メビウスの輪
九戸政景
メビウスの輪
雲一つない青空が広がるある日の事、楽しげな鳥達の囀りを聞き、外から射し込んでくる穏やかな日差しを浴びながら一人の老人が真剣な表情で和室の中央に敷かれた布団の上に座っていた。
「……遂に明日が88歳の誕生日だ。本来なら喜ばしいが、明日が来てしまうと、また始めに戻ってしまう。それだけは絶対に阻止しないといけないな」
頷きながら老人が独り言ちていると、和室の襖が開き、可愛らしい笑みを浮かべた幼い少女が顔を覗かせた。
「お祖父ちゃん、朝ご飯だから呼んできてってお母さん達が言ってたよ」
「おお、そうか。ありがとうな」
「どういたしまして。それじゃあ私は先に行ってるね」
「ああ」
微笑みながら老人が答えると、少女は笑みを浮かべたまま襖を閉め、それと同時に老人の表情は真剣な物へ戻る。
「……比べるのは良くないが、今回の孫は一周目の孫に比べたら本当に良い子だ。最初は息子達が甘やかしすぎてわがままばかり言う子になったが、何度も繰り返す内に良い子に育てる方法も思いついて、今回のような子に出来た。
正直、もっと良い子に出来る気がするが……まあ、今回でこの現象には区切りをつけたいからそれは出来ないな。さて、まずは朝食を食べに行って、その後にこの現象について考えよう。この“人生のループ”について」
老人は少し辛そうな様子で独り言ちた後、家族が待つ居間へと向かった。約一時間後、老人は和室に戻ってくると、再び布団の上に座り、難しそうな顔で腕を組む。
「……まず、状況をおさらいしよう。この現象が始まったのは一周目の88歳の誕生日を迎えた瞬間で、気付いたら8歳の誕生日に戻っていた。
最初は夢かとも思ったけど、現実なのはしっかり確認したし、俺以外にループの記憶は無いようだった。
二周目の頃はまだのんきで、また若い頃から始められるなんて喜んで、恋人をころころ変えて違いを色々楽しんだりスリルを求めて軽犯罪を繰り返したり、と一周目では出来なかった事を色々好き勝手やってきたが、三周目四周目と一向にループが終わらない事に段々恐怖を感じ、五周目からこのループを終わらせる方法を考え始めた。
この人生のループというのは、アニメやマンガでは良くある題材だというから、色々調べた結果、ループの発生には何らかの理由や目的があり、それを除かない限りはループが終わらない。
けれど、その理由がわからないままでこの8周目まで来てしまった。肉体的には87歳だが、精神的にはもう700歳を超えているからな……どんな異性も全員子供にしか見えないから興奮しなくなってきたし、流石にそろそろ生きているのも辛くなってきたから、どうにかしてこのループは終わらせないと……」
老人は腕を組みながらループの原因について考え始めたが、それらしい答えは全然浮かばなかった。
「……ダメだ、全然思いつかない。そもそも一周目でやり残していた事はこれまでのループでやってきてるんだった。
けど、一周目で何かやり残しや未練みたいなのがあるからループが始まったわけだし、何かあるはずなんだ……そうじゃなければ説明がつかない」
老人はこれまでの記憶を必死になって探り、それらしい答えを探し続けた。そうして考える事一時間、老人は何かを思いついた様子で表情を明るくする。
「そうだ……ループにはまだ可能性があったじゃないか。何か特別な力が働くとか不思議な装置が動いているとか幾つか原因はあったはず。
ただ……これまでのループでそれらしい物は見かけてないし、ニュースでも何か不思議な装置を開発したという話はきいてないな。けど、今回のループでは何かあるかもしれないし、とりあえず確認してみるか」
老人は枕元に置いていた携帯電話を手に取ると、インターネットを使って調べ物を始めた。しかし、いくら探してもそれらしいニュースはなく、表情を暗くしながら携帯電話を置くと、失意の中で項垂れた。
「ニュースもなしか……そうなると、もう打つ手は無い。またループが始まって、8歳からやり直す事になるんだ……」
老人の顔が絶望の色に染まり、目から光が失われようとしていたその時、襖がゆっくりと開き、孫娘が静かに顔を覗かせた。
「お祖父ちゃん……」
「……ああ、どうかしたかい?」
「お祖父ちゃんが朝ご飯の時に少し悲しそうだったから気になったの。お祖父ちゃん、何かあったの?」
「……少しね。なあ、今はうまく想像出来ないかもしれないけど、いくら考えてもどうしようも無い事がこの後に待っていたらどうする?」
「……なんだかよくわかんない」
「あはは、まあそうだよね。変な事をきいてすまなかったね」
「ううん、大丈夫。でも……私だったらお母さんやお父さん、お祖父ちゃんといっぱいお話するかな。いっぱいお話して、楽しく笑いながら過ごしたい」
「話して、楽しく過ごす……」
その瞬間、老人は何かに気付いたような表情を浮かべると、襖から顔を覗かせる孫娘に対して優しく微笑む。
「ありがとう。何か掴めたような気がするよ」
「うん、それならよかった。それじゃあ私はお母さん達のところに戻るね。お祖父ちゃんはどうする?」
「せっかくだから一緒に行くよ。良い機会だから、みんなと話をしたいからね」
そう言いながら立ち上がって孫娘と共に居間に向かった後、老人は息子夫婦達と様々な話を始めた。
普段老人が自分から話をしない方だったためか息子夫婦はそんな老人の行動を不思議がったが、それでも老人との話を楽しみ、孫娘もそれに加わって四人は楽しい一時を過ごした。
その日の夜、老人は日中の家族との時間を思い出しながら仏壇の前に座り、遺影に写る亡くなった妻を見ながら静かに手を合わせていた。
「……母さん、今日は息子達と久しぶりにしっかりと話をしたが、思ったよりも楽しく話が出来たよ。こんな事なら母さんとも生きている内にしっかりと話をしておけば良かったな。
母さんからしたら俺の事は真剣に愛してくれていたと思うけど、ループを続けていた俺から見たら母さんは何歳になっても幼い子供に見えていて真面目に愛する事は出来なかった。
まあ、ループの話なんて誰にも出来ないのはこれまででわかっていたから、母さんにも話はしなかったけど、今回でループは終わりにするから、向こうに行ったらしっかりと話すし、今度こそしっかりと一人の女性として愛する事にするよ。だから、待っていてくれ」
真剣な表情で言った後、老人は仏壇から離れ、時計に視線を向けた。時計の針は11時55分をさしており、自分に残されたタイムリミットを確認して老人は緊張した様子で喉をゴクリと鳴らす。
「……あと5分。今回もやれる事は全部やったはずだし、後は待つしかない。正直、今回もダメだったらもう手はないが、その時はその時だ。何回でも繰り返して、絶対にループを終わらせてやる……!」
老人は緊張した様子で時計を見つめ、時計の針の動きを真剣に目で追った。そして、秒針がカチコチと音を立てながら進み、真上をさして88歳の誕生日を迎えた瞬間、老人は信じられないといった様子で秒針が動く様子を見つめた。
「……秒針はまだ動いてる。それに、体も若くなってないし、部屋の様子も変わってない……! やった、やったぞ! 俺は遂にループを抜け出して、88歳になれたんだ!」
ようやくループから抜け出せた喜びを表し、老人は両手を挙げながら歓喜の声を上げ、その場でしばらく喜びの余韻に浸っていた。
そんな老人の喜びの声にそれを遠くから聞いていた一人の女性がため息をついていると、その隣に座る女性は少し怖がりながら女性に話しかけた。
「あの患者さん……何故大声を出しているんですか……?」
「……この日になるといつもそうなのよ。8年前にお孫さんの悪戯で階段から落ちてここに運ばれてきたんだけど、頭を打ったショックで少しおかしくなって、本人からすれば今もずっと8歳から88歳までを繰り返し続けているようよ」
「ループ物みたいな妄想……という事ですか?」
「そう。今みたいにループから抜け出せたってその時は喜んでるんだけど、寝て起きたらまた8歳に戻ってるって本人の中ではなってるようよ。外科から精神科に移されはしたけど、診察もあまり出来なくて、ご家族もあの姿を怖がって面会にも中々来ないし、他の患者さんを同室にも出来ない。
だから、時々その妄想に付き合う看護師を病室に行かせるという形を毎年取っているんだけど……いつまで続くのかわからないから、私達もそろそろ限界に近いのよね。奥さん役の看護師もあの人の妄想内でのそういう行為に声だけでも付き合うのはもう嫌だとこぼしていたし」
「そうなんですね……」
若い看護師が怖がる様子を見せる中、先輩の看護師は今も聞こえてくる老人の喜びの声に深くため息をつく。
「……まあ、現実に無限ループなんて物は無いけれど、あの人が本当にループを終わらせられるとしたら、それは現実で亡くなった時でしょうね。
ただ、それには気づけずにあの人はずっと80年を妄想の中で過ごし続けるのよ。現実と妄想でねじ曲がってしまったメビウスの輪のような人生を永遠にね」
先輩の看護師が少し哀しそうに言う中、満足感で眠りにつくまで老人は病室内で歓喜の声を上げ続けていた。
メビウスの輪 九戸政景 @2012712
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます