第三章:クラスアート実行委員、始動!

【クラスアート①】

 次の日も、天候はすこぶる良かった。

 教室の窓から外を仰ぎみると、雲ひとつない青の中心に浮かんでいるのは、嫌味なほどに輝きを放つ太陽。眩しすぎる──まるで、昨日から考えをまとめきれない僕を、嘲笑っているかのようだ。

 教室に入りこんでくる日射しは、過剰ともいえる熱量を、僕が座っている窓際の席にもたらしていた。

 給食を食べ終えた後の昼休み。微睡むのにも最適な時間帯。

 もっとも今日は、のんびりと微睡んでいる場合でもなかったのだが。


「へ~……。昨日、あれからそんな事があったのか」

 きょろきょろと辺りを見渡して、木下の姿が教室の中にないのを確認した上で徹が言った。

「まあね」と僕は横柄に相槌をうつ。「徹は、これをどう思うよ?」


 僕の席から見て真正面に徹。右隣に稔が座っている。

 昨日起こった出来事を、二人に──主に徹に問い質されたためだが──報告している最中だった。


「どうって言われてもな……。俺は木下じゃないんだし、彼女の発言にどんな意図がこめられているかなんて、わかるわけねーじゃん」


 徹が弱り顔で、後頭部をかきむしる。


「だよなあ」

「もしかして、水瀬の顔だけ認知できているんだ、という事情を勘繰られたとか?」


 女子の中で水瀬の顔だけはわかるんだ、というカミングアウトは、中学に入って直ぐの辺りで徹と稔には済ませている。だが、それ以外で知っている人間はいないはず。情報がどこかから漏れ伝わっていなければ、だが。


「それはないと思う。そもそも、僕の病について知っている人間だってごく僅かなんだし」

「まあ、それもそうか。でも、ハッキリ言えることは一つ」

「言えること?」

「木下は、お前のことを心底嫌っている。そういうことだろ?」

 他に何が? と実に軽い口調で彼は言う。

「いや、そうなんだろうけど。心底って……もう少し言い方ってもんがあるだろう」


 木下朱里が最後に告げた、「水瀬を愛してる」という部分のみ、告げずに伏せておいた。字面通りの意味だとしたら、いや、実際そうなんだろうけど、なおさら言いふらすのは良心が咎めるというもの。なんで僕が木下に気遣う必要があるのか、と憤りそうにもなるが、この話が水瀬の耳に入るのもきっと不味いだろう。

 いや、入って欲しくないのかな。自分の気持ちを整理できない状況が、昨日からずっと続いていた。


「でも事実だろ」

 背伸びをし、眠そうに欠伸あくびをしながら徹が言う。

「それはまあ」

 反論材料が存在しない。僕も、返す言葉を失った。


 うーん……。

 晴天の、青に目を向け思案する。

 木下の話を簡単に纏めると、水瀬の過去を詮索するな、深入りするのであれば腹を括れ、とまあそんな感じの内容だ。だが、どれほどの覚悟が必要だというのか。水瀬の過去って、いったいなんなんだ。

 水瀬とろくに会話もできていないのだから、悩む順番が違うだろうって話だが。先ずは関係の改善から始めないと。


「ははっ、翔の悩みは尽きそうもないな~」


 僕が小さく溜め息を落とすと、訳知り顔で徹が言った。徹にしちゃあ鋭い考察だ、と思わず乾笑してしまう。


「ふ~ん……。やっぱり木下朱里って怖いんだな。近づかないよう気をつけておこう」


 ここまで興味なさげに僕らの話を聞き流していた稔が、ぼそっと呟いた。

 先ほどから彼は、一冊の本を広げて読みふけっている。


「なんの本、読んでるの?」


 これ以上、木下のことで悩んでいても埒が明かない。そう考え、稔に話題を振ってみると、彼は一旦顔を上げて僕の目をみた。


「ああ、これか。これはね、油絵の描き方について解説している本だよ」

「油絵?」

「そう。学校祭で行われる、クラスアートの事前準備をしようと思っていてね。僕はほら、一応、美術部なのだし?」


 眼鏡の奥で稔の瞳が鋭く光る。

 僕らの通う中学校の学校祭は、七月の第二週末に行われるのが慣例だった。開催時期の関係から、地域で呼ばれている別名が。七月七日にあわせて行うわけでもないので、厳密に言えば七夕ではないのだが。

 そして、学校祭における目玉行事の一つが、二メートル四方の巨大な合板に描くクラスアートなのである。


「クラスアート、ねえ」


 まあ、自分が関わり合いになるようなイベントでもないし、と気の無い返事をしておいた。

 んじゃ、俺戻るわ、と言って席を立った徹を見送った後、稔が僕の顔をじっと見つめた。


「ところでお前、水瀬のことが好きなのか?」

「な、なんで!?」


 徹に続き稔にまで鋭い指摘をされ、動揺がそのまま声となって口から漏れる。いや、そもそも何故僕はここまでうろたえている? 水瀬は確かに特別だ。僕にとって唯一顔がわかるクラスメイトという特別な存在。だが、裏を返せばそれだけだ。


「そ、そんな訳ないだろ」

 咄嗟にでてきた弁解の言葉も、無様なほどに裏返る。

「違うのか?」

 稔が困惑したように眉根を寄せる。

「だって翔は、たびたび水瀬の姿を目で追いかけているじゃないか。あんなもん傍から見てる限りでは、彼女に好意があるのか、もしくは、ただの変質者か。完全にどっちかだぞ?」

「どっちかって……マジかよ……。別にそんなんじゃない」

「じゃあ、なんなんだよ?」


 とたんにずい、と身を乗り出してきた稔のリアクションで失言に気がついた。視線を向けていたということ自体、なんら否定していないじゃないか、と。

 こいつはどうやら、言い逃れできそうにない。


「いや……まあ、気になっている、というのは確かかな」


 なんとも歯切れの悪い返答だ、と正直思う。だが同時に、今はこのくらいに留めておくべきだろう、とも。この先、水瀬と同じような顔を認知できる女の子が現れないとは限らないのだし、なにも、水瀬一人だけに固執する必要はないだろう。


「やっぱりな」と嘆息しながら稔が本を閉じた。「正直、昨日までは単なる憶測でしかなかった。だが、今の話で確信に至ったよ。だよなあ……ある意味、お前にとって水瀬は特別な存在だもんな」

 椅子を引いて席を立つと、稔は意味ありげに一言だけ残した。

「ま、僕に任せておきたまえ」


 自分の席に戻っていく稔の背中を見つめ思案する。

 つまるところ、何が言いたかったんだあいつは。水瀬と同じ美術部である稔が、僕と彼女の間を取り持ち、なんとかしてやろう──そんな話なんだろうか。


「他力本願も甚だしい」


 相変わらず周囲に流されてばかりの自分に呆れてしまう。

 それにしても、だ。たびたび水瀬に視線を向けていたことを、木下のみならず稔にまで勘付かれていたとは由々しき問題。

 まったく、なにが極秘ミッションか。万が一、この話が水瀬の耳に入ったとしたら、不審者扱いされかねない。今度からは、誰にも気付かれないよう視線を向けないと。いや、根本から、何かが間違っている気もするが。

 ──と、そこまで考えたところで気がついた。

 水瀬に伝わるかどうかなんて、完全に木下の意向ひとつじゃないか、と。

 益々頭痛が酷くなった。

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