店主のスペシャルブレンドティー

柚城佳歩

店主のスペシャルブレンドティー

「もうほんっと信じらんない!」

「のどか、そろそろやめときなよ。あんたお酒強いんだから、たくさん飲んだところで記憶なくしたりしないでしょ」

「……今日に限っては優秀な分解酵素が恨めしい」


とあるチェーンの居酒屋の一室にて。

高校時代からの友人を前に飲み続けて早二時間。

本当はここにもう一人いるはずだった。

私の元彼が。


以前臨時で入ったイベントスタッフのバイトで偶然知り合い、その話しやすさからすぐに打ち解けつい心を許してしまった。

なんというか、誰に対しても懐に入るのが上手い人なのだ。


「付き合って一年くらいだっけ」

「そう!私はそう思ってた。だから今日、友達に紹介したいって言ったらあいつ何て言ったと思う?“俺他に付き合ってる人いてそっちの子を優先したいから浮気って思われそうな事はしたくない”だよ?じゃあ私との今まではなんだったのって感じじゃない?それに今日の事だって前々から約束してたのに、いきなり来ないとか最低すぎ」


そうなのだ。当日、しかも予約した時間の直前になって「行かない」などど宣った阿呆がいたために、私たちは今、二人で三人分の料理を食べている。

こんな事に巻き込んでしまった友人とお店側には申し訳ないと思うものの、それ以上にあいつに対してのイライラが募って飲まなきゃやっていられない。


「……あのさ、高校の時、のどかと時々焼き鳥屋に寄って帰ったの覚えてる?」

「おじいちゃんがやってたとこでしょ。覚えてるけど、そこがどうかしたの」

「実はそこで“店主のスペシャルブレンド”ってのを注文すると、悩み解決の手助けをしてくれる不思議なお茶を貰えるんだって」

「焼き鳥屋なのにお茶?なんで」

「さぁ、そこまでは知らないけど。でね、これは私が信頼してる先輩から聞いた話だから全くの作り話とは思わないんだけど、ちょっと信じられないような話があって」

「何?」

「その先輩の会社に、外面が良くてずる賢い嫌な課長がいたんだって。しかも自分より弱いと思った人には強く出るタイプで、先輩はいっつも雑用とか押し付けられてたみたい」

「うわ、絵に描いたような嫌な上司じゃん」

「だよね。先輩も転職を考えた時に焼き鳥屋のお茶の噂を知って、行ってみたら本当にお茶を貰えたらしいの」

「それで?」

「ある時社長が社内の様子見に来た時、お茶を淹れるように言われた先輩は課長の分だけそのお茶を出した。そしたら社長の前なのにいつもの横柄な態度で接して、しかも嘘みたいに今までの事を全部洗いざらい話したらしいよ。当然その課長は即刻クビ。だから今は平和だーって喜んでた。ただの噂かもだけど、先輩は解決したって嬉しそうにしてたから行ってみる価値はあるんじゃない?」


確かにこんな話、信じられるかと聞かれてもすぐには頷けないだろう。

お店の外で友人と解散した後、一度は駅までの道を歩き始めたものの、さっきの話がどうにも気になってくるりと方向転換した。


高校生の時、毎日通った道。歩いているうちにどこか懐かしい気持ちになる。

人懐っこい犬がいた家、ガーデニングが見事だった庭、住人が引っ越したのかあの頃と景色が変わってしまった場所もあったけれど、その店は記憶と変わらずに存在していた。


提灯の柔らかな灯りが夜道を照らしている。

まだ営業はしていそうだ。

別にあの話を信じたから来たわけじゃない。

ちょっと見てみるだけ。おじいちゃんがまだ元気か確かめてみるだけ。

そう自分に言い聞かせながらお店へと近付いていく。


「いらっしゃいませ」

「わっ」


中を覗こうとした時、若い男性が気配もなく現れた。バイト、という感じではない。


「もうほとんど残ってませんけど、何にします?」

「えっと、じゃあ……ねぎまとももを一本ずつ」

「畏まりました。今焼くのでちょっと待っててください」


お腹はいっぱいなのに、つい流れで注文してしまった。まぁ、持ち帰って明日の朝にでも食べればいいか。

男性は慣れた手付きで串を並べ焼いていく。

すぐにタレの良い香りが漂ってきた。

その匂いを嗅いでいたら、満腹のはずのお腹が反応しそうになる。


「あの、ここって前はおじいちゃんがやってましたよね」

「はい。引退するって言うんで俺が引き継ぎました」

「もしかしてお孫さんですか?」

「よく聞かれるんですけど俺はただの元常連です。この味がなくなっちゃうの嫌だなって思ってじいちゃんに頼み込んだんです。味は変わってないはずですよ。はい、お待たせしました」

「ありがとうございます。あれ、なんか多いですけど」

「今日はもう閉めるんでおまけです。美味しかったらまた来てください」


あどけなさの感じられる顔でにっこり笑う。

なんだか話しやすい人だ。

だからだろうか。顔は全然似ていないのに、なぜかあいつの事が一瞬頭を過った。


「……すみません、変な事をお聞きしますが、ここって店主のスペシャルブレンドなんてありませんよね」


言った直後に後悔した。突然こんな事聞かれても困るだろう。ほら、彼も黙っちゃってるじゃ……


「ありますよ」

「えっ」

「そちらのお客さんでしたか。お話を聞きましょう。中へどうぞ」




どうしてこうなったのか。

案内されるまま、店の奥のスペースで淹れてもらった不思議な香りのするお茶を飲みながら、さっき焼いたばかりの焼き鳥を食べている。

あ、ほんとに味が変わってない。美味しい。


「さて、どのようなご相談で?」


相談も何も、お茶の話が気になったから来ただけでこんな展開は全く想定していなかった。

少しでも考える時間を稼ごうと、出されたお茶をちびちびと飲んでいく。


「相談ってほどではないんですが、ここでいただけるっていうお茶の話を聞いたので……」


そこから私は居酒屋での事、友人の先輩の事、さらにはあいつとの事やどうでもいいような事まで、自分でも驚くほどに詳しく話してしまっていた。


「なるほど。あなたはその二股掛けてた悪びれない最低男に痛い目にあってほしいって事ですね」

「……そこまではっきりとは言ってませんけど、でもそんなところです」


見ず知らずの他人の愚痴を延々聞かされた目の前の彼には少し申し訳ない気持ちもあるけれど、そのおかげで大分すっきりした感じもする。

友人の先輩が言っていたのはこういう事だったのかもしれない。そう思ったのだけれど。


「わかりました。三日後また来てください。その時までにぴったりのお茶をご用意しますよ」




もしかしてお酒が見せた幻影か、自分で捏造した記憶かもしれない。半信半疑になりながらも言われた通りの三日後、再びあの焼き鳥屋の前にいた。


「はいどうぞ。こちらを例の元彼に飲ませてください」


あの時の彼はちゃんと実在していて、私にお茶の葉を手渡してくれた。


「これは……」

「本音を曝け出してしまうお茶です。あとは適当に他のもブレンドしときました。騙されたと思ってぜひ試してみてください。きっと面白い事が起きますよ」


結局断れずにお茶を受け取ってしまった。

とてもこんなものでどうにかなるとは思えない。

でもせっかくもらったものだし、ここは騙されてみるのもいいかもしれない。


「前にもらったプレゼントを全部返したい」と適当な理由を作ってあいつを呼び出した。

断られるかもとも思ったけれど、あいつは普通にやって来た。


「ここに来るのも最後か」


出されたお茶を飲みながら、感慨深げな表情を浮かべている。


「実は明日、彼女の両親と会う事になったんだ。彼女の家金持ちだからさ、どんな服来てけばいいか迷ってるんだよね」


本当に、今思うとどうしてこいつを好きだと思ったのかわからない。逆にこのタイミングで気付けてよかったと考えよう。

適当に相槌を打ちながら、お茶をしっかりと飲み干したのを確認すると早々に追い出した。

これで終わりだ。あいつの事は何もかも。




昨日は確かにそう思った。

なのに私は今、着なれないフォーマルな服を着て、見るからに高級そうなフランス料理店に来ていた。一番安い料理でさえ注文を躊躇いたくなる。

こんな思いをしてまで来たのは、どうしても行方が気になってしまったからだ。

少し離れた席にはあいつを含めた四人がテーブルを囲んでいる。距離はあるものの、ぎりぎり会話は聞こえる位置だ。


挨拶から始まり、いくつか言葉を交わした後、わりとすぐに和やかな雰囲気になったのが伝わってきた。

やっぱりあんなお茶くらいで何か起こるわけないよね。聞き耳を立てているのが馬鹿らしくなって、目の前の料理に集中していた時だ。


「なんて失礼な奴だ!」

「いや、俺はただ結婚出来たら楽して養ってもらえそうって思っただけで、じゃなきゃ顔が好みでもない女と付き合ったりは……って違くて!」


顔を真っ赤にした男性とは反対に真っ青な表情で弁解にもなっていない事を述べ立てるあいつ。

やがて隣にいた女性に強烈なビンタを食らったかと思うと、そのまま倒れて動かなくなった。

その間に他の三人はさっさと店を出ていき、まるで今起こった事が嘘のような静寂に包まれた。

目の前で起こった事が信じられない。

本当に、今のは何?


疑問が解決したのは翌日の事だ。

例の焼き鳥屋に御礼方々顛末を報告に行くと、若き店主が教えてくれた。


「お茶っていろんな効能があるでしょう。気持ちを落ち着かせるとか、ストレスを和らげるとか。俺のはさらに独自の改良を重ねた特別製なんです。だからその人は隠すべき本音まで全部話しちゃったんですよ」

「でもやっぱりまだ信じられないです。お茶にそこまでの力があるなんて」

「効能は体感済みのはずですよ」

「……あっ」


言われて思い当たったのは、あの日の夜に飲んだお茶。自分でも不思議なくらいいろいろ話してしまったけれど、まさかあれもお茶が原因だったなんて。


「俺は元々そっちが専門なんです。今は焼き鳥屋が本業になってますけどね。もしまたお困りの際はぜひご来店ください」

「はい、また来ます。今度は焼き鳥を買いに」


今度は友人も連れてこよう。

美味しい焼き鳥を食べに。












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