15 夢の中の現実

 耳元で誰かが大きな声で語り掛けながら、その身を包んでいた安寧の象徴を剥ぎ取る。

 お前は鬼か!

 大きな声で語り掛けていた存在は薄暗さを保つためのカーテンを取り払うような勢い解き放ち、陽の光を部屋の中へ誘う。

 その人物姿は逆光でシルエットしか確認できない。

 あぁ、この人を知っている。

 ……でも、誰だっけ?

 声の人物に促されるままに自分はベッドからその身を起こし、寝間着を脱ぎ捨て繰り返されるルーティンを消化するために行動を開始する。

 先程の声の主はまた何かを言っているようだが、それは喧騒ノイズとしか感じられず、何を言っているのかさえ理解できない。

 エデンとオンラインで繋がっているスポーツグラス型の拡張現実ARメガネを手に取る。

 階段を降りリビングに向かうと、何やら言っていた人は手早くテーブルに目玉焼きを乗せたトースト、小鉢盛られたサラダ、マグカップから程よい湯気を立ち上っているポタージュを用意する。

 拡張現実ARグラス越しにそれらを見るとカロリーが表示されているのが確認できる。

 朝食を用意した人物の口元は幸せそうな笑みを湛えているが、確認できるのはそれだけで相手の顔がどうもハッキリと認識できない。

 それらの用意された朝食を口に運ぶ。

 歯応えは全く無い味付けされていない寒天のような食感、それはいつも通り・・・・・のものだった。


 朝食を終えた後、自分は自室に戻る。

 自室の机の上にはエデンからの情報を表示させる為のモニタと、それらを操作する為のキーボードが置かれている。

 拡張現実AR グラスのテンプルに備えられたボタンを操作してモニタを表示させ、エデンを利用できるようにする。

 自分は仲間達の待つエデンの世界にログインする。

 画面は見慣れた三人のキャラクターが表示され、メインで利用しているグレイビーを選択。

 ログインが完了するとミローリ族の彼女は少ないポリゴンで描かれたベッドの脇に現れる。

 モニタの中で背後からの俯瞰ふかん表示された彼女は元気良くベッドの置かれた部屋を飛び出し、階段を勢いよく降りる。

 一階部分はカウンターを構えた小さな小料理屋を思わせる作りになっている。

 ここがフール一家の活動拠点であり、そしてチーム無名食堂の会合場所でもある。

 さて、今日は何しようかね?


「女将さん、頼まれてた竹串を持って来たぞ」

 ログインしていつものように手持ちの材料で料理をしていると引き戸を開け、入ってきたオーグル族の男はカウンターの席に着きながら言う。


「一徹の旦那、いつもすまないね。アタイは木工に関してはまるっきりだから、中間素材を卸して貰えるのは有り難いよ」

 席に着いたオーグル族の一徹にビールを出しながら言う。

 料理に関して作れないものは無いグレイビーではあったが、それは材料が揃っていれば、だ。

 その材料の中には【収穫】や狩りだけでは集められない物も多い。

 いくら自身が戦闘もこなし、その多くの料理材料を集められると言っても、不得意とする場所だったり、道具に近い料理素材などはどうしようも無い。

 一徹に卸してもらった竹串もそのひとつで、これは竹を【伐採】して【木工】で加工しないと入手する事はできない。


「こっちも助かってんだ。木工なんて家持ちでも無けりゃ需要も無い不人気熟練スキルだ。小さくても定期的に利用してくれる女将さんの存在が有り難いよ」

 多くの武器や防具を生産する【鍛冶】に比べて【木工】は一部の弓などでしか使われない。

 家を持っていたりする者からすると家具を作ってもらったりする事もあるのだが、一度作ってもらえば壊れる事なんてまず無いものなので、結果として仕事として求められる事は少ない。


 無名食堂というチームは初めはグレイビー個人が冗談半分でその名前だけを目的で作ったものであったが、拠点とする家の購入をし、内装もそのチーム名にちなんで小料理屋風にすると、物珍しさも手伝って人が集まるようになった。

 最初の事はそんな集まった狩りに出掛けたり、何する訳でも無くお喋りに花を咲かせていたりしていた。

 そのうち生産をメインに遊んでいた人達は互いで出来る事を相互援助しはじめ、戦闘メインの人は生産材料を集める際の護衛などをするのが自然発生的に行われるようになった。

 そんな人達が無名食堂というチームのメンバーになるのはある意味自然な流れだったのかもしれない。

 メンバーのは自らの事を食堂の常連と称し、リーダーであるグレイビーは女将さんと呼ばれ、それなりに慕われてた。

 無名食堂と呼ばれるチームはいつしか五十人を超える大規模なものになっていたが、それだけ大人数になってもレイド戦や攻城戦といったMMOの華とされるものには参加する事は無かった。



「今度のオフ会、女将さんも出席するんですよね?」

 そう聞いてきたのは常連のひとりだった。


「あぁ、皆に会えるのが楽しみだよ」

 そう他の常連の相手をしながら答える。

 ゲーム内の陽も落ちると常連達はこの無名食堂に集まって思い思いの時間を過ごす。

 集めたアイテムの交換だったり、お喋りで時間を潰したり。

 その時間をより楽しいものにする為、グレイビーはホスト役に徹する。

 これがグレイビーというキャラクターのエデンでの楽しみ方だった。

 エデンでは音声チャットによって会話を行うが、使用しているキャラの性別や種族によってそれらしい声に変換される。

 なので、ここに集まっている人達もその見た目から逸脱した声で話す者達はいない。


「女将さんいつもオフ会は参加しないから俺たちも会えるの楽しみですよ」

 そう返して来たのは先程とは別の常連だった。


「断ってばかりってのもアレだからね、今回は出る事にしたよ」

 そう言ったものの自分の発した声に違和感しかない。

 向こうの世界・・・・・・ならこんなダミ声じゃないのに……

 そんな自分の思いなど誰も気付く事なく、今日も無名食堂は騒がしいまま時間が過ぎていくのだった。



 自分はチェーン店の居酒屋でジョッキを煽りながら、その喧しさの中に身を委ねていた。

 透明なジョッキの中で綺麗なライムイエローの液体が大量の氷の中で踊り、キラキラと炭酸の泡がその氷を伝いって浮かぶが、それを口に流し込めばいつものよう・・・・・・に味の無い緩いゼリー状のものが運ばれて来るばかりだ。

 今日は無名食堂の女将としてでは無く、エデンという世界を楽しむユーザーのひとりとしてこの場に参加していた。

 参加している人達の一部は現実リアルでも交流があるみたいで、慣れた感じで場の雰囲気を楽しんでいる。

 言語として認識できない喧騒、味のしない飲食物たち、そして雰囲気にあてられて体温が上昇でもしたのだろうか、着ていたトレーナーを脱ぎだす一部の男たち。

 参加している人数は三十名前後、その集まりは男も女も半数づつといった感じだが、確かにこれだけの人数が一同に介せその熱気でトレーナーを脱ぎたくなるのも理解できない訳ではない。

 自分はと言えば冬用のセーターを着込んでいるが、そんな会場の中に居ても不思議と暑さなどは感じないし、手に持っているジョッキも重さは感じるものの、氷が大量に入っているにも関わらず冷たさなんて無かった。

 参加したオフ会の参加者から度々何か語り掛けられるが、その発している言葉は喧騒ノイズとして感じられず、自分はそれに対して愛想笑いを返すしかできないでいた。

 そんな楽しさも感じられない集まりの中でどれだけの時間が過ぎたのだろう?

 会場の奥でひとりの男が立ち上がり、何かを言っているようである。

 相変わらず自分には喧騒ノイズとしてしか認識できないが、皆が自身の持っている財布からお金を出している事からオフ会の終了を告げられその会費を出しているのだろうと推測できた。

 自分も皆のその行動にならい、樋口一葉を出兵させる。


 会場を後にし、ネオンの光で飾られた繁華街をそれぞれが帰宅する為に歩く集団。

 来た時にはまだ夕刻だったので会場を出ると、その雰囲気の違いに驚かされる。

 オフ会の席で飲み過ぎたのだろうか?

 なんだか足元が少々おぼつかない。

 そんな久しぶりに感じる軽い酩酊を楽しみながら、自分は一緒の会場を出て来た者達と線路沿いの道を歩いていた。

 少し前を歩く彼らはひじょうに愉しげだ。

 自分の隣では何やら語り掛けてきている者が居るが、やはりこの人の言葉も喧騒ノイズとしてしか認識できず、何を喋っているのか理解できない。

 それでも気分を害させないように自分は愛想笑いを返し、その人物の歩幅に合わせて歩く。


 しばらくそうやって歩いていたが、帰宅する為の電車に乗る為には踏切を渡ろうとした時だった。

 踏切に数歩入った所で電車が近付く警告音が鳴りはじめた。

 慌てて踏切から出ようと小走りになるが、隣を一緒に歩いていた人はその自分の行動に驚いた様子で少し遅れての反応になる。

 遮断器の棒が降りる中、その足の速度を上げようとした時、腰の当たりに何やら強い衝撃が走る。

 衝撃を感じた部分に違和感を感じて手で確認すると、そこには何か棒のような物が生えていた・・・・・

 その棒のような物の感触を確認はしたが、何故だかその辺りにやたら熱さを感じる。

 と同時に身体全体は急激に寒気を感じ、膝の力が抜ける。

 オフ会になった会場から前を歩いていた歩いていた集団は、そんな自分の様子を見て何やら慌てている様子だった。


「憧れていた女将さんが貴方みたいな人である訳が無いんだ!」

 崩れ落ちる自分の身体を支えられず倒れ込む自分にそう叫ぶ人物。

 今まではどんなに話しかけられたりしても喧騒ノイズとしてしか聞こえなかったのに、何故かその言葉だけはハッキリと言葉として聞こえた。

 その声の主は先程一緒に歩いて人だった。


 繁華街の中で倒れ込む自分、街の明るさに照らされ星たちの輝きなんて確認もできない深藍の空。

 そこにはエデンの空でしか見る事のできない双子星が浮いていた。

 どうやらここもリアルに作られただけの幻想だったらしい。

 自分の現実リアルはどこに消えてしまったのだろうか?

 そう思いながら自分の意識は見上げた深藍の夜空に呑み込まれていくのだった。




▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽




「……う、師匠。起きてください」

 そう私の身体を激しく揺すり、叫びにも似たような感じで語り掛ける声。

 声変わりする前特有の中性的なそれは私を慕ってくれている人のものだ。

 その声に安心感を得ながら静かに瞼をひらく。

 そこには心配そうな様子のツヨシ君がおり、自分は往来の真ん中で眠り込んでしまっていたらしい。

 周りを確認すると先程まで認識していたネオン街では無く、雑にも感じるポリゴンで構成された街が確認できる。

 空を確認すると抜ける様な青とコントラストを感じさせる雲の白、そして先程目覚める前にもあった双子星。


「ただいま」

 ……私の現実に帰って来た・・・・・事に何故か大きな安心感を得たのだった。

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