事があって……」

と、僕は、断ろうとしたけど。

「何言っちゃてんの。仕事があるだけ、有難いと思わなきゃ。

 ”仕事”無くて困ってるヤツは、沢山いるんだよ」

「でも、今日、彼女とのデートなんです」

「ああっ、デートか?庶務のミキちゃんか?」

「何で知っているんですか?」

 僕は、慌てて部長を見上げる。

 部長は、ニヤッと口角を上げた。

「やっぱりか?引っかかったな。

 ミキちゃんか、良い娘に目を付けたな、お前は」

<しまったぁ>

 その言葉に僕は唖然としてしまった。

「心配するな、しゃべらないからさ。

 ちゃちゃと済ましちゃいな。お前ならすぐ出来るよ

 あっ、それと来週予定入れてないよな。

 俺と外回りのデートだからな」

 と、僕の肩をポンと叩くと「お先に」と帰ってしまった。

 何を言っているのだ。

 そんな簡単に終わるのなら自分ですればいいのに。

 と、いう言葉を飲み込んでメールを開いた。

 ザーッと目を通す。

 22時には、帰れるな。と仕事を始めた。

 彼女から、まだ、返事が来ない。


「終わったぁ」

 僕は、”送信”ボタンをクリックした。

 時計は21時半。

 まだ、返事が来ない。

 と、思った時、部長からメールが来た。


 お疲れ様。

 メールありがと。

 さすがに、君は仕事が早い、完璧だ。

 ちょっと、付き合え。

 おちょんで待ってる。

 絶対来いよ。部長命令だ!


 完全、パワハラじゃないですか、これは。

 僕は、仕方なく”おちょん”へ向かった。

 ”おちょん”は、ガード下の小さな焼き鳥屋だ。

 部長は、この焼き鳥屋が好きで、時々連れて行ってくれた。

 繫華街から横道に入り、薄暗い路地を進む。

 電車の音が聞こえるけど、古き良き時代というところへタイムスリップしているようだ。

 古ぼけた赤ちょうちんが場所を知らせていた。

 ちょっとガタついた引き戸を開ける。

「いらっしゃい!」

 店の奥から、声がかかった。

 見渡すと部長が一人で座っていた。

 こちらに顔を向けると、軽く左手を上げ、ここに座れと指さした。

 僕は、店のおやじにちょこんとお辞儀をして、部長の横に座った。

「適当に頼みな、焼き鳥は大将に任せている」

 店主は、”大将”やら、”おやじ”やら、客の好きなように呼ばれる。

「はい」と言ってビールジョッキーを渡された。

「カンパイ」部長とグラスを合わせた。

 部長は、既に冷酒に移ったようだ。

「おまえは、いいなぁ。

 今じゃ、酒に誘ったってくるヤツなんていない世の中なのに、

 お前は、来るとな」

「あ、俺、部長に拾って貰ったんで」

「そうか、お前、中途入社だもんな。前より良くなったか?」

「ええ、全然いいですよ」

 そうかと部長が微笑む。

「ここ店いいだろ。こじんまりとしていてさ。

 気を使わなくていいというか、家にいるみたいな」

「僕もここ好きです」

「この店、”おちょん”って言うんですね」

「”おちょん”って、舌きり雀の名前さ」

「そうなんですか」

 僕は、大将を見た。

 大将は、頷いて話してくれた。

「私は、若い時は何もかもうまくいかなくて。

 特に会社勤めが嫌でな。

 あ、部長とは、同期入社なんだ。

 あの時は、すごく忙しくてな残業残業の毎日でさ。

 何の為に生きているか分からないくらいだった」

 部長も話に加わった。

「体を壊さないと一人前と見てもらえなったもんな」

 そうなんですかと僕は相づちを打つ。

「彼女にも愛想つかされてさ、生きるのも嫌になったんだ」

「こいつ、死のうとしたんだぜ」と、部長。

「そん時、こいつが死んだと思えば何でもできるって、

 この店を開くことにした。

 資金もこいつが工面してくれた。

 命の恩人だ。

 今、こいつの愚痴を聞いて恩返ししているのさ。

 舌きり雀と同じだろう」と、笑った。

「でも、彼女は帰ってこなかった。いい女だったなぁ」

と、大将は天を仰いだ。泣いてるように見えた。

 その時、僕は、部長と巡り合えて良かったと心から思った。

 僕も部長に面接して貰って、この会社に入れて貰ったからだ。

 でも、まだ彼女から返事が来ない。


「いらっしゃい!」

 大将の声につられて、入口に目をやると。

 それは、彼女だった。

 僕は、驚いて声がでない。

 ミキちゃんだ。

 彼女は、部長にお辞儀をして、僕の横に座った。

「来ちゃった、部長命令だって」

 彼女は嬉しそうだ。

「大将、勘定は俺に付けといてくれ」

「あいよ」

 大将は、返事をしながら焼き鳥から目を離さない。

 でも、口元は笑っている。

「あっそうだ。

 お前、明日から火曜日まで休みだから。

 有給、余ってたから勝手に申請しといた」

 と、部長はのれんをくぐっていった。

 彼女は、ねえ、ねえと僕にくっついてきた。

「部長がね、これくれたの」

 ミキがバックから取り出したのは、ペアの旅行券だった。

 久しぶりの彼女の笑顔がまぶしい。

「私も明日から有給よ」


 僕らは、笑顔で店を出た。

「ありがとうございました」

 おやじの声が背中から聞こえた。

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【KAC20226】焼き鳥屋おちょん リュウ @ryu_labo

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