どんな世界のどの時間よりも長い一瞬を

つかさ

第1話

「ようやく完成した……!」

 薄暗い部屋。石畳の床に魔方陣がぽうっと浮かび上がる。これは、ずっと前にヒトの宮廷魔術師が編み出したとされる異世界からの勇者召喚のための魔方陣を真似て作ったモノ。ただし、用途は違う。異世界から呼び出すんじゃなくて、その逆。私の体を異世界に送り出すため。これを作りだすために70年を費やした。まだ、間に合うかな?


 魔方陣から溢れ出す光が天井まで照らす。そろそろ発動してしまう。私は円の中心に立つ。成功を祈るなんてことはしない。自分の実力を確信しているから。ふと魔法の先駆者であるエルフを差し置いて私たちの知らなかった高度な魔法を編み出したあの宮廷魔術師の女の顔を思い出した。70年前、私が頭を下げて魔方陣の構築理論の伝授を依頼した時のあいつの勝ち誇った顔が忘れられない。


 壁も床もかき消してしまいそうな大閃光。その中心にいるはずなのに、全く眩しくない。ついには私の体すらも光に包まれていく。


 光が溶けて視界が鮮明になる。白い天井、同じく白を基調とした壁と床。白衣や統一された色彩の服を着たヒトやたちが行きかっている。私は自分の胸に手を当て認識阻害魔法の呪文をつぶやく。これで私の姿は誰にも見えない。


「ここは……実験所?」


 あいつらと一緒に旅していた頃、一応協力関係にあった帝国でワービーストやフェアリーを捕獲して極悪非道な実験に使っていたあの忌まわしき施設を思い出す。あいつと私が激高して真正面から乗り込んだせいで、帝国と一触即発の事態にまでなりかけたっけ。

 そんな場所にあいつが捕らわれているかもしれない。そう考えるといてもたってもいられない。


 かちゃりと音がした。目の前の空間が開ける。どうやら私がいるのは扉の前で、隣に立っていた女性が扉を開けたみたい。


「リクトさーん」


 その名前にピクンと体が跳ねる。あいつの名前と同じだ。女性が部屋の一区画にある寝床へ向かう。ベッドを覆うカーテンで寝ているヒトの顔は見えない。女性の穏やかな声と枯れたような男性の声。そういえば、ヒトやドワーフの町には病院という施設があった。魔法で傷や病を癒せない種族が使う療養施設だったはず。

 しばらくすると、女性が部屋を出て行った。私はリクトと呼ばれた男性のいる寝床に向かった。やせ細って白い髪を生やし、皺と染みで汚れた顔。体からは透明な管が伸びて、何やら不可思議な物体に繋がれている。機械というものだろうか。


「リクト……」


 私は70年前に私たちの世界を救った勇者の名を呼ぶ。


「シルク……なのか」


 掠れたガラガラの声で男性は……リクトはそう返事をする。


「ええ、そうよ」

「これは、夢……」

「じゃないから安心して。なんなら触ってみる?そういえば、リクトは隙あらば変なところ触ろうとする変態だったわね。でも、今なら見逃してやらなくも……」

「あぁ、あったかいな、シルクの手」

「うっ……!?」


 骨ばった手が弱々しく私の手を握る。静かに微笑むリクト。いつもはヘラヘラしてるのに、戦いの中で私が不安になると『気にするな。大丈夫だ』と言わんばかりのあの顔だ。

 少し信じたくないけど彼は本当にリクトだから、あの頃みたいな優しい仕草と素直な言葉に顔が熱くなる。


「だいぶ大人になったんだな。顔も凛々しくなったし、肉付きもよくなって……うん」


 うん。あの頃のままだ。


「まだ、88よ。エルフは100年生きてようやく大人の仲間入り。この前、村に戻った時だってまだまだ子どもだってからかわれたわ」

「そっか。88で子どもか……。こっちなんて見ての通りヨボヨボの爺さんだ。しかも、病気になっちまって、体なんて思う通りに動きもしない」

「そうなるとリクトも私と同じ歳なわけ?」

「あぁ、そうだよ。一緒に誕生日だって祝ってくれたのに、覚えてなかったのか?」

「それは覚えてるわよ!ただ、年齢というものにそこまで関心が無かっただけ」


 300年のうちの何年経ったかなんて気にするつもりもなかったし。あの頃はただ毎日を生きるのに一生懸命で楽しかったから。


「それにしても、あっちの世界からやってくるなんてよくそんなことできたな」

「あの宮廷魔術師の知恵を借りてね。長いことかかったわ」

「ファルナか……。その時の二人のやり取り、見てみたかったな。あいつはまだ元気か?」

「リクトがこの世界に帰った10年後、王国の後継者争いに巻き込まれる形で謀殺されたわ」

「そうか……さみしいな」


 命というのは実にあっけない。それは70年前も60年前も、そして今も変わらない。

 300年も生きて、全種族で最高の魔力量を誇り回復魔術に長け、争いとはほぼ無縁の深い森の中で生活する私たちエルフにとっては縁遠いものだけど。私は彼らと一緒に過ごしてきたから、他のエルフたちよりも少しそれを実感する機会が多かった。


「あの魔方陣みたいなのに浮かんでいる文字って、リクトの名前よね?」


 こっちの世界の言葉は少しだけ


「ん?あぁ……、モニターのことか。そう。名前や年齢とかが表示されてる。あの部分が俺の年齢。ほら88って」

「魔方陣の紋様に似てる……」

「そういや、召喚された時の魔方陣にもこの模様あったっけ」


 輪っかが二つ縦に並んでいる。その形は私が作った転移魔方陣、つまり、リクトを召喚した魔方陣の中心部分の紋様に似ていた。


「この数字、円が二つくっついて、なんか繋がっているって感じがするな。それに末広がりって意味もあって縁起が良いし……おっと、これは漢字だからシルクにはわからないか」


 リクトが少し饒舌になる。ただ、明るい口調も子どものような笑顔もどこか頑張っている雰囲気があった。


「ねぇ、リクト……」


 昔はどんなに恐ろしい魔族よりも、並みいる強豪の戦士たちも歯が立たないくらい、あんなに無敵だったリクトがこんな姿になってしまっている。

 こっちの世界では魔力の素となるマナが存在しない。魔方陣発動とその維持のために大部分を使ってしまった私残った魔力では簡単な認識阻害をするので精一杯。リクトを治してあげることはできない。

 きっと、もうそんなに長くない。私がここにいられる時間も。彼の残りの時間も。


「いっぱい、話そう。この時間が続く限りまで」

「……あぁ」


 私たちが生きた88年間よりも、これから私が生きる200年くらいの時よりも、それこそ私たちが旅したあの時間よりも、大事にしたいと思えるこの一瞬を。


 あの時、伝えられなかった永遠に変わらない想いをのせて。

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