迷子の退魔師と自由を愛するあやかし

依月さかな

退魔師、あやかしに拾われて焼き鳥を頬張る

 目の前を、焼き鳥やりんご飴を持った浴衣姿の男女が通り過ぎていく。

 十一月の下旬頃。人口三万人にも満たないこの町で、まさか人とはぐれることになるとは思わなかった。


「……最悪すぎるだろ」


 大きな川を横断するようにかけられた橋には道路と遊歩道が整備されている。普段は一人か二人しか渡らないのに、今夜は数え切れないくらいの大勢の人々であふれていた。

 さっきの男女二人だったり、はたまた家族連れだったり。ぽつんと一人、私服姿でいるのは俺くらいなものだろう。


 やっぱり祭りになんか来るんじゃなかった。どれだけ人が大勢いたって、変わらない。いつだって俺は独りになる。


 ことの発端は十一月中旬頃だった。友人の雪火せっかに祭りに行こうと誘われたのだ。

 人混みが嫌いなだし本音を言うとあまり行きたくはなかったが、あまりに雪火せっかが熱心に誘ってくるから、結局押し切られる形で約束をさせられてしまったのだった。


 そして今、完全迷子な現状に至るわけなのだが。

 とにかく一人イラついていたって仕方がない。雪火せっかを探すか。


 榎本えのもと雪火せっかは黒髪黒目の純日本人な容姿だ。銀髪赤目な俺とは違い目立たないが、あいつには九尾きゅうびの狐がいつも金魚の糞みたいにくっついている。九本の白い尻尾を揺らめかせる長身の男は嫌でも目立つし、少し探し歩けば見つかりそうなものだが——。


「あっれー? きみ、もしかして雨潮うしお千秋ちあきくんじゃない?」


 楽しげに弾んだアルトヴォイス。初めて聞く声だった。

 振り返り見てから、俺は自分の目を疑った。


 まるで時間が止まったかのような錯覚を覚えた。


 そこには焼き鳥を片手に持った若い女が立っていた。

 日本人らしかぬ腰に届くくらい豊かな金髪。プロポーションは抜群に良く、モデルのようなスタイルのいい美女だった。ハイネックのニットセーターを着て、にこにこと微笑んでいる。

 その立ち姿、笑顔が、ここにはいない誰かと重なる。

 だが、つり目がちな相手の瞳は薄紫色。全くの別人だ。


(違う。あいつじゃない)


 俺が見知ったあいつの瞳の色は青だった。それにこいつ、うまく化けているようだがあやかしの匂いがする。人間ではない。


「あれ、違った? おっかしいなー。たしかに銀髪に赤い瞳だって聞いてたんだけど」

「なぜ俺のことを知っている?」


 容姿のことはともかく名前まで知っているんだ。警戒心を抱かずにはいられない。思いっきり睨めつければ、女はにこりと笑ってすぐに正体を明かした。


「そういえば自己紹介してなかったわね。あたし、三重野みえの菖蒲あやめ。きみと同じクラスの三重野みえの紫苑しおんの母親よ」


 大きな薄紫色の瞳をひとつ瞬かせて、その女——菖蒲あやめはそう言った。


 クラスメイトの三重野みえの紫苑しおんは、俺と同じく片親をあやかしに持つ半妖だ。前に本人から、母親は鎌鼬かまいたちだと聞いたことがある。

 鎌鼬は三人兄弟なことで有名だ。一匹目が人間を転ばせ、二匹目が斬りつけ、三匹目が薬を塗ってその傷をかすり傷程度にする。このように鎌鼬は一瞬の間に見事な連携で人を害するあやかしで知られているが、人間を傷つけるといっても毎回かすり傷程度で済むので大した実害はない。ということは、この女――いや彼女は、三兄弟のうちの末妹、人間に薬を塗る役目を担っていた鎌鼬なのだろう。


 彼女のつり目がちな大きな瞳は薄紫。紫苑しおんと同じ色だ。しかし髪が日本人離れした金髪だし、紫苑しおんの身内だとは思わなかった。

 それに紫苑しおんはどちらかというと引っ込み思案で大人しく、優しげな雰囲気だ。目の前の菖蒲あやめは派手な見た目だし、活発なタイプ。パッと見た印象が真逆すぎる。


「どうして、日本にいるんだ? 紫苑しおんから親は海外赴任中だって聞いていたのに」

「先週戻ってきたのよ。あたしもよくわかんないんだけど、うちの旦那がこっちで仕事始めるんだって。そんなことより千秋君、きみ迷子でしょう?」


 笑顔で図星を刺され、俺はなにも言えなくなってしまった。

 くすくす笑いながら菖蒲あやめはスマートフォンを器用に操作している。


「うちの旦那、今は雪火せっか君といるみたい。連絡したから、今から一緒に向かいましょう」

「ああ、はい。ありがとうございます」


 相手が紫苑しおんの親なら、目上に相手には違いない。幼い頃から礼儀を叩き込まれてきただけに、途中から敬語に言い直した。今更な気もするが。

 それにしたって十七にもなって迷子とか恥ずかしすぎる。それをクラスメイトの女子の親に保護されるとか。一生ものの不覚だ。


 どうしようもなく死にたい気持ちに襲われていたら、眼前になにかを突きつけられた。

 串に刺さったなにか。茶色くてとろりとしたものが塗られている。これは、焼き鳥か……?


「えっ、何だ?」

「焼き鳥」

「見ればわかる」


 からかわれているような気がして、思わず言い返してしまった。また目上の相手に敬語を忘れしまったと思うが、菖蒲あやめは気にしていないようだ。

 にこりと笑いかけてくる。


「お腹すいたでしょ、一本あげる。こっちの鶏肉はすんごく美味しいのよ。それ食べたら、雪火せっか君たちと合流しましょ」




 ☆ ★ ☆




 よくよく考えれば、俺もスマートフォンを持っているのだから雪火せっかに連絡すればよかったのだった。迂闊うかつだった。普段ならすぐに考えつきそうなものだったのに、柄にもなく動揺していたのだろうか。

 屋台の焼き鳥は作り置きしていたものなのか若干冷めていた。

 肉厚な鶏肉に絡んだタレはしょっぱくて甘い。噛みごたえのある食感でたしかに美味いが、なんでこっちの調味料はこうも甘ったるいのだろう。


紫苑しおんから聞いたんだけど、千秋君は京都から出てきたんだってね。もうきみは目的を果たしてしまったんでしょう? そのうち月夜見ここを出て行ってしまうの?」


 この女は俺のことをどこまで聞いたんだろうか。


 俺はあやかしの血が混じった半妖であると同時に、あやかしを退治する退魔師だ。以前にいた街で退魔師たちと行動を共にしていたが、倒すべきあやかしの血を引く俺を仲間たちが良く思うはずもなく、常に疎まれ続けてきた。

 だから、答えは決まっている。


「帰るつもりはない。向こうに戻っていいように利用されるのはごめんだ。未練もないし。ただ——」


 ごくたまに頭の隅によぎるのは、京都に残してきた幼なじみのことだ。

 日本人離れした豊かな金髪を持つ彼女は自分と同じ人間で、退魔師だった。他の仲間とは違い、対等に接してくれた唯一の友人。

 二重人格だし、勇ましくて気は強いし、可愛げもない。異性として意識したことなんか一度もない。


 なのにどうして、今日に限ってあいつのことを思い出してしまったんだろう。

 たぶん、菖蒲あやめに会ってしまったからだ。


「なになにぃ? 未練になっちゃうくらい、向こうに残してきたお友達でもいるの?」

「いないっ!」


 強い言葉で否定する。菖蒲あやめのようなタイプは正直に話したら、それを話のネタにしてからかってくる。そうに決まっている。


 ほんとうは、ずっと気になっていた。

 一ヶ月ほど前から、メールが届いていたことに気づいていたんだ。気づいていたのに放置して、ずっと返信せずにいた。きっと、あいつは怒っているに違いない。


「あらあら、ムキになっちゃって」

「いい加減にしないと怒るぞ」

「ふふっ、ごめんね? まぁでも未練がないならいいんじゃない? きみのような子は京都に戻るのは酷でしょう。ずっとここにいたらいいわよ」


 菖蒲あやめは右足を軸にくるりと回る。さすが鎌鼬というか、見軽い動きだった。

 くせのある長い金髪がふわりと広がる。


「千秋君、きみの人生はきみだけのものよ。自由を選び取る権利は誰にだってあるもの。あたしが山里を離れて人間のそばにいることを選んだように、きみの居場所はきみ自身が選んでもいいのよ」


 風の刃を操る、実に鎌鼬らしい台詞だと思えた。彼女の言葉が心の奥底にすとんと落ちる。


 そうだ、なんとなく帰らないでは駄目なのだ。ふんわりとした理由で行動しないのでは、何かがあった時に俺の存在自体が揺らいでしまう。

 帰る気にはなれなかったのはほんとうだ。

 たった今、決めた。俺は京都から逃げ、月夜見つくよみ市にとどまることを選ぶ。いい加減、覚悟を決めなくては。


「……そうだな、そうする。俺は月夜見ここに定住することに決めた」


 今夜あたり、あいつにメールを返信してみようか。

 俺の決断を向こうがどう捉えるかわからないが、あいつだって幼なじみだ。きっと分かってくれる。






 自分の決意を簡単に打ち込んでから数分後、すぐに返事は返ってきた。


『返事遅すぎ。ばか。千秋がそっちにいるなら、あたしも近いうちに行くから』


「まじか」


 さらに悩みの種が増えた。

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