縁日で獲った河童の話 (終)いつか見た河童と人魚
あれから十年以上が経ち、僕は立派かどうかはわからないが、とりあえず社会人になった。姉も既に結婚しており、今は二児の母だ。
あの夏の河童と人魚のことなんかもうほとんど忘れてしまっていた。
そんなある日のことだ。
会社の先輩から飲みに誘われた。
普段から面倒を見てもらっている先輩で、この日も仕事終わりの一杯の誘いに二つ返事で応えた。
「今日連れてってやる店は一味違うぞ」
先輩は得意げな顔で僕にそう言った。
先輩は普段から一人でも飲み歩いており、チェーンの居酒屋から少し凝った創作料理を出す個人経営店、穴場的な店や割安で飲める店に高架橋下の赤提灯のおでん屋の屋台、果ては大事な商談相手を接待するための高級店など、様々な店を渡り歩いており、その選別眼は社内でも一目置かれていた。
その先輩がこうやって推す店なのだから、ハズレということはないだろう。
先輩が案内してくれたのは会社から駅に向かう道を反対に向かった方角、飲み屋がほとんどない通りにポツンと立つ、小汚いビルの地下だった。
隠れ家的なお店もこれまで何度か連れてってくれたが、その店はまた独特な雰囲気だった。薄暗くて野生の動物がそのまま放し飼いにされているような臭いがこもっている。細い通路の脇には動物の剥製がいくつも並んでいる。魔術師の棲み処のような店だ。正直あまり居心地のいい場所ではない。先輩の誘いがなければ決して足を踏み入れようとは思わないような店だ。
「妙な店だろ?」カウンター席に腰かけると、先輩が楽しげに言った。
カウンターの対面にいる店の主人らしき初老の男性は、それが聞こえていないかのように食材の調理を続けていた。
「ええ。独特な雰囲気がありますね」
僕は自分の笑顔が引きつっていないか不安になりながら言った。
「野生動物を主に扱ってる店なんだよ。店長が猟師でな。その日に仕留めてきた獲物や市場になかなか出回らない希少種を調理してくれるんだ」
先輩はそう言うと、カウンターの向こうの男性に今日のおすすめを聞いた。
「今日はペガサスのもも肉やクラーケンのゲソ、ミノタウロスのロースなんかが入ってるな。だが、なんと言っても今日は河童と人魚がいい。珍しく天然物を知り合いから融通してもらえてな。鮮度は文句なしだ」
いかつい見た目に反して、店長は饒舌に今日のメニューを薦めてくれた。
「じゃあ河童と人魚、それとクラーケンで何か作ってください」
先輩がそう言うと、店長は「あいよっ」と気風よく返事して調理を始めた。
この手の希少種を食べるのは初めてだ。河童や人魚どころかクジラ肉や猪肉だって食べたことがない。
「昔は人魚を食べると不老長寿になるなんて言い伝えがあったらしいけど、あれデマだから。滋養強壮には良いけど流石に年はとるよ。河童も甲羅を粉末にして薬に使うけど、なんと言っても出汁が旨いんだよ。スッポンなんかとは比べ物にならないほど上質なゼラチン質を含んでいて肉もぷるぷるで旨いんだ」
ビールを飲みながら先輩が楽しそうに話している。
しばらくすると店長が「河童のうま煮」と「人魚の尾ひれの塩焼き」を提供してくれた。
とろりとした煮汁が絡んだ河童肉も、丁寧にうろこを剥がして焼いた人魚の尾ひれも、今まで嗅いだことのないような蠱惑的な香りを漂わせ、僕の胃袋を刺激した。
「さあ、遠慮せず喰えよ。今日は俺の奢りだから」
酒で気分をよくした先輩が僕を促した。
「ありがとうございます。それじゃあいただきます」
僕は初めての河童と人魚に箸を伸ばした。
それは僕にとって初めての希少種の肉だったはずだ。
だけど、河童も人魚も、どちらの味も僕には初めてとは思えなかった。
「すみません。これは本当に河童と人魚の肉ですか?」
僕は店長にそう聞いた。
「ん? そうだが?」
店長は不思議そうにそう答えた。
「そうですか……」
「どうかしたか?」先輩も僕の表情に何かを感じてそう聞いた。
「いえ、なんでもありません。料理、すごくおいしいです」
僕はそう言って河童と人魚を食べ続けた。
お店を後にして、先輩と別れてから少し経つと、僕は「まるでウミガメのスープみたいだ」と独り言ちた。
一人暮らしのアパートへの帰り路を、僕は河童と人魚が水槽からいなくなったあの日の夕食で食べた、あの煮物と焼き魚の味を思い返しながら歩いて行った。
<了>
縁日で獲った河童の話 立野 沙矢 @turtleheart007
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