恋に落ちる音がした

MAY

第1話


「ユイ! 今日合コンがあるんだけどさあ」

 講義が終わって席を立ったとき、顔見知りの女子に声をかけられた。

「いいけど、参加費はないよ」

「わかってるわかってる。女子はタダだから大丈夫」

「OK」

 こうやって、さほど親しくもない女子から合コンに誘われることは多い。

 アルバイトで大学に通っている身からするとありがたいといえなくもないが、鬱屈した劣等感を持たないわけでもない。

 私が呼ばれるのは、いつも人数合わせだ。

 それも、ライバルになりえない安全パイとして呼ばれている。

 それを割り切って受け入れられるほど、大人にはなれない。


 待ち合わせ場所と時間を送ってもらい、次の講義に移動する。

 彼女たちの姿が見えなくなってから、こっそりため息をついたことくらいは、許されるだろう。




「ユイちゃんはさあ、どうして彼氏作らないの? あ、焼き鳥来たよ」

 隣に座った男子が、馴れ馴れしく話しかけてきた。

 ついでに肩を抱こうとしてくるので、さっさと払いのけておく。

 触られるのはよろしくない。


「なかなか縁がなくて」

 串盛りからアスパラ巻きとエリンギを取る。焼き鳥じゃないじゃないかだって?

 美は一日してならず。

 サラダと串盛りの焼き野菜以外は肉しかないような飲み会は、カロリー超過の原因にしかならない。

 隣の男子は遠慮なく鶏もも串を取っているのを見て羨ましいと思わないでもなかったが、誘惑に負けてはいけない。


「だったらさあ、俺なんてどう?」

 下心ありありの笑顔を、冷めた気分で見返した。


 客観的に見て、私の容姿はさほど悪くはない。

 華奢で可憐をやるには骨格がたくましいけれど、しっかりきっちり痩せていれば許容範囲だ。

 身長も、女性の平均よりは高いけれども、私より大きい男は珍しくもない。

 けれども、生まれてこの方、私に恋人がいたことは、ない。


「あ、タカシ君、だめだよぉ」

 どこから話を聞いていたものか、私を誘ったた女子が逆サイドから会話に加わってくる。

 身長が低いだけで小太りの、似合いもしないふりふりのシャツを着たあざとい女。

 自分の勝ちを確信したように笑っている。

「だってそのコ、男だから」

「へ?」


 あっけにとられたように、男子が私を見つめる。

 伸びていた手は離れ、じりじりと距離が広がる。いつもの、慣れた反応だ。

「キモチワルイでしょ? 男なのに女子側で来たいって言うから、連れてきてあげてるの。でもねえ、みんな無理よねえ。だって男なんだもん」

「来たいとは、言ってないけど」


 声に棘を含ませ、言い返す。

 誘ったのはそちらで、私は食事をとりに来ただけだ。

 そして、食事はもう終わった。

 これ以上、この場所に留まる理由はない。


「じゃあ、私は帰るよ」

「あっそー。一人で帰ってね。ま、男を襲うような変態はいないだろうけどぉ」

 きゃはははと耳に障る甲高い笑い声を振り切りながら、席を立った。


 生まれた時から女だったというたったそれだけのことで、どうしてそんなにも偉ぶれるのか。

 言い返したいけれど、言い返しただけ、棘は自分に返ってくる。

 慣れている。気にしない。

 言い聞かせてみても、それは嘘だと、誰より自分がわかっている。


 唇を噛んでうつむいた。その時だった。

 涼しげな声が、響いた。

「その言い草はないだろう。彼女(・・)も一人の人間だ。貶めることは許されないよ」

 白い肌をした中背の青年だった。

 年齢は私と同じか、少し上か。


「君も、不当に貶められているのだから、反論していいんだ。黙っていては辛いだろう」

 振り返った青年と、視線が重なる。

 その目には、性欲も、蔑みも、何も浮かんではいない。

 水面のような鏡のような、はたまた夜の闇のような、無機質な目だった。


 恋に落ちる、音がした。

 私は生涯、恋などできないと思っていた。

 恋をしても報われないと、分かっていた。


 けれど、彼は違うだろう。

 彼は私に興味も関心もない。だから、軽蔑することもない。

 私が恋をしたところで、彼の目は今と同じで、どんな感情も浮かばないのだろう。


 不毛な恋だ。

 けれど、私には、彼が唯一の救いだと、思えたのだ。

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