ガラスの鳥籠

豆しばむつ子

1話完結

なんの変哲もない家の窓辺に、一つの鳥籠と、その中に一羽の鳥がいました。鳥はとても美しい羽を持っていました。けれどもその鮮やかさとは裏腹に表情はとても暗かったのでした。

 「ここから出たい。」

鳥はそう呟き、そしてため息を吐きました。

 鳥の視界はいつも金網の縦に区切られていて、青く澄み切った空も、そこに浮かぶ小舟のような雲も、四季を彩る花も、何もかも美しくは見えなかったのです。

 鳥は籠の中から外を眺めました。視線の先には汚い電線に止まった色気のない雀たちが楽しそうにおしゃべりをして自由に空をかけていきました。

 鳥は一層深くため息を吐きました。

「私は七色の羽を持っているんだもの、誰よりも美しいはずよ。」

「私は綺麗な声が出るんだもの、誰よりも上手に歌えるはずよ。」

「私は力強い翼があるんだもの、誰よりも高く翔べるはずよ。」

鳥はつぶやきます。

 「やあ小鳥さん。そんな顔をしていたら美人が台無しだよ。」

通りすがりの狐が言いました。

「あなたはいいわね、自由で。」

小鳥は言いました。それを聞いた狐は笑いました。

「なんだい小鳥さん、自由になりたいのかい。」

小鳥はムッとして答えました。

「当たり前じゃない。こんな生活まっぴらよ。」

「俺は羨ましいけどなあ。」

狐は言いました。

鳥はきょとんとして聞き返します。

「どこが?」

すると狐は夢を見るように目を細めて言いました。

「だって、座っているだけでご飯も食べ放題、眠りもしたい放題、たまに歌ってみればご褒美がもらえるなんて贅沢だと思わないかい?」

どこが、と鳥は言います。

「私には翼があるのよ。こんなに美しい翼が。」

鳥は自慢の羽を広げてみせます。

「私は誰よりも強く美しい翼を持っているんだから誰よりも高く飛べるはずよ。それに誰よりも美しい声を持っているんだもの、誰もが聞き惚れるに違いないわ。」

うっとりとしていた鳥でしたが真顔に戻って

「でも籠の中じゃあ何もできないの。」

と言いました。

 うんうん、と狐は話を聞いていました。そして言いました。

「じゃあ飼い主が籠を開けた瞬間、その手に噛み付いてしまえばいい。」

と言いました。

「噛み付くだなんてそんな。」

そんな野蛮なことはできないと鳥は思いました。

「何、一瞬のことさ。飼い主はびっくりして手を引っ込めるだろうからその隙に、その自慢の翼で逃げてしまえばいい。そのあとは君の自由さ。」

自由・・・なんと胸がときめく言葉でしょう。自由を思うだけで鳥はうっとりとその未来を夢想しました。

 鳥は森の中で歌っているのです。鳥がいるだけで森はステージになりました。色んな動物が集まっていて、鳥の見た目の美しさや歌声の綺麗な旋律にはぁ、と感嘆のため息を吐くのです。ステージの隅にはあの小汚い雀が悔しそうに鳥を見ています。歌い終わると同じように美しい羽を持った鳥達に囲まれるのです。そして皆が口を揃えて僕のためだけに歌ってくれないかと誘ってきます。鳥は満更でもないような顔をしながらはぐらかしてみせます。そんな中、一段と美しい羽を持った鳥が、目の前にやってきてかしずくのです。そしてこう言うでしょう。「僕はこの森の王子です。貴方の美しさは星を取ってきたって敵いはしない、貴方の歌声は水のように澄んでいて心地いい。」その先は・・・

 ふと思いとどまりました。そして視界はやっぱり縦に区切られていて、森も、動物たちも、あの雀でさえも今は遠いのです。

「きつねさん、決めたわ。」

「私、自由になる。」

きつねはにやりとその口角を上げました。


 ふゆかは今日も旦那を見送りました。自分がぱりっとのりを効かせたシャツを着せて、見立てたネクタイを締めてあげて。旦那は優しく笑って行ってきますとキスをしてくれました。毎度のことなのに照れるなとふゆかは思いながら、さあてと、と気持ちを切り替えました。

 旦那が帰ってくるまでにやることは沢山あります。掃除、洗濯、料理・・・しかしどれも旦那の事を思うと不思議とやる気がみなぎるのです。

 ところへ、電話がな大きな声でふゆかを呼びました。誰からだろう、と出てみると、実家からでした。なんでもお父さんが危篤なのだとか。

「え、危篤!」

ふゆかは少なからず驚きました。

「そうなの。だから顔だけでも見に来てあげて。」

母は言いました。

 ふゆかはふつふつと怒りが沸いてくるのを感じました。ふゆかの両親は離婚しているのです。父親はふゆかを捨てて若い女の人と遠くへ、母親は泣いてばかりでふゆかを育てようとせず、彼女は祖父母に育てられたのでした。

 「行かない。」

「え?」

「今更母親ヅラしないで!あんな奴の顔なんて見たくない!」

ガシャン、と電話を切りました。嫌なことを思い出して苛立ちました。

 しかし、いつまでもいらいらしているわけにもいきません。旦那が帰ってきます。ふゆかは頬をパシッと叩くと、いつもどおり、完璧に家事をこなしました。

 ただいま、と旦那が帰ってきました。ふゆかは少し心細くなっていたのでいつもより帰ってくるのが遅く感じたほどでした。

「おかえりなさい。」

ふゆかは旦那に抱きつきました。どうしたんだいと、優しい声が耳元でします。

「ううん、何でもないの。」

今ご飯の支度をするね、とふゆかは台所へ向かいました。その背中に旦那は声をかけます。

 実家に帰らなくていいのか、と。

 思わず持っていたお皿を落としてしまいました。白いお皿も、その上に乗った美味しそうなおかずも床にこぼれてしまいました。

「どうして・・・?」

旦那は言います。君の実家から電話が来たんだよ、と。ふゆかは勝手なことをされたと腹が立ちました。

「いいの。」

「でも危篤なんだろう。」

「・・・いいの、気にしないで。」

「そういうわけにはいかないよ。」

ふゆかは落ちたお皿とおかずを片付けながら続けました。

「何日も家を空けられないわ。」

「どうして。」

「ご飯の支度に、掃除に洗濯・・・いろいろあるのよ。」

「ご飯ならカップ麺で済ませるよ。それかコンビニ弁当か。」

「あなたにそんな粗末なものを食べさせられないわ。それに、あなたはアイロンだってかけられないでしょう、しわしわのシャツなんて着せられないわ。」

「そうか・・・。」

「ね、私のことはいいの。ご飯にしましょう。」

そうしてふたりはいただきますをして、美味しい晩御飯を食べました。


 鳥は飼い主の隙を見て、勇気を出して噛み付きました。狐の言った通り、簡単に籠から抜け出すことができました。こんなに簡単ならもっと早くやればよかったと思いました。

 鳥は飼い主のいないところへ、いないところへ、遠く遠く・・・と夢中になって飛び続けました。いつの間にか小さな木々が集まる公園に来たみたいです。

 ふう、と鳥は枝に止まりました。ここまでくれば大丈夫、と。

 安心すると、とても喉が渇いていることに気づきました。お腹もペコペコです。鳥は水を探しましたが、お皿に入った透明な水はどこにもありませんでした。ごはんもそうです。お皿にこんもりと盛られたごはんも見当たりません。

 鳥は、外の世界では何が飲める水で、何を食べられるのかさっぱりわからないのでした。

 鳥はこの事実にも気づかず、どこかにお皿があるはず、と探し続けます。最初の目的は何処へやら、美しく歌うことも高く飛ぶこともできないでいました。

 そこへ、大きな黒いカラスがやってきました。鳥は話しかけます。

「あの、御飯と飲み物はどこにあるのですか。」

と聞きました。

「ご飯?それはここにあるよ。」

そう言ってカラスは襲いかかってきました。

「きゃー!」

と声を上げたとき、あの狐がカラスを追い払ってくれました。

 鳥は狐に

すがりつきました。助けて、たすけて、タスケテ・・・そうして気を失ってしまいた。


 気がついたとき、世界はまた縦に区切られていました。目の前にはお皿に入った水とご飯が。鳥は夢中で食べました。涙がほろほろと出てきます。

 そうして満腹になったとき、目の前にはあの狐がいました。

「やあ、大丈夫かい。」

「ありがとう、あなたのお陰で助かったわ。」

「それは良かった。元気になったらいつでも出て行きな。」

「いやあ!」

鳥は叫びました体がガタガタと震えました。

「どうしたんだい?」

「もういいの、もう・・・。」

「よければ外での生き方を教えるけど。」

「いいの、もう我儘はいいませんわ、二度と私をここから出さないで!」

 鳥は籠を飛び出しました。しかし籠に落ち着いてしまったのです。


 ふゆかは言います。

「愛してるわ、あなた。私をここから連れ出さないでね。」


 鳥は思い出すこともないでしょう。自分には美しい翼があることを、誰よりも高く飛べるという幻想を。



 ここに、もう一匹の鳥がいます。この鳥も同じように美しい羽を持っていますが、鳥かごの中に入れられていて、表情は暗いのでした。

そこへ同じように狐がやってきます。そうして同じことをいうのでした。


 なつなは旦那を見送りました。アイロンをかけたシャツは変なところにシワが入っていますし、結んであげたネクタイは右に曲がっています。

 もう少しちゃんとしてくれよ、なんて旦那は自分でネクタイを結び直すのでした。できるなら最初から自分でやればいいじゃないと、なつなは心の中で毒づきます。

 さて、旦那がいなくなりました。やることは山ほどありますが、なつなは家事が苦手なのでした。洗濯物はいつもしわくちゃ、料理はよく焦がしますし、掃除なんてとても面倒なのです。

 なつなはテレビの前にゴロンと横になって、テレビを見ながら大笑いしました。

 ところへ、電話が大きな声でなつなを呼びました。話を聞くとお父さんが危篤なんだとか。

 これは大変だと思いました。なつなは急いで荷物をまとめていつでも出かけられる支度をしました。

 旦那が帰ってきました。なつなは実家のことで、すっかり晩御飯を作るのを忘れてしまっていました。

 なつなは言います。

「ごめん、お父さんが危篤って聞いてそれどころじゃなかったんだ。」

「それどころとはなんだ。」

旦那は怒ります。

「俺の飯は?風呂は?」

「お父さんが危篤だって言ったじゃない!」

「そんなことはどうでもいい。今すぐ何か作れ。腹が減った。」

「カップ麺でも食べててよ。私は今すぐ実家に行くわ。」

「なんだって?その間の俺の飯はどうするんだ。風呂は?」

「カップ麺でもコンビニ弁当でも食べたらいいじゃない!銭湯だってあるんだし。」

「俺にそんなもの食わせるのか!」

「そんなものってなによ!何様のつもり!」

「口答えするな。主婦のくせに。」

「主婦だって人間よ!」

「ろくに主婦だってできない人間が偉そうな口をきくな。」

「・・・あなたがそんな人だなんて思わなかった。」

「・・・なんだと?」


 こちらの鳥も簡単に抜け出すことができました。同じように公園で困り果ててしまいます。そうして意識を手放しました。

 目が覚めたとき、狐が目の前にいました。

「君のために用意したんだ。」

そう言って豪華な食事を差し出しました。鳥は夢中になって食べました。

 しかし途中でかしゃん、と聴き慣れた南京錠の音がしました。よく見ると世界は縦に区切られていました。閉じ込められたのです。

「どういうこと?」

狐は舌なめずりをして言いました。

「俺が飼ってやるよ。太った頃にお前を食ってやるんだ。」

 鳥は籠を飛び出しました。しかしたどり着いたところもまた籠だったのです。

「ここから出して。」

狐はニタニタと笑うだけでした。

「騙されたんだわ・・・。」


 「あなた、ちょっといいかしら。話があるの。」


 鳥はきっと気づくでしょう。その鳥かごは脆いガラスでできていることを。そして思い出すでしょう、自分には美しい翼があることを。

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ガラスの鳥籠 豆しばむつ子 @mame_mutsuko

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