御嬢 × 二条 × 参上 ~焼き鳥という概念の存在しない世界~

いずも

今年のトレンドは黒兎羽龍茶

「ほら、早く朝ごはん食べなさい」

 そう言ってお母さんは僕の前にお皿を置く。

 トーストが乗っている。それだけだ。

「あれ。いつもの目玉焼きは?」

 僕は毎朝パンの上に置かれた熱々の目玉焼きを舌を火傷させながら食べるのが好きなのだ。

「何言ってるの。早く食べなきゃ学校遅れちゃうわよ」

 不思議に思いながらカリカリのベーコンだけが乗せられたトーストを急いで食べる。



「オハヨー」

「昨日のドラマ見た? チョーヤバくない!?」

「ヤバかった!」

「やっべ、宿題忘れた」

「見せねーぞ」


 教室では様々な声が行き交う。

 そんな中でも窓際の真ん中の席だけは喧騒から離れて静寂が漂っている。

 そこにいるのはまさしく深窓の令嬢、二条さんだ。

 他の生徒とは雰囲気が違う。実際、彼の父親は超有名企業の社長なので文字通りお嬢様なのだが。


「お前相変わらずいっつも二条のこと見てるよな」

「なっ、みみみみてないって」

「まあ気持ちはわかるぜ。容姿端麗で頭脳明晰、教師からも一目置かれてるし、噂じゃ隠れファンクラブなんてのもあるらしい。良いよなー、お前は接点があって。でも、ただの幼馴染ってだけじゃ、いつか誰に取られちまうぜ~」

「い、いやっ、僕と二条さんはそういうのじゃないからっ」

 僕はできるだけ小声で言った。彼女には聞こえないように。聞かれないように。

 ……こっちを向いていたのは、気のせいだよね?



 異変に気付いたのは二時間目。教科は歴史。

「え~、そこで新大陸を発見したのがコロンブスです。彼の有名な逸話と言えばコロンブスの……あれ、えっと何だっけ」

 歴史の亀本先生は時々ど忘れする。

 聞いたことがあるぞ、コロンブスといえば――

「コロンブスの卵じゃないですか」

 僕は自信満々で言った。

「ん? 何言ってんだお前」

 教室中で笑いが起きた。

「コロンブスの卵なんてぞ」



 確信したのは昼食時に食堂へ行ったときのことだ。

「あれ、定番のオムライスがない。今日はチキンライスって、玉子を切らしてるのかな」

「オム……ライス?」

 そんな単語初めて聞いたみたいな反応を示す。

「え、いやいつも頼んでたじゃん。そんでこないだオムライス頼んだのにオムそばと間違えられたって話を……」

 なんだその不審者を見るような目は。

「お前……頭おかしいのか」

「はぁ?」

 そこでようやく違和感に気付いた。

 食堂のメニューを見てみると卵料理が見当たらないのだ。

 オムライスにカツ丼、サラダに入っているはずのゆで卵にラーメンの煮卵も消えている。ていうかサラダにかかってるのがマヨネーズじゃない。

「卵が……消えてる」


 その影響は食べ物にとどまらなかった。

 電線にはカラスじゃなくてドローンが止まってるし、風見鶏は鳥じゃなくて手のひらになってる。鳥獣戯画は蝶獣戯画になってるし、一石二鳥は一石二兆になっている。一つの石を投げたら二兆に砕けるってどういう時に使うんだよ。ビフィズス菌の話か。

 錯乱した様子の僕を見かねて保健室へ行くように勧められる。



「ああ、体調が悪いならそこのベッドを使うと良いよ」

「…………」

 石の枕に藁の布団だった。眠れやしない。


 一体何が原因で――いや、この惨事を引き起こした原因は最初からわかっている。

「卵という概念のない世界……」


 二条さんが、彼女がこの世界を改変させているのだ。それも無意識に。

 例えば彼女がキーホルダーを見て可愛いと言えばそのキーホルダーが世界中で大流行するし、スムージーを飲んで美味しいと言えば健康ブームが到来する。ありとあらゆる流行は彼女が生み出し、彼女が興味を失えば廃れていく。


 問題は、何故か僕だけがその集団催眠の外側に居ることだ。みんなと同じように知らないまま、忘れたままで居た方が楽なのに、何故かその概念を覚えたままでいる。

 ちくしょう、そんなことされたら頑張るしかないじゃないか。

 だって卵料理のない世界に一人だけ取り残されるなんて絶望しかない。


「……あれ?」

 卵という概念のない世界という仮説に対して疑問が生じる。

 さっきの食堂でメニューを見た時に、確かに卵料理はなかった。でも、はあった。その料理名は確かにあったんだ。

 保健室を抜け出し、食堂に向かう。

 メニューの写真はサーモンといくら。なるほどこれが親子丼の正体だ。


「あの、サーモンは卵から生まれますよね」

「当たり前でしょ。小学生からやり直してきな!」

 ごもっともな返事。

 ここがイカれた世界じゃなければ僕でも怪訝な顔をする質問だ。

 でもこれでわかった。が消えたわけじゃなかった。

「そうなると、消えたのは鳥の方……?」


 僕は必死で思い出す。いつからこの異常現象が起きたのか。何がきっかけだったのか。何が彼女に世界を改変させてしまったのか。

「……そうだ」

 たった一つ、あまりにもくだらないが思い当たる節がある。



「二条、さんっ」

 放課後、校門から出て下校しようとする二条さんを呼び止める。


「どうしたの? そんなに息を切らせて」

 ぜーはーと肩で息をする僕の背中をゆっくりとさすってくれる。うぐっ、緊張でさらに鼓動が早くなってしまう。

 教室内では気恥ずかしくてほとんど僕からは関わろうとしないのだが、それでも二条さんは昔と変わらずに接してくれる。そのことで何度からかわれたか……って今はそんな話をしてる場合じゃなくて。


「あの、これっ!」

「これは――『やきとり缶』!?」

 僕が授業をサボって学校を抜け出して買いに行ったのはやきとり缶、つまり自販機で売っている焼鳥入りの缶だ。ありとあらゆる自販機を探してたった一箇所だけ、残っている場所があったのだ。


 焼き鳥を食べたことがない二条さんは(本当にお嬢様なんだなって思う)焼き鳥の自販機があるという話を聞いたらしい。

 そこでこっそりと自販機に焼き鳥を買いに行ったのだが運悪く売り切れだったのだ。お嬢様のパワフルな行動力はこの際無視するとして、ともかく焼き鳥が食べられなかったことがショックで「焼き鳥なんてなくなっちゃえばいいのに」と思ったらしい。

 その結果がこれだよ。

 ああだけど勘違いしないで欲しい。二条さんは無自覚なのだ。決して本気でそう思っているわけでもないし、いわゆる普通の若者的思考をしているだけだ。お嬢様だから達観していなければいけないとか、そんな必要はない。フードコートに寄り道してクレープでも買っておしゃべりするような普通の女の子であるべきなのだ。


「私のために……? ありがとっ」

 僕はこの笑顔のために頑張ったのだ。たとえ明日担任に呼び出されてブチ切れられる未来が待っていたとしても何も怖くない。


 僕はこの世界におけるイレギュラーだ。改変された世界の外側に居る。

 でも、そのお陰で彼女にとっての特別になれるのなら、それもまた悪くないのかもしれない。



 その日の夜、二条さんからメッセージが届く。

「そういえば蛙の肉って鶏肉に似ているらしいね」


 翌日、唐揚げがカエルの姿揚げになる世界が誕生したのはまた別のお話。

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御嬢 × 二条 × 参上 ~焼き鳥という概念の存在しない世界~ いずも @tizumo

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