鳥貴族と、大きくなる眼鏡

猿川西瓜

お題 焼き鳥が登場する物語

「貴族、責任のいらない貴族になりたいんだよね」

 ナユタはなんの躊躇もなくそう言った。鳥貴族の『貴族』の部分の話題から、まさかそんな一言が出てくるとは思わなかった。

 これでそこそこイケメンでなかったら、殴っている所だろう。けれど、笑うとふにゃっとする顔に私は弱くて、いつもごまかされてしまう。あと、腰の筋肉。


 「どの国に行っても敬意を払われて、何をするのも自由で、どんな時事にも一家言あるような立場で、それでいて苦労を重ねてきて一人前になった風をかもしだしていて、好きなことをしゃべるだけでお金がもらえて、みんなが俺の味方で……ところで、まだ出てこないのか? 焼き鳥」

 10月なのに夏日のような暑さが続いていて、長袖Tシャツ一枚で充分なくらいだった。その長袖をおじさんみたいに少しまくって、早口でまくし立てたナユタは、鳥貴族の店内をキョロキョロ見わたした。仕事帰りのサラリーマンが多い。手を叩いて爆笑する声が響く。ナユタは軽蔑のまなざしを向けていた。

 ナユタがいったいどんな仕事をしているのかわからない。フリーライターと言っていた時もあるし、アドバイザーだとかアンバサダーとか言葉の端々に飛び交うこともある。私は、人の職業を詳しく聞いて踏み込むことに良い印象を抱いていない。何も聞けないまま、ずっといる。


 そんな正体不明のナユタに関して一つだけ言えることは、彼と会うたびに眼鏡がでかく、丸くなっていくことだけだ。彼の眼鏡は最初、レオンのレオンが着けているくらいのサイズだったが、気が付くとのび太ほどの大きさになっていた。これだけは確かだった。


「さっき注文したばかりだよ」

 私はキッチンをちらりと見た。ベトナム人らしい風貌の男女が一生懸命、焼き鳥を作っている。煙はもうもうと濁流のように換気扇へと注ぎ込まれていく。煙で彼らの肺がやられてしまわないか心配だった。疲れた顔をしたリーダー格の女性が、泡立つビールジョッキを二つ、私たちのテーブルに置いていく。

「ねぎま、ハート、きも、チャンジャ、枝豆。色々頼んだんだけど、まだですか?」

 私が言う。ナユタは自分からは言わない。言うときは、言う人に言わせる形で言う。

「はい、すみません、確認しますね」

 マスクをしながら、とろんと半目になった表情でリーダーの彼女は言った。黒い服と紺の前掛けが、少しサイズがあっていない。普通の子よりも痩せているような気がした。

 注文はタブレットから行うので、すべてキッチンに直接届けられる。料理する人数が足りていないのだろうか。まさか三人でこの百人近くのフロア全部をカバーしているのだろうか。まさか。


「ここ、店員少なくない?」

 と、私が言うと、

「うーん」

 この「うーん」というのはナユタの性格がよくあらわれたもので、「いま、俺はそういう問題意識でしゃべっているんじゃないんだけどなぁ」というものだ。

 でも、正解は「注文、忘れたのかな」でもなければ「きっと貴族になれるよ」でもないし、ましてや「ここの焼き鳥、おいしいよね」もない。

 いまだにナユタにどのような言葉をかけたらいいか、全く分からない。


 ナユタは、私が高校教員として働いているころに、とあるギャラリーで出会った。付き合って、もう1年半ぐらいになる。コロナ禍のなかで、激務だった私は、彼と付き合っているとはいえ、ほとんど会えることは少なく、たまにナユタの家に転がり込み、泊りもせずにタクシーで帰ることを繰り返すばかりだった。旅行もデートもろくにした思い出がなかった。レストランも閉まっている。彼の家に通うだけだ。


 縦長の黒い皿が並び始める。届いた注文をナユタは串から外さずに食べる。この辺は、男だなと思う。私は『北海道 海と大地のポテトサラダ』と『カマンベールコロッケ』と『塩だれキューリ』を食べていた。


 まん延防止も解除されて、ようやくレストランにみんなが恐る恐るだけど通えるようになった時には、私たちはすでにお互いの半裸姿を見ても特に何も思わないくらいの関係になっていた。

 どこかの隠れ家イタリアンでもなく、ホテルのディナーでもなく、鳥貴族……悪くはないけれども、自分だけじゃなく、私のことも考えてほしい。

「はい、誕生日おめでとう」

 私はドレスキンの男性用ハンドケアセットをプレゼントした。ネイルを綺麗にしたいと言っていたからだ。

「うわー、ありがとう」

 両手をあわせて幸せのポーズをとってナユタは喜んだ。それから、開ける前の写真、開けた後の写真を撮って、インスタにたぶんアップしていた。


 キモを食い、ビールを流し込む。いくら食べても太らないという。外でこんな風に食べる彼を見るのは初めてかもしれない。

 私も男だったら、胃の中に、流し込みたい。


 キモを胃の中に、ビールとともに。

 かー! たまらねえな! 

 ゲエエエエエプ! アウッ! アウッ!!


 私が男だったら、絶対、それをやりたい。この声付きで。

 けど、私がそれをやったら、ナユタは去っていく。

 なぜなら、そういった、『男っぽいことする女』を演じる感じが彼は嫌いだからだ。誰かに媚を売っていて、自分を立ててくれない。簡単な手段で注目を集めようとしている。そう彼は思うからだ。自分より注目を集めようとすることが嫌なのだ。

 たぶん、焼き鳥屋に連れてきたのも、「焼き鳥とかよゆーでいくよ私」みたいな、を演じてるやつが嫌いだから、こいつが嫌いな人間かどうか確かめるために連れてきたのだろう。私はじっと黙って女子としてふるまう。


 私は少しずつアルコールを摂取しながら「ほんと、なんかないかなぁ、貴族になる方法。小室ケーさんみたいに。愛を貫徹したいじゃない。眞子さん、すごいよね。皇族なんて、身分ぜんぶ捨て去って。たしかに彼は、マザコン、胸毛、無職の3Mだけれど……」と饒舌に語ってみた。身分関係なく、男女みなが思うことは、眞子さんとは結婚してもいいかもだが、小室はダメだ、ということだった。

 私は、こんな風に人と開放的な場で雑談するということが久しぶりだった。彼の家に行って、求めあって、会話もそこそこに帰宅する。その繰り返しではない、新しいリズムが世間に戻りつつあった。

「くっく」

 と、ナユタはうつむいて笑った。小室ケーは何を言っても大丈夫そうな貴族なので、よかった。ウケたみたいだ。

 しかし、彼の口から「下品だな」とつぶやきが聞こえた気がした。

 そして、あごに手をついて、黄昏たような目で忙しく走り回る鳥貴族の女性リーダーを眺めていた。

 私が食べ終えてないのに、ナユタは「そろそろ行こうか」と言った。


 会計を済ませて、9階のエレベーターから降りて、外に出る。マクドナルドから、クサいにおいがする。

 案の定、「別れよう」と告げられた。

 この1年半、通いに通いまくって、最後の会話が小室かよ!


 私は無表情のまま、頭の中は情けないやら、悔しいやら、馬鹿らしいやらで、ツッコミだらけになっていた。

 ナユタについては、好きかどうかはわからなかったけれども、少なくとも嫌いじゃなかったし、自分の身体の一部が引きちぎれるような気持ちになった。

 私はいつもやっていたみたいに、マスク越しにキスされそうになった。

 ビル前は、人が多いし、嫌だった。

 コロナ禍の中、私は彼の家を出て帰ろうとするとき、必ずマスク越しにキスをした。マスクとマスクをくっつけると、布ごしに唇の柔らかさが感じられる。その状態で何分もキスをしていたこともあった。

 別れのキスか。

 私は俯いて、ナユタの顔をかわした。彼は微笑んだ。

 これは『正解』だったらしい。



 家に帰る。

「ただいま」

 私が言うと、ヌーちゃんが「おかえり」と言った。ヌーちゃんは、編み物が得意な男の人で、その裁縫スキルで服も作ることができる。スキンフェードの髪型で、筋肉はナユタよりもあるのに、女性っぽくて柔らかい仕草をする。

「別れてきた」

 私は小物を作っているヌーちゃんの側に、ぐでーっと倒れふした。 

 彼の作ってくれた黒の布マスクを外す。もうこれでナユタとマスク越しにキスすることもない。

 ヌーちゃんのマスクや手袋は、丁寧で丈夫に作られているし、私の顔にとても似合うのだった。


 ヌーちゃんの作業が終わるのを見届けてから、彼と一緒にお風呂に入った。長い時間入っていたと思う。


 朝起きると、ヌーちゃんが、エッグトーストとコーヒーを作ってくれていた。

 テレビ番組では、感染者の推移と、医療関係者のコメントが流れていた。もう二年以上もこの状態だ。止まった世界の中にいるみたいだ。バイオリンの女性があらわれて、ラジオのジングルのように、時間を告げるアナウンスとともに生演奏を行っていた。

 あのバイオリニストが、ヌーちゃんの恋人なのだという。付き合っているのか結婚しているのか分からない。私はあまり踏み込むことをしない性格なのだ。それに、彼が何をしているのかも、もちろんわからない。バーで出会って、よく話すうちに、私の部屋を自由に出入りすることになった。

 ヌーちゃんは、いらない男避けには最高のネタだった。声をかけてきた気に入らない男性には、家に編み物が好きな男性がいると言って、ヌーちゃんのかわいさを語ると、みんなすぐに話題を逸らすか、「あ、そう」みたいな顔になって去って行く。


 ナユタのように、ヌーちゃんがいつ去って行くか、私にはわからない。

  

 私はヌーちゃんのカードで買い物をする。だから、部屋に勝手に彼がいてても、何も思わないのだろうか。百貨店に一人で行って、私は化粧品と本を買った。それから、アガットやノジェスのジュエリーを見て回ってから、アイウェアショップのアイシンクヒロブに立ち寄った。

 色々と眼鏡を試着するうちに、一つ買うことにした。今着けているのよりも大きいものだ。値段は結構したけれども、私は新しいスタートのため、今までの眼鏡を外すことにした。


 私の眼鏡も、だんだん丸く、大きくなっていくのだった。




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