部屋で焼き鳥のせせり

清水らくは

部屋で焼き鳥のせせり

「お話があります」

 そう言うと和菜かずなは、テーブルの前に正座した。僕はつられて、正面に正座した。

「どうしたの」

「別れてください」

「えっ」

 あまりに突然のことだったので、次の言葉が出てこなかった。僕らは今日まで、とても順調に来ていたはずだ。同棲して半年、仲良く協力してやってきた。他に好きな人ができたとかだったら、あまりにも僕の眼が節穴だということになる。

「今日、病院に行きました」

「……うん」

「最近、しんどくて。吐くこともあって。それで病院に行ったら、言われました」

「はい」

「焼き鳥以外食べてはいけませんって」

「……ん?」

「私の体、焼き鳥以外受け付けなくなっているんです!」

 和菜は顔を両手で覆って泣き始めた。僕は彼女の横へと行き、背中をさする。

「それはつらかったね。でも、別れる必要はないよ」

「でも……でも私焼き鳥しか食べられないんですよ。もうデートしても、焼鳥屋に行くしかないんですよ。家でも、龍くんが色々食べてる横で、私ずっと焼き鳥食べているんですよ。冷蔵庫の中に、私だけのための鶏肉が山のように入っているんですよ。そんな女と、幸せになれる?」

「なれるさ。むしろ、猪肉とか深海魚とかじゃなくてよかったよ。鶏肉は安価で、手に入りやすい」

「龍くん……」

「僕も、毎日焼き鳥を食べるよ。二人で幸せな焼き鳥ライフを送ろう」

「私……私……」

「和菜、大丈夫だ」

 和菜は笑顔を見せると、こう言った。

「焼き鳥だったら、せせりが好き」



 こうして、僕らの焼き鳥探求が始まった。

 近所の焼鳥屋は基本的に夜しか開いていない。いかに自宅で焼き鳥を食べられるようにするかが課題となった。

 スーパーでも焼き鳥は売っているが、毎日はやっぱり飽きるし、そんなにおいしくないものもある。移動販売車が来ているとの情報があったので、隣町のショッピングモールまで足を延ばしたりもした。

 せせりが好きということだったけれど、できるだけいろいろな部位を交代で買ってくるようにした。知らなかったのだけれど、焼き鳥には本当にいろいろな種類がある。僕もできるだけ和菜と同じものを食べて、サラダやスープを別に用意するということが多かった。

「お話があります」

 うまくいっていると思ったある日、和菜が再びテーブルの前で正座していた。

「えっと、何かな」

「龍君は私に黙っていることがありますね?」

「……え?」

「毎週金曜日」

「うっ」

「会社に行っていませんね」

「和菜、それは……」

 なんでバレたんだろう。たしかに和菜は勘がいい。けれど、それだけでわかってしまうものだろうか。

「言いましたよね。龍くんが浮気したら、私生きていけないって。毒入りスープで龍くんを殺して、私も死にます」

「落ち着け、和菜。違うんだ。なんでバレたのかわからないけど……」

「においがしました。毎日焼き鳥を食べていても、わかるんです。私の知らない焼き鳥のにおいがしました。よりによって焼き鳥屋で誰かと会ってたんですか?」

 これはうかつだった。あまりにも焼き鳥が日常にしみこんでいたので、そのにおいでいつもと違うことがばれるとは思っていなかったんだ。

「聞いてくれ、浮気とかじゃないんだ。会社も有休をとってた」

「何をしていたんですか?」

「焼き鳥屋で、修行させてもらっていた」

「……え?」

「頼みこんで、開店前の焼き鳥屋で、練習させてもらっていたんだ」

「なんでそんなことを?」

「和菜に、ずっとおいしい焼き鳥を作ってあげられるように」

「そんな、私……。黙っていなくてもよかったんじゃないですか?」

「驚かせようと思って。男って、そういう風にしたいものなんだ」

「男を言い訳にするのは嫌いです」

「ごめん」

「でも、好きです」

「俺も」

 しばらく二人で、ほほ笑み合った。

 


 一年が過ぎたころ、和菜は入院をすることになった。

 焼き鳥しか食べられないのは、やっぱり健康に良くない。顔色は日に日に悪くなっていたし、体力は落ちていた。この病気に有効な薬やサプリメントというのはまだ研究段階らしくて、入院先でも結局焼き鳥ばかりを食べることになった。

「ごめんね、龍くん。私、ずっと一緒にはられないと思います」

「そんなことないさ。きっと元気になれる」

「やっぱり、焼き鳥だけじゃ元気になれないです……」

 どんな言葉をかけていいかわからなかった。毎日、おいしい焼き鳥を食べられるよう、努力してきたつもりだ。けれども、焼き鳥以外を食べられないというのは、本当につらいだろう。つらいだろうとは思うけれど、そのつらさは僕にはわからないのだ。

「約束をしてほしいです」

「何?」

「私が死んでも、ずっと生きてください。毒なんて飲んじゃ、駄目ですよ」

「わかった。約束する」

 そうは言ってみたものの、和菜のいない人生は想像できなかった。想像したくなかった。



「久しぶり……」

 ふらふらになりながら、和菜は部屋に入ってきた。

 一時帰宅が許され、一晩だけ家に泊まれることになったのだ。

「よし、待ってろよ。いっぱい焼いてやるからな」

 座椅子に座った和菜は、頬を少し緩めた。もう、満面の笑みを作る元気もなかったのだ。

「できたぞ、せせり十本」

「ちょっと、これはやりすぎですよ」

「そう? じゃあ俺が九本食べようかな」

「ふふ、私が七本食べます」

 和菜は、ゆっくりゆっくりと焼き鳥を食べた。食欲はあるようだったが、それでもせせりは四本しか食べられなかった。

「ありがとう、龍君」

「どういたしまして」

「手をつないで寝ようね」

「ああ」

「私、幸せ」

 瞳に、光るものがあった。僕は決して泣かないぞ、と、笑顔に力を入れ続けていた。



「大将、前から聞こうと思っていたんだけど」

「何?」

 常連客のおじさんが、壁を指さしながら尋ねてきた。

「この店、せせり推しすぎじゃね?」

 壁には確かに、他のメニューの五倍ぐらいの大きさで「せせりを食べて!」と書いてある。

「まあね。僕にとってと特別なものなんで」

「せせりがねえ。なに、恋人が好きだったとか?」

「ふふ、どうでしょうねえ」

「大将の焼き鳥は本当にうまいからね、毎日でも食べられちゃうよ」

「ありがとうございます」

 せせりは、たとえ誰も頼まなくても在庫を切らせることはなかった。閉店した後、一本だけ焼く。そしてそれを持って帰る。

「ただいま、和菜」

 返事はない。仏壇に向かい、手を合わせる。

「今日も生き延びたよ。そっちはどうだった?」

 そう言いながら、せせりを供える。

「毎日僕の焼き鳥食べてもいいって言ってくれた人がいたんだ。あ、おじさんだよ。嬉しかったなあ」

 「よかったですね」という声が、聞こえた気がした。

 台所に行き、二人分の料理を作る。一人分は和菜の前に置く。今はもう、焼き鳥以外も食べられると信じて。

 テーブルの前に正座をする。

「いただきます」

 普通の、夕食。二人での、普通の夕食を始める。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

部屋で焼き鳥のせせり 清水らくは @shimizurakuha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ