6.
「ッ、柚!」
は、と目を覚ます。目を開ければ、蓮が慌てたように肩を揺すっていた。
「……おはよう」
「おはよう、じゃないんだけど。うなされてたよ」
悪夢でも見た? なんて半笑いで言う彼に、なんでもないと首を振る。肌に張り付く下着が気持ち悪い。
「何もないならいいけどさ。ああそうだ、なんかLINE来てたよ、ほら」
そう言って見せられたスマートフォンの画面には、見慣れた背景と同じ学部の女子からのメッセージが表示されていた。『
「あはは、時間の問題かもね」
「笑い事じゃないだろ」
へら、と笑う彼をじとりと睨んで、それから小さくため息をついた。
朝食をとって、わずかな不安を抱きながら過ごしていれば、母親から着信があった。年末は帰ってくるのかとか、そう言った確認の電話だろう。
「もしもし、母さん?年末は帰る気ないけど」
「開口一番がそれなの、母さんどうかと思う」
「だって用事、それじゃないの」
「それもあったけど、本題はそっちじゃなくて。あんたに手紙届いてるわよ」
「手紙?誰から」
「十年前のあんただって」
「……はあ?」
そこで、唐突に思い出した。俺はあの箱を埋めた次の日に、郵便局に行ったことを。十年後の自分に手紙を送るタイムカプセル便というものを利用して、二十歳になったら掘り出そうと決めたのだ。ただ、蓮にはその記憶はない。あの日の夜から次の日の事件、その一連の記憶を無くしているはずなのだから。
結局家に取りに行くことになって、顔を合わせる羽目になることには後から気がついた。そんなことよりも、蓮にこの話が聞かれてしまったことが問題だった。
「十年前のお前からって、どういうこと?」
「あー、そういうサービスがあって。忘れてたけど、出したらしいんだ」
「へえ、内容とかって覚えてないの」
「……全然。とにかく、今からそれ取りにあっち帰るわ」
逸らした瞳は、思い返してみただけだと誤魔化されてくれただろうか。
「わかった。じゃあ、俺も一緒に行ってもいいよね?」
「いや、ええと」
「柚、俺たち運命共同体じゃん。拒否する理由、何かあるん」
「ただの共犯者だろ。大して面白いことはないと思って。それだけ」
「柚」
名前を呼ばれて、僅かに身体が強張る。なんでもないふりを続けないと。そうじゃないと、その瞳に呑み込まれてしまいそうだ。
「わかってるっしょ、俺が何を言いたいのか」
「……おう」
「じゃ、着いてくから」
娯楽ではなく、監視の為だと。さらに言えば、彼は恐れているのだ。俺が裏切ることを、それから、俺があの家に一人で帰ることを。だから、黙って頷くことしか出来なかった。
電車ではなく、蓮の車で移動することになったのは、彼の提案だった。いつ足がつくかわからないから今のうちに乗り回しておこう、なんて笑っていた。奥底では怯えていたくせに、こういうところではやけに大胆だ。
少しばかり、不安があった。そのつもりがなくても、いざ親に会えば、安堵のあまり自白をしてしまうのではないか。全部とは言わなくても、何か漏らしてしまうかもしれない。それは、蓮に対する裏切りで、絶対に避けなければいけないことだった。
蓮には車で待つようにと説得した。代わりに、電話をスピーカーにして繋いでおくことを条件に出された。彼が聞いていると思えば、下手なことは一つも言うわけにはいかない。家の近くで停まった車から降りれば、コンビニで待ってる、と言い残して蓮が去っていった。深呼吸をする。実家のチャイムを押すのが、こんなにも心臓が痛くなることだなんて思いもしなかった。扉を開ければ、はあい、という声と共にスリッパの音が聞こえてくる。久々に顔を見れば、以前よりずっと陰気な母親がいた。声に変わりはないように思えたのに、実際に聞くと覇気がない。
「早かったわね、おかえり柚」
「まあな。つーわけで」
手紙をくれと手を差し出す。ただただ、早く会話を切り上げてしまいたかった。
「せっかく帰ってきたのにせっかちな子。ほら、ここに置いてるわ。大学はどう?ご飯食べてる?」
「ありがと。ちゃんと授業受けてるし飯も食ってる。心配することないって」
「ならいいんだけど……」
他愛のない会話であるはずなのに、どこか暗い。理由は、薄々とはわかっていたけれど、口に出すことはしない。俺にはどうにもできないからだ。もしかしたら、空を覆う分厚い雲のせいもあるのかもしれなかった。
「じゃ、そろそろ……」
「あ、そうだ。蓮くんは元気?」
「……おう。あいつも変わりねえ、よ」
「そう?なら良かった」
「うん、……そろそろ行くわ、ありがとな」
普段通りに、出来ていただろうか。おかしな反応だと、思われなかっただろうか。早鐘を打つ心臓を誤魔化すように、へらりと笑って家を出た。家から少し離れたコンビニの駐車場に、ブルーグレーを見つける。助手席に乗り込めば、コーヒーを渡された。外の空気で冷えた身体がゆっくりと解けていく。
「おかえり〜、どうだった」
「全部聞いてただろ。どうもこうもねえよ」
「んはは、それもそうだ」
笑う彼の視線は、手紙に釘付けであった。それでも、どうしても躊躇ってしまう。出来れば、忘れたままでいてほしかった。記憶をなくす、というのは心の防衛機能だと昔本で読んだ。そうまでして忘れたかったものを、呼び覚ますようなことをしていいのだろうか。早く開けろと急かすような目を誤魔化すようにコーヒーを飲めば、焦れた手が封筒を奪う。
あ、という声を上げる間も無く、容赦無く封が開けられる。仕様がないと横から覗き込んだ。取り出された便箋には、たったの二行しか文字が書かれていなかった。
『十年後の俺へ
裏山のタイムカプセル、忘れんなよ。』
それだけだ。用件のみ、と言ったような手紙には思うところがないではないが、たとえ今の俺が書いたとしても大して変わりはしないだろうとも思った。ただ、これで蓮にはタイムカプセルを埋めたことがバレてしまった。きっとこの男のことだ。今にこう言い出すに違いない。
「柚、タイムカプセル掘りにいこうぜ」
ほら、思った通りだ。そうして、俺が首を縦に振ろうと言い淀もうと、勝手に向かうだろう。現に、もう既に手紙を俺に突き返して、シートベルトを閉めようとしているからだ。
「タイムカプセル、覚えがないんだけどさ。もしかして、俺も一緒に埋めた?」
「……あー、どうだったかな」
「なんだよ、しっかり者の柚くんのくせに覚えてないの」
「十年も前なんだから、覚えてるわけないだろ」
「ええ〜、そう?お前って、そういうの覚えてるタイプじゃん」
「勝手に決めんな。いいから、いくんだろ」
この話は終いだと、手紙を仕舞ってコーヒーを一口飲めば、それ以上追及することはなく車が発進した。
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