15 五感

「大丈夫かい?」

 ツヨシ君に斬り掛かろうとした元チャンピオンが膝を着いたのを確認し、私は観客席からリング脇に居る彼の元にミラちゃんと共に駆け寄る。


「余裕こいてしまいました。僕もまだまだですね」

 ツヨシ君はバツが悪そうに頭を掻きながらそう応える。


「女将さん、何故……?」

 元チャンピオンであったネモイェは膝を着いたまま力なく尋ねて来る。


「食堂時代のアンタがどうだったのか正直記憶に薄い、そんなヤツより今の仲間を案じただけさ」

 そう言ったが、ソレは嘘だ。

 エデンの無名食堂常連であった一徹と言えばそれなりの付き合いはあったし、生産に関してはそれなりに助け合う間柄でもあった。

 一徹を作る前のキャラクターに関しては戦闘対してはからっきしだったが、生産職をはじめてからは穏やかな関係であったと記憶している。

 だが、今のチャンピオンとしてのネモイェはどうだろう?

 その当時の様な穏やかさは全く感じられず、利己的で身勝手な態度ばかりが目に着く、そんな悪い印象しか抱けない人物像はエデンの時に見知っていた人物とはかけ離れていたものだった。


「あの時と同じ……あの愛想の良かった女将さんはデジタル世界が生み出した幻だったんだ」

 何やらブツブツと力なく呟いている元チャンピオン。


「試合も無事終わったし、帰ろうかね」

 膝を着いたまま不気味な雰囲気を漂わせているが無害そうな元チャンピオンを無視し、私はツヨシ君に声を掛ける。

 

「師匠、姿や名前は変わっていても昔の知り合いなのでしょう? 何か声を掛けなくて良いんですか?」

「特に何かを話す事も無いよ」

 ツヨシ君はそう聞いて来るが、私にその気は無い。

 彼が私の知っている昔のままの一徹と同じであったなら、懐かしさもあって言葉を交わす事もあっただろう。

 だが、今の彼はその頃の面影すら感じられずまるで別人だ。

 そんな相手に何と声を掛けて良いのかすら私には分からない。


「帰ったら今日は新作の料理があるよ。今日はそれでお祝いしよう」

 ツヨシ君が今日の試合で負けるなんて事は微塵も思っていなかったのもあって、この数日は私自身の試合よりも【料理】と【製法】の熟練スキル上げを頑張っていた。

 生産における熟練スキル上げは材料さえ確保できるなら比較的容易に上げる事ができる。

 面倒なのはその材料確保なのだが、今回は時間も限られていた事もあり、全て市場から材料を購入して熟練スキル上げを行った。

 とはいえ、この世界の攻略情報サイトなんてものは存在しないので、結局は自身の足で見付けたものしか用意する事はできない。

 現状で全然この世界を歩いていない状態では材料を市場から調達する以外の選択肢が無かったのもまた事実だったりする。

 金銭的な出費はかなり痛かったが、熟練スキル上げの際に出来た生成物を売る事により、何とか全財産を吐き出さずに多少回収できたのを良かったとしておこう。


「お姉ちゃん、特別なハンバーグより美味しいもの?」

 ミラちゃんは興味津々と言った感じで聞いて来る。

 だからミラちゃん……特別なハンバーグでなく、アレはハンバーガーって云う別の食べ物だって……


「どうだろうね? それは帰ってからのお楽しみだよ」

 そんな事を思いながらも彼女の無邪気な笑顔を見ていると、そんな些細な事はどうでも良く感じてしまう。


 そして彼らと歩き出した時、多少の衝撃と共に腰の辺りに違和感を感じた。

 その違和感のあった場所に目を向けると、そこにはネモイェが使っていた大剣の刃先が腹から突き出ていた。


「何でアナタは向こうの世界でもこっちでも俺の目の前に現れては想いを壊すのさ? そんな存在なんて無くなってしまえば良い!」

 苦しそうに叫びながら自身の大剣を私に突き刺す元チャンピオン。

 あれ? 何だこの既視感。

 以前にどこかで似たような事が……

 そんな思いが頭を掠めるが、ゲーム世界だというのに私の意識はそこで途切れた。




▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽




「やぁ、お目覚めは如何かね?」

 意識を取り戻すと私はキャラクター選択画面を再現した空間の中に居た。

 その空間には相変わらず人影のはっきりしない培養槽がふたつと、その左端には安楽椅子に身を委ねるグレイビーの姿があったが、ひとつ今までと決定的に違うのは私と云う存在以外の誰かの声がした事だった。

 声の方に意識を向ける。

 そこにはカジュアルな文字入りTシャツにGパンの上に白衣を羽織った骸骨マスクを被ったいかにも怪しげな男が居た。

 そのTシャツには達筆な筆文字で『人の金で焼肉食べたい』などと書かれており、緊張感のカケラも無い。

 怪しさ大爆発な姿に掛ける言葉を失う。


「いやぁ、あまりにお約束なで素敵な姿に言葉も出ないか。ごめんねぇ、素顔は見せる事は出来ないからこんな格好で……」

 ちげ~よ、そうじゃねぇだろ。

 声を掛けて来た人物も自分のその姿の怪しさを理解しているのか手入れされてなさそうな髪をかき揚げながら言う。


「それで? 何か用があって私に接触してきたのでしょう?」

 このキャラクター選択の間に自分以外が入り込めるとするなら、それはきっとこのゲーム世界に深く関わっている人物であると推測する。

 その上で自分は声を掛けて来た男に聞いてみた。


「本来、自身が担当する以外の被検体に接触するのは推奨されていないんだけどね、研究者と云うのは興味を持ってしまった対象に無関心でいられない本質には抗えないようだ」

 男は事務的に物事を処理するかのように淡々と喋る。


「被検体……その呼ばれ方は好きにはなれないな」

 淡々と述べる目の前の男に対し私は嫌悪感を向けて返す。。


「とは言え、実用化もされていない技術検証の為の身元を隠匿されて者達を他にどう表現すれば良いのか……」

 怪しげな格好をした男の表情はそのふざけた仮面のせいで遮られ確認する事が出来ないが、その言葉尻は私に対して申し訳無いとも取れるような弱々しいものでしか無かった。

 それにしても身元が隠された者達……か。


「アナタは何かしらによって私の事を間接的に知る機会があり、興味を持つキッカケがあった。そう云う理解で良いのかな?」

 私は眼の前の人物がゲーム世界に深く関わっている人物だと予想したが、それ程の人物では無いのか?

 そう疑問が湧き少し問いかけてみる事にした。


「そうだね。僕の担当する被検体六十一号、君にはツヨシ君と言った方が伝わるかな。その彼に通して僕は君と云う存在に興味を持った。そして彼は今の世界に居続けるには致命的とも言える不具合を抱えた為、僕はこうして君に会いに来たと訳さ」

 私の疑問に対し何とも軽い言い方で返す怪しげな男。


「不具合? それと私に会いに来た事と何の関係があるのさ?」

 男の言い方があまりにも軽く、そして要領を得ない為に聞き返す。


「……人は五感で世界を認知する事が出来るけど、その全てが必ずしも必要な訳じゃないんだ。現に世に出回っているゲームなんかは視覚と聴覚からの情報さえあれば成立しているでしょ?」

 私の問いに少し躊躇ためらいを見せ、男は答える。


「その視覚と聴覚を除いた残りみっつの感覚のうち、どれかひとつを持って今君達の居る世界に降り立つ訳だけど、触覚を得てしまった場合、それは致命的な事なんだよ」

 そして男は言葉を続ける。


「触覚? それって触れたりする事を感じるモノだよね? それの何が致命的だって云うのさ?」

 物に触れたりする時の感覚は私自身が持っているモノだが、それの何が問題なのかまるで理解できない。

 それ故に私は目の前の男に聞き返してしまう。


「……物に触れたりする感覚だけなら良いんだけどね、触覚が扱う感覚の中には痛覚、つまり痛みに関する事も含まれる訳。あの世界では戦闘行為なんてモノも当たり前の様に存在する世界だ。そんな世界で痛覚まで正しく感じてしまうなら、それは人道的に非常に不味い状態だと思わないかい?」

 眼の前の男は慎重に言葉を選ぶように触覚を持つ事の危険性について語る。

 しかし目の前の男が云うように痛覚まで正しく感じるなら、私自身はどう云う状態なのだろう?

 戦闘を幾度となくこなし、それらは数え切れない程に攻撃を喰らった事もあるが、痛みらしいものは感じた事が無い。


「痛みを感じるならそうだろうね、でも私は戦闘で攻撃を喰らっても痛みらしい痛みなんて感じた事は無いよ?」

 男に対して自身が感じたそのままを告げる。


「ツヨシ君をモニタリングしてて、君が触覚持ちの被検体であるのはその表情などから推測は出来たけど、今までの触覚持ちとは大きく様子が異なるんだ。僕が興味を持ったのはそこなんだよ」

 彼が私に興味を持った点は理解できた。


「で、それとツヨシ君の致命的な不具合ってのが繋がらないんだけど……」

 ツヨシ君が抱えた不具合ってのと目の前の男が私に興味を持った事の関係性が理解出来ず聞き返す。


「それは……」

 男は考え込む動きをし、言葉を濁す。


「ある条件を満たすと、視覚と聴覚以外の感覚がより鮮明に感じられるようになるんだけど、それは今まで持っていた感覚だけでなく、低い確率ではあるけど新たな感覚を獲得してしまう事もあるんだ。ツヨシ君は新たな感覚で触覚を獲得してしまい、それは痛みを感じる事になってしまったとも言える訳さ」

 男の言い分は理解できる。

 しかし自分の感覚と照らし合わせてみると、それの何が致命的なのかは理解できない。


「痛みを感じるとは言ってもたかだかウレタン棒で強く叩かれた程度の衝撃でしょ? それの何が問題なのさ?」

 私は自分が戦闘の際に受けるダメージ程度の何が致命的か分からない為、素直に目の前の男に聞いてみる。


「え? それが君が感じているモノなの? 普通は攻撃のひとつでも喰らえば、その痛みでのたうち回る程度の痛みは感じるモノだよ。でも、それで理解できたよ……やたら胆力があって痛みを堪えているのかと思ったら、そう云う感じでしかダメージを感じていないなら納得だ」

 男は驚いたように返し、後半は何やら考え込むように話をしていた。


「で、ツヨシ君の話だけど、触覚を得てしまったってのは今はまだ痛みを感じるにしても弱いものだが、これから先、その感覚はより強いものになる。簡単に言えばより強い痛みを感じる様になり、そうなってしまうとこの世界での戦闘行為は恐怖心などから避けしまう事が予想される。そうなってしまうと僕達にとっては非常に都合が悪いんだよ」

 触覚を持つ事によっての彼ら側の言い分は分からなくも無い。


「自分は世界に放り込まれた側だからアレだけど、管理側がそんな話をしても良いのか?」

 あまりにも軽い感じで話す目の前の男に思わず私は聞き返してしまう。


「良いの、良いの。君だって時期が来ればそのうち担当から明かされる内容だから。知るのが多少早くなっただけだと思って」

 あまりにも軽いノリで男は答える。


「で、ここからが本題だ」

 少し間を空け、先程までの軽いノリとは打って変わり、声のトーンが変わる。


「そんな致命的な感覚を得てしまったツヨシ君だけど、今後の事も考え彼をこの世界から離脱させる事にした。んで、君にも選択して貰わなきゃならないから僕はここに居たりする」

 今までの軽薄そうな喋りは鳴りを潜め、まるでその姿よろしく悪役がその決め台詞を語るような口調で私に語りかけて来る。

 その雰囲気に私は言葉を返せなくなる。


「さぁ選んで貰おうか、君はツヨシ君との関わりを忘れるか、それともソレを抱えたままあの世界に戻るかを……」

 その問いはまるでラスボスが最後の戦いをはじめる前の口上の様に重々しいものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る