焼き鳥

清江

第1話

「ねえ、それって普通の鳥だと思う?」

隣の席から気だるい声が私に問いかける。


「いや」

いつの間かそこにいた黒髪の女を一瞬見て私は首を横に振った。

トロリとしたタレのまとわりついた串を手に先程噛み締めた旨味を思い出す。脂の乗り具合と柔らかさは明らかに普通の鳥とは思えなかった。

もう一本を手に取った私を見ながら、白い肌に際立つ赤い唇で女は薄く笑っていた。



ついてない残業の夜。

急に降りだした雨を避けて入った薄暗い店内には、カウンターと幾つかのテーブル席。

いらっしゃいませの声もなく差し出されたタオルを受け取り、水滴を払いながら空いていたカウンターの隅の椅子に手をかける。

それほど濡れずにすんだのはタイミング良く立て看板に明かりの灯ったこの店のおかげだが、こんな所にバーがあったとは露程も知らなかった。


しかし、妙に薄暗い店内だった。

客が何人居るのかもハッキリせず、バーテンダーの顔も良く見えない。

ほぼ手探りで椅子に腰を落ち着かせる。

座った以上何も頼まない訳にもいかず、置かれていたメニューに目を向けるが、これもまたハッキリ見えない。

その上知らない文字列で書かれていた。

英語どころか時折日本語でさえままならない私には他の言語は更に難易度が高く、一瞬困り果てたが、多分あるだろうとの算段でビールを頼んでみる。

バーテンダーは何も言わず一瞬カウンターから姿を消して戻ると、冷えたグラスを私の前に置いた。


見事な泡と褐色のバランスに心の中で感嘆の声を上げながら、刺激を纏う苦味を一口飲み下す。

ああ旨い。

夢中でグラス半分程を一気流し込むと急に襲ってきた空腹感が、馬鹿のミスのせいで夕飯を食いっぱぐれた事を思い出させた。

何か胃に入れたいが、メニューの文字は読めない。

普段ならノリで頼んで失敗しても楽しめるが、今日はそんな気分にはなれなかった。


どうしようか。

悩んでいると少し離れた隣の席から漂う香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

多分串に刺さっているアレは見覚えがある。

『焼き鳥だ』

目の前の飲み物との相性など考えるまでもなく、即座にバーテンダーにアレと同じ物をと注文する。

相変わらず愛想のない男はなぜか一瞬動きを止めてから

「アレと同じ物で宜しいのですか?」

と、わざわざ問い返した。

その様子にもしかしたら値段でも高いのかと思ったが空腹感にはもう勝てない。

同じ物で良い、と念を押した。


コトリと音を発てて目の前に置かれた四角い皿には良い焼き色の串が三本。

ボリュームのある肉に半透明の茶色いタレがたっぷりとかけられている。

噛み締めた瞬間、脂の旨味が口一杯に広がって、タレの香ばしさと絶妙な焦げが合わさった匂いが鼻を突き抜けた。

思わず一本目を貪るように食べ終えると、逆隣から

「ねえ、それって普通の鳥だと思う?」

気だるい声が私に問いかけてきた


「いや」

そう答えるのももどかしく次の串に手を伸ばす私に女は再び問いかけてきた。

「ねえ、それってどんな鳥だと思う?」

二本目を口に運びながら、視線だけそちらに向けると、少し近付いて来たのか、赤いワンピースが視界に入る。

「さあ」

目の前の串に集中したい私の気の無い答えにクスクスと笑いながら、女が何故かゆっくりとワンピースの胸元をはだけ始めた。

予想外の行動に思わず目を向けると、薄暗い店内に白い胸元が浮かび上がっていた。

息を飲み、口にしていたモノをゴクリと飲み込む。

大きく開かれた胸元。

そこにはポッカリと穴が開いていた。

何かで抉られたような歪な穴。

目の前の光景の意味の理解を拒み、思考が定まらない私の顔を女の両手がゆっくりと包み込んだ。

「ねえ……それって本当に鳥だと思う?」

答えも声も出ない

震える呼吸音を発てるだけの私に女は顔を近付けてくる。

裂けた様な口の端を歪に上げた白い肌には一切の血の気はなく、黒く虚ろな眼は私を映していなかった。

私の顔を両側から挟んだ指先は皮膚に食い込み徐々に破り始める。

ミシミシと音がする耳の奥で自分の鼓動が大きくなっていく。

何が起きているか分からない。

視界が徐々に狭まっていく中、ポッカリと開いた穴から薄ら笑うしわがれた声が聞こえた気がした。

「ねえ……何だったと思う?」

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焼き鳥 清江 @kiyo-e

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