「請群」

低迷アクション

第1話



近年、流行り病の影響で、ペットを飼う世帯が急増した。人と触れ合う機会が持てない

代わりに、動物に癒しを求める。ごく自然な流れである。確かに写真や映像に出てくる犬、猫は可愛い。


だが、世話をする人間の責任能力をもっと問うべきだと…常々思う。


“可愛い”、“癒される”ばかりは、最初のウチだけ、鳴き声がうるさい。

糞や尿の始末がめんどくさい。臭い…


早期にしてわかる、予想できるであろう“現実”をイメージできない人があまりにも多い。


また、世話を出来ていても、飼い主の高齢化や病気、引っ越し、家庭の事情等

“人間側の都合”がキッカケをとなり、ペットを捨てる。世話をしなくなると言った問題も

ある。


これは、ペットを可愛がる愛好家の皆さんにも言える事なので、充分に心に留めてほしい事だ。


人は自らのエゴで簡単にそれを放棄する事が多々あると思う。


現実的な問題として、今年のニュースでゴミ袋(ご丁寧に市指定を使った)の中に生きた

子猫が入っていた報道もあった。


一体、生命、命をどう思っているのか?吐き捨てたガムや生ゴミと

同じモノだと考えているのか?


しかし、この考え方を“正当”正しいものとして認識している人もいる。友人が務める会社の先輩に言わせると、ペットは飼い主の“所有物”だと言う。


「だってさ、犬とか猫は喋れないでしょ?ハンコ押せる?自分の責任、権利を主張もできないし、納税の義務もないでしょ?


つまり、動物を飼うって事は、その全ての責任を飼い主である人間が

背負う事になるんだよ。


だから、所有物!家具や車と一緒、何をしてもいい。その権利が飼い主にはある。俺も暇な時、幸せそうに寝ている飼い犬の鼻っつらを思い切り蹴ってるよ。ハハッ」


その先輩はとても良い人だと言う。仲間達の面倒見も良いし、仕事も出来る。しかし、多分、冗談で話していると思うが上記のように、時折、動物好きならゾッとするような事を、ごく当たり前と言った感じで話す。


正直、理解できないが、袋に詰める人間や、所有物と言う事を“当たり前”として認識している…そんな人間が職場や近所で一緒に働き、暮らしているのだ。


他国の悲惨な戦争や残酷な殺人報道より、身近な恐怖として怖い時がある。


前置きが少し長くなった。ここまで述べてきた事は、あくまで一主観的な意見として、ご留意頂きたい。いろんな見方が世の中を形成している。動物を飼っている、または、これから飼う予定のある人、愛好家の方達にとっては、不快な話が、この後も続く。


しかし、一度動物を飼い、それを失った経験のある筆者として言える事は、立場や視点を

変える事によって見えてくるものがあると言う事だ。


飼っていた猫は外猫で、室内と外を行き来していた。人の言葉を理解しているような素振りを見せ、家の中で粗相もしない。迷惑もなしの、お利口猫…


だが、これは、可笑しい。読者もお気づきだろう。家でトイレをしないと言う事は、何処か、余所様の土地で用を足している事になる。動物は生き物だ。人間と同じで必ずトイレをする。


当時の筆者は、それを全く気にしなかった。いや、気づいていたかもしれないが、何処からも苦情が無い事を良い事に、観て見ぬフリを決め込んでいた。そればかりか、賢くて、

大人しい猫だと


ご近所に宣伝していた。恥ずかしい話である。もしかしたら、これを聞いていた人の庭で、ウチの猫が用を済ましていたら?その人にとっては、害獣以外の何モノではない。


猫に罪はない。ただ、共に暮らす家族、世話をする、影響を与える人間によって、

どんな存在にもなるのだ。友人の先輩が言った所有物的発言にも、理解が少しは示せる。


ここで筆者がそれに気づくキッカケとなった話を以下にご紹介したい。



 友人“P”が勤める県の道路、山林管財課では厄介な問題が上がっていた。地元の山には、農村地帯が広がっており、ひと昔前は栄えたが、今は後継者が育たず、手放し状態の畑や

林が広がっている。


一時は産廃業者が不法投棄を行い、その取り締まりに随分と苦労したと言う。


「人間ってのは、勝手なモンでさ。業者の中には


“誰も使ってない場所に捨てて何が悪い?”


なんて、居直る阿呆もいたよ。だけど、厄介だったのは、これからでね。

産廃の話で、監視の緩い場所があると思ったかどうかは知らないけど…」


“飼えなくなったけど、動物は自然なら生きられるから大丈夫”


と言う手前勝手で非常に自己完結型の理論の下、犬、猫…特に猫を捨てる人間が増えたのだと言う。


「近くにフラワーガーデンがあってさ。その見物に来た帰りにポイッ、手軽な感じで捨てていきやがる。


“ごめんね。悪い人だったね。私達は、だから次は良い人に拾ってもらってね?”


なんて安物ドラマ気取りな、言葉一つ残してな。その癖、家に帰ってきてもらっちゃ困るから、自分の家から確実に離れた、帰ってこれない距離を考えた上で捨てにくる。俺達が調べた中じゃ、隣の県ナンバーの車だってあったんだぞ?


勝手でいて、そーゆトコだけ、妙に賢い…自分の嫌な事、目を背ける要項に関する徹底排除…ホントに、人間ってモンはどーしようもない」


保護した野良猫は全て保健所に送る。Pの県では、殺処分ゼロを自慢げに掲げているが、

それは“嘘”だと言う。


「担当に聞いたら、笑って


“全部、ガス室行きです”


だってさ。現実は甘くない。察しろよ?なんて空気まで漂わせてさ。


それを猫捕まえてきた地元のボランティアさん達に伝えにくくてよ。


“少し窮屈な時間を過ごすかもしれないけど、良い飼い主に会えるといいね”


なんて、言われちゃぁね。


動物里親法人?NPO?ウチの県で、どれだけ、猫が捨てられると思う?収容しきれない。何処もパンク状態だ。だけど、皆、見ないし、聞かない。わざと理解してない節だってある。


フィルターに包まれまくった、この国は当に終わってると思うよ。実際…


猫達の表情、車に積まれる時の鳴き声が忘れられない。子供殺してるような気分だった。

つくづく参った。悪夢に何日も苦しめられた」


農家の中には、捨てられた猫達を世話する家もあった。これ以上数を増やさないために

去勢手術を実費で賄い、自宅の土地で飼ってくれていた。


「正直、感謝しかない。理想面でも、現実面でも、あーゆう事が出来るのが、本当の

動物愛好家だと、俺は思う。まぁ、他人任せだから言える事かもしれないけどな。


実際、世話してる彼等がどう思ってるかまではわからない。


“行政がやるべきだろ?”


って?無理言うなよ…お役所仕事だぞ?それに良い事ばかりじゃない。農家のほとんどが

70超えの高齢世帯、彼等がいなくなった後は、誰が世話する?


それに…これは、人間ってつくづく嫌になるんだが…


アホなメディアや、何も考えてねぇ、他人が噂やSNSで呟いたり、ニュースで取り上げたりするんだ。そしたらどうなる?結果は誰でもわかるだろう?


“あそこに捨てに行けば、猫ちゃんを面倒見てくれる人がいる。私は出来ないけど、あの人達なら…”


なんて、勝手に勘違いして、自分の罪悪感少しでも減らしたくて、捨てにくる。実際増えたよ。中には、ご丁寧に箱詰めでな。段ボールの中には2、3個缶詰入れてあったのも

あったな。手紙まで添えてあった。


“この子達をよろしくお願いします。目に入れても痛くな…”


ああ、馬鹿馬鹿しいから、省略な?痛くないなら、捨てんな。最後まで飼え!バカがっ…

オマケに、紹介したテレビも、投稿者バカも全く気にしてねぇ…


“私は良い事をした。だって、これだけ、いいねにリツイートが増え…”


たって具合、最早、それだけの価値判断だ。影響なんて、何にも考えねぇ。そんな時だよ…

自分のご都合満たしの最たる馬鹿が現れたのは…」


その老夫婦は、ニュースやSNSの反響に、P達が対応していた頃に現れた。

山林近くに車を停め、餌を置いて、野良猫達を世話し、しばらくすると、車に乗って去っていく。


「自分達で引き取る訳でも、去勢手術をする事もない。ただ、餌を上げて帰っていく。現場抑えて、ごくやんわりと注意した事もあった。だけど、連中に言わせるとこうだ。


“引き取るだけの家のスペースもお金もありません。ただ、このまま見殺しにもできない。テレビで見ました。世話をしてくれる農家の方もあるんですね。だけど、全てではない。だから、私達が少しでも、あぶれた子達の世話を出来れば…”


まるで、お前達がやらない事をやってあげてるみたいな言われ方までされてな。まぁ、事実だ。文句は言えねぇ。悪い事をしてる訳ではないから、法律的にも難しい。住民達も


“困るけど、仕方ない。土地の所有者からも文句が出てないし…”


って言う、どうしようもない感を漂わせてる。だから、俺達も黙った。公用車から、毎回、その車を道で見かける度に、イヤーな気持ちにはなったがな。仕方ねぇ…」


しかし、この問題は意外な形で終止符が打たれた。


「俺達が注意して、1ヵ月くらい経った頃かな?車見かけなくなった。


所在無さげに、道に猫がたむろしてたよ。腹空かして、にーにー鳴いてるのもいた。大方、餌代が払えなくなって、止めたんだろ?


って皆言ってた。全く、無責任、いや、元々そいつ等の勝手な理想を自主的にやってた訳だから、文句言えないな。俺達は何もしてやれん訳だし…だけど」


事実は少し違った…


何日かして、Pは件の老夫婦を街のスーパーで見かける。


「昼時の買い物帰りでバッタリ、向こうは俺を覚えてなかったから、身分隠して


“以前、〇〇(地名)のフラワーガーデンに行った時、そちらが野良猫に餌をやっているのを拝見しまして、非常に感動しました。最近はあまり行かれてないみたいですが…?”


って言ったら、少し疲れたように笑って話してくれたよ」


以下は彼等の語りだ…


 

背負い過ぎました。ハハッ、おこがましい言い分です。でも良い事をしてるって

思ってました。その気持ちは今でも変わりません。しかし、足りなかった。甘かったです。


貴方が見かけたのは、いつの頃かわかりませんが、県の役人に注意を受けましてね。地元の人達も、あまり良い事のようには、見てなかったから、日中の餌やりは控えて、夜にあげようって家内と話したんです。


昔は星空の観察やデートスポットになんて理由で、車も多かったんですが、人口減に

流行り病ですから、車は私達だけ、昼間よりスムーズに、猫達の世話が出来ました。


あれは、何回目かの夜でした。いつもの常連の猫達に餌皿を並べてると、家内が言ったん

です。


“何だか今夜は明るいわね?”


言われてみると、車のライトで照らしてない部分にも光源があるような気がします。彼女の言葉に頷き、顔を上げた時、ゾッとしました。


木々の間や地面、至る所に黄色く光る目がありました。全部、猫の目です。木の上からはわかります。ですが、地面すれすれに目が二つ並ぶなんて可笑しい…


隣の家内が小さく悲鳴を上げた瞬間、それらが一斉に動き出しました。


全て猫でした。大きいのも、小さいのも、皮が骨に貼りついただけのモノも、一体、どーゆう目にあったのか?鯵の開きみたいに、左右に分かれている、焼けただれてる、足や体の部位がないモノ、絶対生きてる筈がないものまで、常連の猫と一緒に、餌をねだってこちらに


進んできます。2人で叫びながら、車に乗りこみました。


そしたら、屋根や窓にしがみついてきて、甘えた鳴き声の大合唱…


耳が潰れるかと思いました。


人なんて、勝手なモンです。可哀そう、可愛そうと言っていた癖に、いざ、世話をする。

助けを請うモノ達の数や容姿、生きてるかどうかで、簡単に投げ出すんですからね。


猫達に罪はありません。ただ、彼等は救いを求めて、人に縋っただけなのですから…


それなのに、私達は…


パニックに陥った老夫婦は車の操作を何度も間違えた。急なアクセルにブレーキ、ギアを

バックに入れたり、停止したりを繰り返した。呼応するように聞こえた猫達の悲鳴を気にする余裕は無かった。


そうやって、どうにか、下山し、迎えた朝…


乗ってきた車には、無数の引っ掻き傷と毛が貼りついていた。その何本かには、まだ新しい血がこびり付いていたと言う。


「2人の話が本当かはわからない。ただ、スーパーの駐車場に停めてあった車は、細い線がたくさん入っていたし、老夫婦が餌やりに来る事が無くなったのは事実だ。信じるかは別として、これだけは言える。猫は悪くない。人間の度量がないだけだ。情けない事にな」


山に捨てられる猫は今も増え続けている…(終)

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