ずっと待っていた男

髙橋

 昔々のお話。


 とある宿場の中にある一つの宿に多くの僧侶たちが宿泊していた。

どこかへ向かう途中なのだろう。一人の立派な和尚が多くのお供の僧侶を引き連れていた。

 

 和尚が宿泊している部屋で、お供の僧侶の一人が和尚と向き合って座っていた。


「和尚様は、人が好すぎます」


僧侶が少々呆れながら言った。


「はっはっはっ、そうかな」


和尚は笑いながら答えた。


「結局その百両は見つけられなかったんですか?」


「うむ、その通り。というより置き忘れたことに気付いた後も、引き返さなかったからなぁ」


「どうしてまたそんな気前のいいことを・・・百両ですよ、百両。そんな大金をどぶに捨てるような真似を」


 どうやら、和尚と僧侶がなにやら揉めているらしい。

というよりも、僧侶が半ば呆れているようだ。


 話はこうだ。

 五十年ほど前に、和尚はここの宿場から隣の宿場へ行くために、馬に人や荷物を乗せて運ぶ、馬方の男を一人雇った。

 何の問題もなくの隣の宿場に着き、荷物を全て降ろしたと思っていたが、うっかり風呂敷包みを一つ、馬の鞍に結び付けたまま忘れてきてしまったことに気付いた。

しかもその風呂敷包みには百両の小判が入っていたのだ。

 和尚はすぐに引き返して風呂敷包みを取りに行こうと思ったが、ふと思った。


「風呂敷包みを忘れたのは自分の不注意。これもまた、すでに自分の手から離れたものに執着してはならないという御仏からの教えなのかもしれん」


そう考え、和尚は引き返すのをやめ、また旅を続けた。


 それから五十年が経ち、再びこの宿場に来たところ、ふとそのことを思い出し、お供の僧侶に話をしたということだった。


「どうした?ずいぶん、不服そうではないか」


和尚がそう尋ねると、僧侶は


「和尚様、やはり私は納得できません。小銭ならまだしも百両を捨てるなんてもったいない真似、私には到底できませんよ」


と言った。和尚は笑いながら


「捨てたのではない。よいかね。風呂敷包みを忘れたのは私の不注意だ。それによって百両の小判がどこの誰の手に渡ろうと、もうそれは私の与り知らぬことこと、そう考えたのだ」


僧侶はそう言われてもまだ納得できないようで


「きっとその馬方の男はすぐに百両に気付いたはずです。あまりにもったいないことをしました」


口惜しそうに言うと、和尚は


「もったいないこと?決してそんなことはないぞ。その馬方の男だって食っていかなければならない。養わなければならない妻や子がいたかもしれない。年老いて病気がちの両親がいたかもしれない。

金が無くて困っている善良な人々を救うために使われるのならば、その百両だって有意義に使われたと言えるのではないか。そう思わんかね」


と言った。すると僧侶はため息をつきながら


「こうも考えられませんか?百両を手に入れたその男は酒に博打に廓遊びと、湯水のように使い果たしてしまったと」


そう言うと、和尚は


「あるかもしれんな。しかしどちらにせよ、すでに過ぎ去ってしまったこと。御仏しか事の顛末は分からぬだろうよ」


と言うと、大きく口を開けて笑った。


 まったく。和尚様はお人好しすぎる。僧侶はそう思ったが、当の和尚がここまであっけらかんとしていては話にならない。


「さぁ、明日も早い。そろそろ寝るとしよう。京都まではまだ長い道のりだ。涅槃会の集まりに遅れてしまってはそれこそ御仏に顔向けできん」


和尚がそう言い、話はそれまでとなった。


 次の日、和尚たち一行は街道を西へと進んでいた。

和尚のすぐ傍に僧侶は控えていたが、頭の中は昨日和尚から聞いた話でいっぱいだった。


 和尚様はもう過ぎたこと、と仰られたが、やはり惜しい、実に惜しい。

百両あればどれだけのことができただろうか。そのことばかり気になってしまう。


 そんなことを考えながら進んでいると街道の脇から一人の男が出てきた。

年のころは八十をゆうに超えていそうな老爺だった。腰は曲がり、顔には深く皺が刻まれている。

老爺は和尚に近寄ると


「お久しぶりでございます。和尚様」


と言った。突然のことで皆呆気に取られてしまった。

 僧侶にはこの男に見覚えがない。和尚様の知り合いだろうか。僧侶が和尚の顔を伺うと、やはり和尚様もキョトンとしている。

老爺は続けて言った。


「私は五十年前にここの宿場で和尚様に使っていただいた馬方でございます。長い間、和尚様の大切なお荷物をお返しできなくて申し訳ありませんでした。これでようやくお返しできます」


と言って、男は小脇に抱えていた風呂敷包みを和尚に差し出した。

 和尚と僧侶は思わず顔を見合わせた。まさかと思った。

和尚は受け取った風呂敷包みを開けてみると、小判が百両入っていた。


「五十年前に風呂敷包みが馬に残っているのを見つけたとき、すぐに隣の宿場まで馬を走らせました。しかし、和尚様は見つかりませんでした。さらにその先の宿場まで行きましたが、やはり見つけられませんでした」


老爺は続けて


「それから私は馬方の仕事をしながら、和尚様を探し続けました。この宿場で馬方をやっていれば、いつか和尚様にまたお会いできるかもしれない。そう考えました。しかし、それでもお会いできず、ついに五十年が経ってしまいました。年をとり、馬方の仕事を引退した後も、ここの宿場に通い続けました。そしてようやく今日、和尚様がこの街道にいらっしゃるのを見つけたのです。これでようやくお返しすることができます。こんなにも長い間かかってしまい、申し訳ありません。どうかお許しください」


老爺は頭を地面に擦り付けて平伏している。


和尚は老爺に近付き、そっと肩に手を置くと


「謝るのはこちらのほうです。私が風呂敷包みを置き忘れたばかりにあなたを五十年も苦しめてしまいました。どうか許してください。そして私の手を離れた以上、その風呂敷包みは私のものではありません。どうぞお好きなように使ってください。これも御仏のお導きなのでしょう」


和尚はそう言うと、老爺の顔を正面から見ながら


「五十年。本当に長い間ですなぁ。お互いに年をとったものです」


と言った。老爺は涙を流しながら、


「はい、私も八十八になりました。生きているうちにお会いできて本当に良かった・・」


その後、やはり老爺は風呂敷包みを返そうとしたが、和尚は受け取らず、再び旅路を再開した。


 その後、老爺は和尚の優しさと心意気に報いようと、頂いた小判で街道を行き交う人々に湯や茶を提供し、腹を空かしている者には麦飯を食べさせた。老爺はいつしか麦飯を下さる長者様ということで「麦飯長者」と呼ばれるようになった。

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ずっと待っていた男 髙橋 @takahash1

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