TORI GAME

常陸乃ひかる

Oh my god, they killed Buchou!!

 鳥ゲーム。

 の上司が、そんなゲームに参加していました。なんでも、愚かなニワトリを追い回すゲームで、そのニワトリをやっつけて料理するらしいです。

 料理したニワトリを食べると、別の人間が襲ってくるシステム――と、どこかの怪しいブログに書いてありました。

 発端は、ある逢魔時おうまがどき



「本当に腹立つ! あのクソ部長が!」

 皆が心を躍らせる金曜日のアフターだというのに、田口たぐちはストレスを発散しきれずに居た。それもこれも、帰り間際に始まった部長の説教のせいである。過去のミスを掘り返し、皆の前でくどくどと責めてくるものだから、性格の悪いのなんのって。

「お前もそう思うだろ、ミノシックス?」

 田口はしたぱらがだらしなく膨らんだ、どこにでも居る壮年で、どこにでも居る嫌味な上司を嫌い、どこにでも居る後輩に愚痴を言う。

熊口くまぐち部長でしたっけ? わっち、あんまり関わらないんで」

 定時を少し過ぎ、一緒に会社を出たちんちくりんの後輩――美濃和みのわは、表情なく田口の言葉を聞き流している。彼は六人目の後輩なので、六番目の美濃――という語呂が良さそうな、あだ名をつけたのだ。

「いい子ぶんなよ! 本当はお前も、あの熊のこと嫌いなんだろ? まあ今夜はオレが奢ってやっから一杯付き合えよ、な?」

「良いですけど、仕事の話になったら即帰りますね」

「うっ……しねえよ! 奢ってやんだから文句言うな!」

 美濃和は、従順ではあるが可愛げのない後輩だ。いつか謀反を起こされる前に若い芽を摘んでおくべきだろうか。田口は自分の将来を不安視しつつ、適当な居酒屋で唐揚げ、チキン南蛮、焼き鳥――今夜は鳥三昧で盛り上がった。


 事件はその帰路で起きた。

 二時間ほどのサシ飲みが終わり、繁華街から隣駅まで歩いている途中、薄暗い路地から一羽のにわとりが現れ、のそのそと田口に近寄ってきたのだ。

「な、なあ? 近くに養鶏場あったか?」

「さっき食べてた唐揚げの怨霊じゃないですか?」

 美濃和の冗談に、思わず背筋が冷たくなる。現実に存在している生物でも、時と場合がナンセンスだと、こうも恐ろしいものか。

「お、お前も食ったよな!」

「いや、わっちが食べたのはサラダチキンなので。油まみれで高温調理された料理なんて、レモンで味を誤魔化してでも食べたくないです」

「なにそれぇ、オレのこと全否定……。でも、同罪! どーざい、どーざい!」

 後輩の言い分も怖いが、なにより恐怖なのはじっと睨みつけてくる白色はくしょくのニワトリである。隈取りしたような赤に囲まれる、つぶらでまん丸い瞳はなにを訴えかけようとしているのだろう。面白半分で「なにか言いたいことあんのかあ?」と、田口はニワトリを挑発した。


『待ってくれ! 田口! 美濃和!』


 ――酔いが一気に醒めてゆくのがわかった。

 田口は、目下もっかで放たれた人語がどこまでも非現実的であると同時に、恐怖のあまり美濃和に側面から抱きついてしまった。小生意気な美濃和も、さすがに一歩下がって身構えている。

「しゃべるニワトリは……さすがに、わっちも初めてですね」

「うん、飲みすぎた。きっと幻覚だこれは」

「でも今の声、どこかで聞き覚えありません? わっちたちの名前も知ってますし」

「オフィスでよく耳にするストレスの要因に似てるな」

「答え出てるじゃないですか。コレ、熊口部長ですよ」

「HAHAHA!!」

 田口は美濃和とともに、大口で笑った。酔っぱらっていると、なんでも楽しく話せる。疲れた時のアルコールは素晴らしい。

「帰りましょうか」

「だな」

 そうしてふたりは足を揃え、ニワトリの横を通って駅への道のりをふたたび歩き出そうとした。が、目の前に回りこんできた鳥類が羽をバサバサさせながら、それでも訴えかけてくるのだ。


『帰り道、露店で買った焼き鳥を食べたらニワトリになってしまったんだ! いつも怒鳴って悪かった田口! だから私を助けてくれ、頼む!』


 ニワトリのしつこさに、田口は返答に窮してしまった。

 しかし――この鳥類、もしかすると、もしかするかもしれない。

「どうします?」

 美濃和の問いかけに対し、悪魔がささやいた。


【この部長を殺せばもう会社で怒鳴られない】


「なあ、ミノシックス。オレがここで、この部長ニワトリを絞めたらどうなる?」

「完全犯罪。そして動物虐待」

「後者の発言は傷つくから、この鳥を捕まえて焼き鳥にするゲームをしようか」

「物は言い様ですね」

「ふふっ……ははははっ! さあ、熊狩りならぬ……ニワトリ狩りの始まりだ!」

 夢だろうと現実だろうと、こんなに楽しいことはない。


『嘘だろ! 待ってくれ! 田口! 田口さん!』


 あの横柄で、人の気持ちなんて考えないモラハラ部長が、さん付けで命乞いをしてくるのだ。どう料理してくれようか、このちっちゃな鳥類を。

「わっちは部長の生死に興味ないんで帰りますね。頑張ってください」

 一方、美濃和はニワトリを見下ろし、肩をすくめながら、駅の方向へと歩んでいってしまった。なにをひとりだけ無関係を決めこもうとしているのか。田口は先輩の権限を使って、そのチビ助を引き留めようとした。

 が、彼の後ろ姿はとてつもない殺気を放っており、近づくのを躊躇ってしまった。まるで振り向きざまに斬られそうな――

「お、おう。月曜、楽しみにしてろよ……?」

「お疲れさまでーす」

 ――後輩は捨て置くとして、本番はこれからだ。

「さぁ、ニワトリになった熊さん。叩いて美味しくしてあげるよ」

 田口はリュックをあさり、奥底に沈んでいた折り畳み傘を手に取ると、にやりと口角を上げた。


『やめてくれ!』


 呼気を整えた田口が右足を踏み出すと、同じくしてニワトリが尻尾を向けて走り出した。奴が向かったのは繁華街である。なるほど、人気が多いところを選んだか。

 けれど、悪鬼あっきに憑かれたような田口に羞恥心なんて存在しなかった。

「待ってよー、部長っ! 焼き鳥にしてあげるヨー!」

 これは無益な殺生せっしょうではない。これは立派な屠殺とさつである。

 彼を捕まえて、焼き鳥にするのだ。なんて素敵なビフォーアフター。たったひとつの目的に支配され、繁華街に似つかわしくないコケコッコーと、体力不足の激しい息遣いが響き渡った。

「や、焼き鳥ちゃーん!」

 何度も通行人にぶつかり、文句を言われ、人々の波が割れていっても、田口はその狂気をやめなかった。だって捕まえられそうな距離なのだ。すぐそこに熊が居るのだ。なんてすばしっこい熊だ――ニワトリだ。あっちの路地に逃げたかと思えば、こっちの路地からコンニチハ。そっちの路地に入ったかと思えば、どっちの路地からひょっこりはん。瞬間移動を使っている。きっとそうだ。であれば待ち伏せに限る。田口は隠れる、物陰に隠れる。――ほうら、現れた。ちょこちょこと可愛い両脚を動かして、自販機の陰に隠れている田口に近寄ってくる。

 ニワトリが田口の攻撃範囲に入ると、その身体を思いきり蹴り上げた。か弱い体はビル三階分まで飛んでゆき、最高点に達し、羽をばたつかせゆったりと滑空してくる。続けて着地を狙い、折り畳み傘を投げつけると見事にヒットした。

 次に田口は、弱ったニワトリの両脚を持ち、頭上でぐるぐる振り回すと、全身の毛が綺麗に抜け落ち、薄汚い裏路地は羽毛のフィールドに変貌していった。のみならず、高速回転の空気摩擦でドンドン熱されたニワトリの体はこんがり焼けてゆくではないか。オーブン要らずの時計回り。

 フィニッシュはハンマー投げよろしく、ニワトリを遠くへテイクオフ。なんと落下地点には、白くて綺麗なお皿が敷かれていた。おあつらえ向きである。どさりと落ちた部長のようなモノに野菜を添えて、できあがり! 望んだ焼き鳥ではないが、美味しそうな丸鶏まるどりのローストチキンが完成した。


 さあ、正座をしてお上品にいただこう。

「なんてこった、部長が殺されちゃうなんて。しかし彼の汗が良い塩梅だ」

 飲み会帰りに摂取する塩分はたまらない。

 黙々と食べ続けていると、ただならぬ気配、突き刺さるような視線を感じた。田口はゆっくり周りを確認すると、ひとりの人間が見下ろしているではないか。


『なんだ? これはオレの丸鶏だぞ! お前にはやらん!』


 田口はそいつを威嚇するが、お構いなしに近づいてくる。どうやら狙われているようだ。上等である、少し体が重いがこれは戦いなのだ。田口は腹を括った。


『来いよ! お前も食ってやる!』


 田口が啖呵を切ると、男は右足で踏みこみ、田口の首根っこを鷲掴みにしてきたではないか、しかも軽々しく片手で。流れるような動作で両脚を縛られ、逆さ吊りにされると、ビルの一室へと運ばれてゆく。

 それにしても大きな男だ。まるで巨人である。


『まあ良い! 隙を見て逃げてやるからな!』


 田口は洗浄・消毒では到底消しきれない生臭さが残る一室に吊るされながら、反撃のチャンスを窺い続けた。そこが厨房だと気づいたのは、もう少しあとだった。



「――田口さんと熊口部長、行方不明なんですって」

「あら、それは大変ね。美濃和君はなにか知ってる?」

「皆目見当もつきません」

 とあるオフィスの社員たちは、ややこしい上司がふたりも居なくなったことへ笑みを抑えて、その失踪を惜しんだそうな。


                                   了

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