焼き鳥とやきとりの間に

澤田慎梧

焼き鳥とやきとりの間に

「……なにこれ?」

「なにこれって……『焼き鳥』だけど?」

「これが『やきとり』?」


 「やきとりを食べたい」と言うので、彼女を連れて地元でも評判の焼き鳥店に行った時のこと。

 カウンター越しに店の大将が出してくれた、見るからにジューシーで美味しそうな焼き鳥を見るなり、彼女から笑顔が消えた。

 先程まで「やきとりまだかな~♪」なんて、ご機嫌に歌ってた(かわいい)くらいだったのに。何故?


 モモにネギマ、ハツにナンコツ更に皮。

 これ以上ないくらいに「焼き鳥!」といったラインナップだったのだけれども、もしや食べられないものでもあったのだろうか?

 ――等と思っていたら、彼女から全く予想外の言葉が飛び出してきた。


「これのどこが『やきとり』よ! 全部!」

「……はぁ? そりゃあ、『焼き鳥』なんだから鶏肉に決まってるじゃないか。ちょっと言ってる意味が分からないんだけど」

「ええっ!? ちょっと、アナタこそ何言ってるの? 頭大丈夫? 熱でもある?」


 スッと手を伸ばし僕の額に触れる彼女。体温が高いのか、程よい温もりと柔らかさを持ったその感触に、僕の顔も少し熱を持った。

 ――付き合ってしばらく経つけど、まだキスやそれ以上の行為はおろか、手を握ったことすらろくにない。

 元々「仲の良い異性の友達」ポジションだったこともあり、未だに照れが強くてお互いに一歩踏み出せずにいる。こうやって触れられるだけで、痛いくらいに胸が高鳴ってしまう始末だ。


 知り合ったきっかけは、ほんの些細なことだった。

 この春、進学の為に北海道から横浜へ出てきて一人暮らしを始めた彼女。言葉も文化も微妙に異なる中、色々と戸惑っていたらしい。


 僕が彼女を見かけたのは、そんなある日のこと。

 学食の壁に貼られたメニューを難しい顔をして眺めながら、体が曲がるくらいに首を傾げていた彼女の姿に、思わず声をかけていた。


『あの、何かお困りですか?」

『えっ? ああ、いえ。このメニューなんですけど……ラーメンに魚が乗ってるんですか?』


 そう言って、彼女が指さした先には、こう書いてあった。

 「サンマーメン」と。


 『それはサンマが入っている訳じゃなくて、肉野菜のあんかけをかけた横浜周辺のご当地ラーメンですよ』と誤解を解くと、彼女は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたっけ。

 そんな、本当に些細なきっかけで知り合い、なんとなくつるむようになり、そして今は初心者マークの恋人同士。

 人生、何がどうなるのかは分からないものだった。


 ――まあ、それはさておき。


「僕は正気だよ。そもそも、鶏肉を焼いたもの以外に『焼き鳥』なんてないだろう? そりゃあ、ウズラとかベーコンアスパラとか、変わった串もあるけどさ。基本は鶏肉だろ」

「それが変だって言ってるのよ。それは『』でしょ? 普通『やきとり』って言ったら……でしょう!?」

「……えっ、豚肉……? 『焼き鳥』なのに?」


 もしや彼女の方こそ熱でもあるのではないかと、そっとその初雪のように薄っすらと白い額に触れる。……やや熱いが、熱はなさそうだ。

 むしろ、彼女に直に触れたせいで、こちらの体温が爆上がり中だ。


「『やきとり』と言ったら豚肉よ! 鶏肉は二の次!」

「いや、ごめん。マジでその理屈が分からない……。鶏肉を焼いたのだから『焼き鳥』だろう?」


 お互いに一歩も譲らず「ぐぬぬぬぬ」と火花を散らす僕と彼女。

 ――と、その時。


「お客さん。仲がいいのは結構だが、冷めちまいますぜ」


 カウンターの向こうでせっせと串を焼きながら、大将が呟いた。


『あ、はい。すみません……』


 大将のイケボに恐縮しながら、彼女と僕の声がハモる。

 そのままお互いに苦笑しながら顔を見合わせると、僕らはようやく焼き鳥に手を伸ばした。


「あら、美味しいわね、この『鶏肉のやきとり』」

「だろう? この辺りじゃ一番なんだ。ここの『焼き鳥』」


 絶品の焼き鳥に舌鼓を打ちながらも、更なる空中戦を繰り広げる僕ら。

 二人とも未成年で良かった。お酒が入っていたら、もっと酷い小競り合いが勃発していたことだろう……。


「これで普通の『やきとり』もあれば、最高だったんだけどなぁ……」

「まだ言うの? というか、それは流石に大将にも失礼――」


 思いの外に粘着質な彼女に、流石に苦言を呈そうかと思った、その時。

 大将がカウンター越しに、追加の皿をスッと差し出してきた。


「えっ? 大将、僕らまだ追加は頼んでないですよ?」

「……サービスだよ。そちらのお嬢さんに、『やきとり』」


 皿に目を落とす。そこに並んでいたのは、一口大に切られた豚肉の串焼きだった。なるほど、焼き鳥に見えないこともない。


「わっ!? これこれこれこれ! おじさん、ありがとう!」


 その「豚肉の串焼き」を見るなり、彼女が顔を輝かせた。僕がまだ見たこともなかったキラキラの笑顔だ。

 思わず、豚肉と大将に嫉妬してしまうほどの。


「……大将、豚肉の串焼きなんてメニューありましたっけ?」


 何だか彼女を取られたような気分になってしまい、思わず険のある訊き方をしてしまう。

 けれども、大将は全く気にした風でもなく、せっせと串を焼きながら答えてくれた。


「そいつはな、まあ、なんていうか。裏メニューってやつだ」

「裏メニュー?」

「ああ。なあ、お嬢ちゃん。アンタ、道南どうなんの出身だろ?」

「ほえっ!? ああ、はい。函館です!」

「ははっ、やっぱりな。うちのカミさんと同郷だよ」

「奥さんと……? ああ、だから『やきとり』が……」


 僕を置いてけぼりにして、彼女と大将が何か通じ合っていた。

 ――え、なにこれ? もしかしてNTR……?


 等と焦る僕の肩を、何者かが叩く。

 振り向いてみれば、そこにいるのはこの店のおかみさんだった。


「あはは! 彼女さんやっぱり、アタシと同郷だったかい! 話聞いてて、他人とは思えなかったよ!」

「おかみさん……? ええと、それってどういうことですか?」

「いやね、アタシもその昔、函館から横浜に移り住んできてね、その時にダンナと出会ったんだけど……やっぱり、アンタらみたいな話をしたのよ。『やきとりなのに豚肉じゃないのか』って。ね! アンタ」

「……やめろや、古い話は」


 カウンターの向こうでぼやく大将。けれども、その頬は赤く染まっている。どうやら照れているらしい。


「あのー、未だによく分からないんですが。どうして『焼き鳥』なのに豚肉なんですか?」

「ああ、こっちの人には分からないわよね~。あのね、道南辺りでは『やきとり』と言えば豚肉なのよ。なんでかは知らないけどねぇ」

「焼き鳥なのに……豚肉……?」

「ええ。それで、この店……その時は先代が大将で、うちの人は見習いだったんだけどね? 誘われてお店に来てみて、びっくりしたもんよ! 豚肉が一本もなくて全部が鶏肉の『焼き鳥』だったんだもの」


 ――後で知ったことだが、北海道の南部、つまり道南の辺りでは、本当に「やきとり」と称して豚肉の串焼きが食べられているらしい。

 では、鶏肉の焼き鳥(ややこしい)は何というのかと言えば、彼女が言っていたように「鶏肉のやきとり」と呼ぶのだとか。

 そのせいで、道南出身者が他の地域で初めて「やきとり」を頼んだ時に、度々このような悲劇が起こるそうだ。


 世の中には不思議なことがあるものだ。


「うちの人もね、焼き鳥一筋の人だったから『豚肉の串焼きを焼き鳥呼ばわりする変な女は願い下げだ!』とか怒りんぼになったんだけどね。しばらく経ったら、いま彼女が食べてる『やきとり』をアタシの所に持ってきて『詫び代わりだ』って差し出してきてね。こっそりアタシの故郷のことを調べて、作ってくれたのよね~」

「おい、やめろ!」


 大将の顔はもうゆでだこ状態だった。

 

 僕と彼女はそんな熟年夫婦のイチャラブぶりを見て、今度は苦笑いではなく微笑みながら顔を見合わせてから、美味しい「焼き鳥」と「やきとり」を堪能するのだった。


(おしまい)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

焼き鳥とやきとりの間に 澤田慎梧 @sumigoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ