2.



がたり、がたり。道路の舗装が荒くなって、振動が身体に伝わる。思考が中断され、そこで窓の外に目を向ければ山道付近まで来ていたようだった。暗い細道をライトが照らす。木々が立ち並ぶ中、月明かりは届きにくく心許ない。切り立った崖から転落してしまったら、なんて嫌な想像を掻き消すように目を閉じる。もうしばらく奥へと進んで、ようやく車が止まった。


「よし、降りて」


 言われるがままに降りて、同じように外に出た蓮の動きを目で追う。トランクを開けて、俺を手招いた。大股で覗き込めば、ビニール傘の手前にあった、長い布袋に包まれたものが目をひいた。


「これ、死体」


 蓮が乱雑に袋の口を開けて、少しばかり引き下げれば「元カノ」が顔を覗かせた。切り揃えられた前髪とおろした黒髪が垂れる。それは目を閉ざしているだけの綺麗な顔で、死体だとは到底思えなくて。なんだ、ドッキリだったんじゃないか。そう安堵の息を吐こうとした時、もう十センチほど袋の口が下がった。



「ぁ、……」


 思わず漏れた声を抑えるように、右手の甲を口元に当てる。露わになった「元カノ」の首には、くっきりと両手で絞められた跡が付いていた。数時間は経っているはずなのに、未だ存在を主張する附子色の暴力の証。体重を掛けて、念入りに力を加えて絞め殺したのだろうか。ぐるり、脳内をかき回されるような、気がして。


「絞め殺したから、人殺しの匂い__血の匂いなんてしないとは思うんだけど」



 そんな戯言を呟いた彼を押し退けて、「元カノ」に触れる。脈はない、呼気もない。酷く冷たくて、少し固い。それから、その肩を掴んで揺すろうとして、腕を掴まれた。


「何しようとしてんの」

「まだ、生きてるかもしれないと思って」

「んなわけないじゃん、ちょっと落ち着きなよ」

「……悪い」

「てか、揺すったり声かけたりは一応俺がやったんだって。それでもダメだったから埋めようとしたんだし、お前に連絡したの」

「そう、か。そうだよな」


 初めて見る死体に、動転してしまったのだと思う。夜の山なんて寒いはずなのに、手汗でじとりと濡れていた。



「じゃ、柚は足の方持って」

「……おう」


 死体の足を持てば、別の何かが一緒に入っているのがわかった。


「これ、何?」

「あー、シャベル。二人分」

「用意周到なことで」

「急いで買ったんだよ」

「そうかい」


 夜も更けた山に人がいるとも思えなかったが、自然と声量を小さくして、呟くように言葉を交わす。トランクを閉める音が、やけに大きく山に響いた。

 足元の悪い道を、蓮を前にして歩いていく。空を覆うような木々の、剥げかけた幹が目に入る。その裂け目から何かが滲むような気がして、下を向いて歩く事しか出来なかった。僅かに湿った土と落ち葉が混じり合って、踏みしめるたびに嫌に滑った感覚がする。それがどうにも不安定で、思考が揺らぐような気がした。



 沈黙が、質量を持つ。先に耐えられなくなったのは蓮だった。


「……俺さあ、元カノの名前も覚えてなかったんだよね。最後に喋ったのって、結構前だったから」

「うん」

「急に家来られた時は超ビビったわ! え、誰? あ、お前元カノ? みたいな」

「……うん」

「支離滅裂なことばっか言って、はは」


 空元気なのは、声が普段よりずっと揺れているからよくわかった。飄々と、それこそ彼女と別れようが人を殺そうが平静を保とうとしていた彼が、こうして俺と二人で死体を運んでいるこの瞬間に、それが崩れている。乾いた唇を舌で僅かに湿らせて、続きを促すように相槌を打った。


「それでまあ、口論になって。首を絞めてやったんだ。脅しのつもりだったよ、最初は。でも、ぎゅうって、あいつの首絞めてるとさ。こっちまで酸欠みたいな気になって……段々と頭おかしくなってたんだわ、俺」

「おかしいって、何が。ブレーキがきかなくなった、とか?」

「んん……それもある。なんだろ、今こいつを解放したら、それこそ面倒な目に遭うかもしれない、だから殺そう、殺さなきゃ。みたいな、強迫観念?」

「へえ……」


 袋の頭を脇に抱えたまま、蓮は器用に身震いしてみせた。一度開いた口はすぐには止められないのか、ぽつりぽつりと、途切れないように言葉を零す。


「普段ならもっと、上手に立ち回れる自信あったんだよ。首絞めたって、冗談冗談って笑えたはずなんだ」

「それはそれでどうかとは思うけどな」

「あは、そうだけど。その時だけ、どうしても殺し切らなきゃいけない気がして。どこをどう押さえればいいのか、それだけははっきりしてた」


 その言葉に、小さく息を吐く。白いそれが暗闇に溶ければ、全てが見えなくなる気がした。

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