【クラスアート②】
それから数日が経過していた。五時限目、ホームルームの時間。文化祭実行委員の選出が行われる。
最初に文化祭の出し物である演劇の実行委員を決めたのち、クラスアートを担当する実行委員の選出に移った。選出人数は全部で五人。この後さらに続けて、喫茶店の準備を担当する委員を選んでいく予定だった。
一番最初に決まったのは稔。言わずもがな、の立候補。続けて決まったのは、他薦により、彼と同様美術部に所属している水瀬茉莉。
ここまでは順当とも言える結果だが、周囲に聞こえることも
三人目に決まったのは、背筋をぴんと伸ばして凛々しく立候補した木下朱里。
「おお」という声が教室中から持ち上げる。
長身を生かしバスケットボール部でシューティング・ガード (得点力を求められるポジション)を務めている木下に、文科系のイメージは薄い。クラスメイトたちが、驚きの声を上げるのも頷けるというものか。だが僕は、納得すらしていた。
まあ、そうだよね。水瀬が決まった後で君が立候補するのはむしろ必然だよね (棒読み)。
四人目として選ばれたのは、稔の推薦で徹。
「なんで俺なんだよ。絵、なんて書けないよ!」
徹は即座に不満の声を上げたが、「荷物持ちとか雑用係も必要なんだ」という稔の一声と、再三の目配せで渋々了承した。宿題を忘れるたびに写させて貰っている関係上、徹は稔の奴に頭が上がらないからな。
問題なのは、ここからだった。五人目が決まらない。立候補する流れは完全に止まり、推薦されると厄介だと考え始めたクラスメイトたちが、誰とも目を合わせないよう視線を泳がせ始める。
もっともそれは、僕だって同じこと。
我関せず、を貫いて、窓の外へと視線を向ける。早く誰かに決まって欲しい。時間が過ぎ去って欲しい。そればかりを考えていた。
なんとなく……昔の美化委員決めの顛末を思い出してしまう。あの時は僕が立候補したんだっけか。
立候補、か。
立候補すれば、これといった策を講じることもなく、疎遠になっている水瀬との関係が修復されるんだろうか。そんなことをつらつらと考え始めた矢先、
「水瀬さん、誰か推薦したい人はいませんか?」という先生の声が聞こえる。
寄りによって水瀬に訊くのかよ、と僕が頭を抱えそうになったその時のこと。
「早坂君が、いいです」
透き通った高い声が、教室中に響きわたる。
凛とした響きだった。
迷いのない、宣言だった。
彼女の声を聞くこと自体が久しぶりな気すらして、誰が発言したのかと声の主を探してしまった程だ。
推薦されたのが意外な人物だったせいか。それとも、水瀬にしてはハッキリとした口調で語られたせいか。
水を打ったように静まり返った教室。一拍ののち、ざわつき始めるクラスメイトたち。
びっくりして水瀬の方に顔を向けると、彼女もこちらを向いていたため、意図せず視線が絡み合う。
緩やかに下がった目尻。僅かに綻んだ口元。
笑ってる……? 自惚れだろうか。それでも僕には、水瀬が笑っているように見えた。
「水瀬さんの推薦ですけど、早坂君はどうですか?」
確認を求める担任教師の声に我に返ったように教壇の方に目を向け、そしてゆっくり頷いた。
本当に、どういうわけか。あんな、何かを期待するような目を向けられたのでは、断ることなどできようはずがない、というのも理由だが、まさに渡りに船のこの状況を見逃すのは勿体無い、というのがむしろ本音か。
こうしてクラスアート実行委員は、稔をリーダーにして、僕と徹と木下朱里。そして、水瀬茉莉に決まった。
これはもう──いよいよ波乱の予感しかない。
◇◇◇
その日の放課後。クラスアート実行委員のメンバー五人は、早速美術室に集結していた。中央に置かれた木製テーブルの真ん中に稔が陣取り、彼の左右に僕と徹。向かい側に、水瀬と木下が並んで席を取った。
「まず、何を描くのか、メインテーマを決めよう。それから二手に分かれて、画材の買い出し及び準備に入っていく。期間は二ヶ月弱しかないんだから、各自気を引き締めて望むように」
稔が全員の顔を見渡して、声高らかに宣言すると、徹が「へいへい」と気の無い返事をした。マジメにやれ、と言わんばかりに、稔が彼を鋭く睨む。
嘆息したのち、一人に一枚ずつA4サイズの紙を配っていく稔。どうやら、
流石というか、やはり立候補しただけのことはある。学校祭までの進捗スケジュールと、必要になる画材のリストが、紙一面にぎっしりと書き込まれていた。「こりゃあ買出しが大変そうだ」と、徹がそっと愚痴をもらした。
「メインテーマっつってもさあ、どうすんの? 人物を描くの? それとも風景画? 人目を引き易いものを選んだ方がいいんだろ?」
文字を目で追いながら、徹が矢継ぎ早に疑問を並べる。そんな彼を横目に見ながら、本当に中身を理解できてるんだろうか、と余計なことをふと思う。興味があるものと無いものとで、使われる脳のメモリが違いすぎるのが彼の特徴。
さて、我が校で行われるクラスアートだが、生徒及び観覧しに訪れた父兄らに一票ずつの投票権が与えられることになっている。『良かった』と感じたクラスアートに投票してもらい、学校祭終了間際に全て集計し、得票数と選考員 (主に生徒会役員と教師)による評価を合わせて検討し、金賞~銅賞までを振り分けるシステムとなっていた。
当然のことながら、見た目が派手な作品ほど票を集めやすいという傾向がある。
そんな訳で、綺麗な風景画や人物画のみならず、奇抜な色使いをしたアニメのキャラクターを描くクラスも多い。他クラスの情報をリサーチし、題材が被らないよう考慮することも重要な要素である。題材決めの段階で、既に戦いは始まっているのだ。
「やるからには無論、金賞を狙う」
稔が声を張り上げ拳を握る。
「幸い画力には僕だって自信があるし、水瀬にいたっては僕以上だ。題材さえ間違えなければ、十分にいけるはず」
裏を返せば、題材選びには失敗できない、ということだろうか。それにしても、と
「だったらさ。やっぱりゲームとかアニメのキャラを題材にした方が良いんじゃないの? 徹が言うように目立つし、票を集め易いと思うんだけど」
僕が提案すると、稔が腕組みをして「うーん」と唸った。
なんていうんだろう、と言葉を選ぶように稔が話し始める。
「そういった、元ネタがある題材ではできる限り勝負したくない。可能であるならば、僕たちにしか描けない題材でチャレンジしてみたいんだ」
「ああ、なるほどね」
「それはなんとなく、分かる」
と、僕と木下の同意する声が揃った。
確かに稔の意見はもっともだ。もっともなのだけれど、そうそう良い題材なんて見付かるんだろうか。
考えを纏めようとしているのだろう。動かずじっとしている稔を、他の四人が無言で見守る、という構図がしばらく続いた。
「……ちょっと、いいかな」
ここまで押し黙っていた水瀬が口を開くと、「どうぞ?」と稔が反応する。
「あたし、描きたいものがあるの」
水瀬が、鞄の中から一枚の紙を取り出して机の中央に置くと、みんなの視線が集まった。
それは、一枚のスケッチだった。描かれているのは、月が見える夜の丘と、丘の全景を彩るように咲き乱れる紫色の花々。下書きの上に薄く色を塗った程度の簡素な水彩画であったが、それでも、しっかりと描き手の高い画力が伝わってくる。
整った構図。繊細な色使いが玄人染みている。もっとも絵画に疎い僕では、これ以上上手い褒め言葉が見つからないが。
「これは?」という稔の質問に、水瀬が答える。「小学生の頃に何度か行った、公園の裏側に存在している丘なの。ここからだと、ちょっと遠い場所になるんだけど……」
と、言うことは?
「これって、水瀬が描いた絵なの?」
頭の中に浮かんだ疑問をそのままぶつけると、水瀬は無言で頷いた。
マジか。なるほど、水瀬に対して、稔が羨望の眼差しを向けていたことも納得だわ。
「綺麗だし、いいんじゃない。これ描こうよ!」
そう同意したのは木下。
「なかなか、悪くないんじゃないの。これって、水瀬が小学生の時に描いたんでしょ? 凄く絵が上手いんだね」
と続けたのは徹。僕も同感だった。小学生のころ描いたものだと考えると、より一層驚きが深くなる。
だが稔は、それでも変わることなく腕組みの体勢で唸り続けた。
「悪くはない。悪くはないが……このスケッチだけでは、ダメだ。というか、判断しかねる」
「どうして? これじゃダメなのか?」
意味がわからない、とばかりに問い返す。軽く腰が浮いて、椅子がガタンと音を立てる。
ダメだ、と稔は即答した。
「確かに題材として悪くはない。だが、これは所詮下書きに色を載せただけの物。ここから完成された絵画に持っていこうとしても、圧倒的に情報量が不足している。言いたいこと、わかるか?」
「色彩とか構図がわからない、ということか?」
「だいたいそういうことだ。このスケッチをベースに仕上げたとしても、到底オリジナルの風景を再現することは叶わない。そんな
立て板に水とばかりに捲くし立てたのち、稔は水瀬に視線を向けた。
「ところでこの絵の場所まで、どのくらい離れているんだ?」
「ここから二つ先の駅まで電車で向かって、下車した後、路線バスを使って十数分の場所」
水瀬の返答に、なるほど……と言いながら、稔は紙の上にメモを走らせる。やがて、よし……と、ひとり納得したように頷くと、顔を上げた。
「今週末から早速動こう。まず、僕と徹と木下の三人は、リストアップした画材の買い出し。必要な経費は、木下が先生から借りて来て管理してくれ」
「え~、なんでよ」と木下が不満そうに声をあげる。「私も茉莉と一緒に行動したいんだけど」
しかし、「ダメだ」と稔は否定した。今日はいつになく言葉が強いな。
「荷物持ちと金銭管理で、最低でも二人は必要だからな」
すなわち、荷物持ち=徹。金銭管理=木下、という話なのだろう。
「それから、水瀬と翔は現地に向かって、何枚か写真撮影やらスケッチをしてきて欲しい。その中から、構図に使う一枚を後ほど決める」
「それは分かった。でも、なんで早坂と茉莉が一緒なのさ?」
全然納得できない、と木下が稔に食って掛かる。だが動じることもなく、稔は冷静に対処した。
「翔は写真撮影が趣味だからだ」
稔の発言に思わずギョっとしてしまう。え、趣味だって?
「だから、スケッチをするなら水瀬、写真を撮るなら翔が適任なんだ。それに、不満があるんだったら実行委員から外れてもらうぞ? あくまでも、リーダーは僕なのだから」
そこまで言ったところで、稔が僕に目配せを送ってくる。どうやら (話を合わせろ)ということらしい。確かに、写真を撮ること自体は嫌いじゃない。趣味で時折撮影もしている。だが、『カメラが趣味です』なんて公言できるほど精通しているかと問われるとなんとも微妙なところ。あくまでも、趣味の
だが、それでも、ここは稔の好意に乗っかっておくべきだろう。これこそが、彼のいう『僕に任せろ』の具体案なのだろうし。
「そ、そう。写真撮影は趣味なんだ。だから、任せて欲しい」
うっかり笑ってしまいそうになる程の棒読み。頼むから、これ以上カメラの話題を掘り下げないで、と心中で願っておいた。
「あれ、お前カメラなんて」と徹が言いかけると、「おほん」と稔が大袈裟に咳払いをした。
「まあ、そういう事なら」
渋々納得したように、木下が呟いた。しかしこちらに向いた顔には、『間違っても、変なことはするなよ』と書いてあるようだった。表情を上手く認知できない僕でも、好意的じゃないのだけは痛いほどわかる。
意味がわからない、と言わんばかりに、きょとんとした顔で首を傾げる水瀬を見ながら、僕は肩を竦めた。なんにもしないよ、という木下へのアピール。
こうして、クラスアート実行委員の最初の仕事が決まった。
「よろしく……」
はにかんだように、水瀬が右手を差し出してくる。
「ああ、こちらこそ。宜しくお願いします」
恐る恐る、彼女の手を握り返す。小さくて、華奢で、力の入れ具合を間違えると壊れてしまいそうな、それでいてふっくらと柔らかい手のひら。女の子の手なんて握ったことのない僕には新鮮な感触だ。
「出発は、何時にしようか?」
羞恥から熱を帯び始めた顔。視線を逸らして、水瀬に尋ねた。
「そうね。六時半に駅で」
「六時半? 随分と早いんだね?」
と僕が尋ね返すと、「ああ、ごめん」と目を丸くしながら水瀬が補足した。
「六時半と言っても、夜の六時半」
「へ? 夜?」
聞き間違いだろうか、と自分の耳を疑いながら彼女の言葉を反芻すると、思い出したように握っていた手を解き、水瀬が同意した。
「そう、夜の六時半よ」
夜の六時半? ともう一度呟き、同時に思考が軽く混乱する。同級生の女の子、それも水瀬と、薄暗くなったひと気のない丘に向かうのか? 僕は。
「だって」と水瀬は意味あり気に微笑んだ。「その絵に描かれている花は、夜にこそ咲く花なんだから」
「夜に咲く、花」
呆けたように、呟いた。
この時の僕にはまだ知る由もなかったが、彼女が放った『夜に咲く花』という一文には、実のところ様々な意味がこめられていた。
だが、水瀬と二人で行動するという事実に心の何処かで浮かれていた僕は、そんな事には当然、考えが至らなかったのだが。
沈んだ声音。同じように、薄っすらと影が差したであろう水瀬の顔。
何故、水瀬が実行委員に僕を推薦したのか、等々。
他にも様々なことを見過ごしたまま、物語は進んでいく。
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