あの人の正体がいまだにわからない

闇谷 紅

今なら二十円引きと言うポップがついていて


「あ」


 今朝に切らした牛乳を買いに来た私は、レジの前で小さく声を漏らしていた。


「焼き鳥が値下げしてる……」


 こう、別に好きな訳ではないのだが、意識するとふいに思い出すことがある。あれは、私が小学二年生だった頃の話。探検と称してあてもなく「歩いたことのなかった道」を進んだ私は途切れぬ道にやがて力尽き、道端でへたり込んだ。


「後々考えてみれば当たり前なんだけれど」


 その時歩いた方角にずっと線を引いていけば、県を四つ超えても海に至らない。小学生のスタミナと歩く速さを鑑みれば、途中で体力の限界が来てしまってもおかしくはないのだ。更に当時は気づいていなかったが、歩いていた道は隣の県をまっすぐ貫いて横断するほど続いていたのだ。バカだったなぁと当時を思い返す私の意識は過去へ飛び。


「お嬢ちゃん、食べるかい?」


 そう声をかけられるまで近くに誰かが来ていたことへへたり込んでいた私は気が付かなかった。


「あの、僕、男」

「おっと、そいつはすまない」


 そういえば当時の一人称も僕だった。だが、そんなことはどうでもいい、実際あの時の私、いや僕は男で言葉を終わらせるつもりはなかった。顔をあげて相手の姿を見たとたん言葉を失ったのだ。


『キグナス』


 そう書かれたプレートを首から下げた、白鳥の着ぐるみを着たおじさん。僕に声をかけてきたのはそんな人物だったのだから。ちなみにおじさんだと判ったのは、白鳥と言うには太すぎる首の途中にぽっかり丸い穴が開き、そこからおじさんの顔が出ていたからに他ならない。


「いや、これから仲間内でちょっと集まることになっててな。手土産に焼き鳥をかったんだが、買い込み過ぎた気がしてな。酒はドラゴンのヤツが買ってくるだろうが、他の奴も何か持って来るだろうしなぁ」


 とりあえず何人かで集まることと、おそらくドラゴンの着ぐるみと言った格好の人物がそれに含まれているところまでは理解したが、あっけにとられた僕はただ、立ち尽くし。


「という訳で、貰ってくれ。じゃあな、坊主」


 そのおじさんは僕に焼き鳥を握らせるとくるっと身体の向きを変えて歩いて去って行ったのだ。おじさんが立ち去ったことで私の意識も現在へと戻り。


「……結局何だったんだろう、あの人」


 そも、白鳥の着ぐるみを着て焼き鳥を持参してゆくというのも組み合わせ的にどうかと思うのだが。


「安いならついでに買っていこうかな……」


 焼き鳥を見ると私はつい思い出す。あの着ぐるみおじさんのことを。

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あの人の正体がいまだにわからない 闇谷 紅 @yamitanikou

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