人の喰い物をいじくると、こんなこともありえます

林海

偽者、大歓迎


 仕事仲間と一緒にいて、疎外感を感じるのは勤務時間内ではない。

 今日は人事異動はなかったけど、課の年度初めの飲み会だ。

 こういう勤務時間外のアルコールが入るような席でこそ、私は孤独を感じてしまう。


 なぜ、みんなここまで饒舌になれるのだろう?

 他課の誰かをあげつらって笑い合うのは、どうかと思うよ。

 ただでさえ、経理は経費経費と口やかましい事を言わねばならない立場なのだから、せめて表裏なく仲良くした方がいいと思うんだけどな。



 焼き鳥の盛り合わせが運ばれてきた。

 去年入社した、2つ歳下の女子社員の結望ゆうみが、せっせと焼き鳥から串を抜き出した。

 私は内心で舌打ちをしていた。


 課で2人のみの女子社員だけに、やたらといそいそとされると私の居場所がない。

 それに、焼き鳥という料理のアイディンティティは串。私はそう思っている。

 炭で焼かれた完成された料理としての焼き鳥は、串を抜かれた瞬間に単なる焼かれた肉に堕してしまう。タレではなく塩で頼んでいたから、隠しようもなくぽかりと残された串の穴が、焼き鳥としての最期の抗議に見えた。

 それに許せないのは、つくねだ。

 串から外された上、箸で6つに細かく分けられたそれは、脂も肉汁も流れ出してしまって酷く不味そうに見えた。


「ゆうちゃん、さすがに気が利くねー。

 女子力、ハンパないって感じかなー」

 主任の佐藤が言うのが私の耳に刺さる。


 佐藤は嘘が下手だ。

 心にもないことを言うとき、語尾が必要以上に上がる。

 つまり、「焼鳥くらい好きに食わせろ」が佐藤の本音。

 でもって、にもかかわらずこんな事を言うのは、あわよくばまだ19歳の結望をお持ち帰りしたいという欲望のためだろう。


 ま、無理だ。それこそ土下座して口説いても、この娘が佐藤になびくことはない。

 この娘は、これで結構したたかだ。

 先程から空いたグラスの前にはドリンクメニューを回してやり、卒なく運ばれた料理を取り分けているのは、「気が利くワタシ」のアピールだっていうのは、本人だって否定しないだろう。

 ま、男性社員の前では否定するだろうけどね。



 私の冷めた感情と結望のいそいそとした行動、ともに大元の原因は同じだ。

 半年ほど前の、全社員対象のビジネス研修だ。

 講師は牛みたいな顔をした男だったけど、したり顔で私たちに問いを発した。

「みなさんは、『水を飲みたい』と言った時に、

 1番、コップに水を入れて持ってきてくれた。

 2番、コップに水と氷を入れて持ってきてくれた。

 3番、コップに水と氷を入れ、おしぼりも添えて持ってきてくれた。

 何番が嬉しいと思いますか?

 手を挙げてください。

 1番の人?

 2番の人?

 3番の人?」

 そして、最後にしたり顔でこう付け足した。

「3番の人を満足させること、これがビジネスなのです」


 私は、手を挙げなかった。

 私は水が飲みたかったら、自分で汲みに行く。水を飲みたいのは私の事情だ。誰かを煩わせたいなんて思わない。

 逆におしぼりまで添えられたら、相手の意図を疑う。

 でも、驚いたことに、3番に手を挙げた人が最も多かったのだ。


 私の予測は外れた。

 常日頃から顧客に対してのご機嫌取りを強いられているからこそ、このようなことはされたくないと思うのではないかと考えていたのだ。

 現実には、人というのはもっと因果応報を考える生き物らしい。


 私は、会社の中の人間関係に対して、一気に冷めていた。

 私がわかり合える人は、ここにはほとんどいない。

 加えて3番を選ぶ人間が多いってことは、水一杯に対してすら、やたらと要求のレベルが高い人たちばかりだってことだ。この人たちが偉くなった後は、社内の上下関係は今より絶対的なものになるだろう。

 顧客対応と社内の人間関係は別なはずなのに、この講師はそれを切り分けもせずに肯定しやがった。

 この先、どんどん会社の居心地は悪くなる。私はそんな予想をしていた。



 だけど、結望はこの研修から、私とは違う結論を導き出したらしい。

 男を釣り上げるには、気が利くところを見せてやればいい、と。

 どうせ腰掛けに勤めるのであれば、先行き有望な男を掴まえた方がいいし、そのための努力の方向を得たということだろう。でもって、この先どれほど社内の雰囲気が悪くなろうと、辞めた後は野となれ山となれ、だ。

 これもまた真、とは言えるんだろうな。


 でもって、その姿勢は男性社員にとっては良いのかもしれないけれど、私にとってウザさ満点で、早く結望が寿退社して欲しいって日々祈るようになっていた。


「すみません、つくねを一つ、タレで追加」

 私は、店員を呼び止め、そう注文をした。

「つくねならここに。

 人数分取り分けてますから」

 そう結望が言うのに、私は笑って応える。

「それ見てたら美味しそうだから、一串まるまる食べたくなっちゃったのよ。タレでね。

 ごめんなさい」

 ま、塩ではなくタレにしたのは、逃げと言うかアリバイと言うか、まあ言い訳だ。


「俺も!」

 佐藤が声を上げた。

「取り分けてもらったのを食べればいいじゃない。

 私の分、あげるから」

 と、私は佐藤を斬り捨てる。「アンタが結望を持ち上げたんだから、責任くらい取りなさいよ」と、心のなかでそう吐き捨てて。


「いや、俺も、一串丸で……」

「俺も頼もうかな」

 佐藤に被せて、課長まで口を滑らせた。


「佐藤さん、非道いっ!」

 ま、そうなるわね。

 結望にとっちゃ、せっかく気が利くワタシを演出したのに、余計なことをしたという雰囲気になったら不本意だもんね。

 でもって、課長は責められないし、私はタレで食べたいって言い訳してあったから、佐藤を非難することにしたんだろう。


 雰囲気が悪くなったところへ届く、つくね串。

 結望、涙目で私を睨むんじゃないわよ。

 美味いもの食べるのに、邪魔。



 その後、どこかぎくしゃくした雰囲気のまま飲み会は締めとなった。

 課長はそれを救うためか、会計時に急遽一万円札を1枚をお包み以外に出してくれて、表面上は丸く収まった。

 結望も先程の涙目が嘘のように、にこにこしながら課長にお礼を言っている。


 6人で店を出て、夜空を見上げる。

 人通りの狭間に入ったのか、私たちの他に人影はない。


「『星がきれい』って言いたいけれど、いくつも見えませんねぇ」

「まぁ、街中じゃ無理だよな」

「あれっ、あの星なんでしょうね?

 やたらと明るい」

 私の視界に、大きさすら感じさせるほど明るい星が入っている。

「木星かなぁ」

 課長の言葉に、みんなでもう一度天を見上げた。


 次の瞬間、その星は急激に大きさを増し、私たちの頭上に止まった。

「これって、UFO?」

 結望の震えた声。

 声もなく、かくかくと頷く私。


 次の瞬間、スポットライトを浴びたように結望の周囲だけ明るくなり、そのまま結望はUFOの中に吸い込まれていった。

 そして、一つ二つと息をする間に、凄まじい加速でUFOは飛び去っていった。



「ど、どうしましょう?」

 私の声は、自分でも可笑しいほど震えていた。

「……お、俺たちは駅手前で解散し、その後のことはなにも知らないということにしておくぞ」

 課長も震え声。

 佐藤に至っては、顎が胸まで落ちている。ま、他のメンバーも似たか寄ったかだ。


「それでいいんですか?」

 私、さすがに抗議した。

 いくらウザい後輩だとは言え、人一人が誘拐されたのだ。しかも多分異星人に。

「よくはないけど、こんなの警察に通報できんだろ。

 そもそも、警察が信じると思うか?

 俺たちが殺して埋めたと疑われるだけだ。

 この不景気な時にそんなスキャンダルが発生したら、社が傾くぞ」

 その言葉に、マスコミに囲まれた社を想像できてしまって、私は不本意に口を噤んだ。


「それに、あれが異星人だとして、俺たちにできることはあるか?」

 ぶんぶん。

 全員の首が、揃って横に振られる。

 100人規模の製菓会社のしがない経理担当課が、いくら頑張ってもどうこうできる相手じゃないのは自明にも程がある。


「つくねの恨みかなぁ……」

「黙れ、佐藤。

 この件について、二度と口にするな」

 普段はほほんとした課長が、今まで聞いたことがないような厳しい声を出した。


 とはいえ、「つくねの恨み」その一言は重かった。

 私に続いて課長に抗議をしようとしていた他の社員も、みんな一様に口を噤んだからだ。

 誰もこれでいいとは思っていない。課長自身だってそうだろう。

 でも、誰もが選択としてはこれしかないのは、頭では理解している。

 とはいえ、各々おのおのが納得させられなかった良心を、「つくねの恨み」という言葉が救ってしまったのだ。


 まぁ、あのウザいのが明日からいなくなること自体、あくまでそれ自体だけは歓迎ではある。

 私たちは無言のまま視線を交わし合い、そのままてんでに駅に向かって歩き出していた。



 − − − − − − −


 翌朝。

「おはようございます」

 出勤した社で、何事もなかったかのように結望に挨拶されて、私は絶句していた。

 次に来た佐藤も、最後に来た課長までも、一律に絶句してからおずおずと「おはよう」と返した。


 慌ただしい午前中が過ぎ……。

「今日のゆうちゃん、気が利くっすね」

 結望がコピーを取りに席を立った隙に、佐藤がぼそぼそと呟く。他の課員も耳をそばだてている。

「気なら、いつでも利いていたじゃない」

「そういう意味じゃないっす。

 仕事の計算頼んだら、快く引き受けてくれたんですよ。

 昨日までは、絶対手伝ってくれなかったのに」

「あ、確かに。

 言われてみれば……」

 私は言葉を飲み込んだけれど、続くのは「今日の結望はウザくない」だった。


「あの中身、本人じゃないんでしょうねぇ……」

「……私は、中身が宇宙人だっていいよ。

 ウザくないし、仕事ができるし、きっと焼き鳥の串も抜かない」

「俺も、まるっとオッケーです。

 ただ、口説く勇気は湧きませんけど」

「黙れ、佐藤。

『二度と口にするな』と言ったはずだ」

 私たちの会話に、課長が小声で割り込む。


「はい、なにもなかった。

 なにも見なかった。

 結望はいい娘です」

 私がそう言うと、課員たちは視線を交わし合い、ひっそりと笑い合った。


 ……つくねの恨みはつくづく恐ろしい。

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人の喰い物をいじくると、こんなこともありえます 林海 @komirin

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