八八歳、ワシ。トラックに轢かれて死んだ。

笛吹ヒサコ

ジジイにそれはキツすぎる件

 八八歳になって、体にガタがきてないジジイババアはいない。いや、まったくいないわけじゃないだろうが。

 だからってわけじゃないが、杖を片手にえっちらおっちら横断歩道を渡ってる途中で、トラックに轢かれて死んだ。あと少しで渡りきれたのに、まったくツイてない。ま、即死だっただけマシってもんだ。生涯独身だったし、行政とかの世話になることもなかった。たいした金も遺せなかったが、死んだあとのことはマウントばかりでうるさい姉がなんとかするだろ。


 唯一の心残りといえば、推しアイドルのmisaたんの新曲が聞けなかったことくらいだ。くらいと言ったが、本当はめっちゃ悔しい。旦那が主演の春ドラマの主題歌だと発表されてから、ずっと楽しみにしてたのに。確定じゃないが、MVで旦那と共演しているとか。くぅうううう、人妻になって幸せオーラダダ漏れているmisaたんをまだまだ見守っていたかったぁああああああああ!!!!


「あ、あのぉおお、そろそろよろしいでしょうか?」

「あ、はい」


 そうそう、死んだ。

 そしてここは、どうやらあの世の入り口っぽいところらしい。閻魔大王がいる地獄の入り口ではなくて、雲の上の神殿っぽいところにいるのは、ワシとどこからどう見ても女神っぽい美女。いや、misaたんに比べたら、目の前の女神(本物)は……。いかんいかん、死んだからには、未練がましく年甲斐もなく心を奪われたアイドルのことばかり考えているわけにはいかん。


「それで、ワシを天国にでも連れてってくれるのか?」

「いえいえ、とんでもない」


 なんだか、見た目は若い美女なのに、中身はオバちゃん? 接客(接待)に慣れた熟女感が隠しきれてない気がする。

 女神が言うには、本来なら百歳まで寿命があったが、トラックに轢かれ寿命をまっとうできなかった人間は、天国にも地獄にも行けないらしい。


「全人類が定められた寿命をまっとうできないのは、我々が未熟なためでして、あと千年ほどすれば、こうした不具合はなくなるので、ご安心ください」


 いや、まったく安心できないというか、安心するところがない。不具合ってなんだ。……言いたいことはあるが、なんだかめんどくさくなってきた。


「天国にも地獄にもいけないませんが、異世界ならいけます」


 なんだその、misaたんがハマったというラノベみたいな話は。misaたんがハマった展開は、正直そそられるものがある。misaたんオススメの異世界転生モノを制覇してるから、この女神が言う異世界が過酷すぎる可能性もゼロではないだろうが、やっぱりそそられる。だが――


「しかも、慣れ親しんだ肉体からだをそのままで異世界ライフを満喫していただけます」


 満面の笑みで告げられたそれに、正気に戻された。


「貴方は、八八歳にしては精神的にとてもお若いですし、すでにテンプレも理解してるので、とてもいい話だと思いますよ」


 いかがです? とウィンクされても、やっぱりmisaたんのほうがいい。というか、年甲斐もなくアイドルなんぞに熱を上げてみっともないジジイだという自覚くらいある。精神的に若いと言われても、まったく褒め言葉になってない。misaたんがいたから、錆びついた頭で苦労しながらスマホとかSNSとか、どうにかしてきたんだぞ。misaたんがいなかったら、そこらのジジイとかわらない。


「あの、チートとかは……」

「ありません。あくまでも、不具合に対する措置ですので」

「では、お断りします」


 何が悲しくて、ガタついたジジイの体で異世界に行かねばならんのだ。これで拒否権がないとか言われたら、みっともなく泣いてやる。どうせ死んでいるだ。恥なんかしらん。

 女神は、なぜか驚いて目を丸くしている。やっぱりmisaたんのほうがかわいいな。


「え、しないですか、異世界転生」

「したくありません」

「流行っている措置なのに……」


 そりゃあ、若い連中の間ではまだ流行っているかもしれんがな。


「そうですか。貴方なら、喜ばれると思ったのですが、残念です。では、生き返るということでよろしいですか?」

「はい? それはどういうことですか」

「現世に戻り引き続き残りの寿命をまっとうしていただく従来の措置です」

「それでお願いします」


 若干食い気味に即答した。





 こうして、生き返ったワシは、悔いのないように今まで以上にmisaたんの推し活に人生をかけた。

 やがて高齢者アイドルとしてmisaたんに認知されることとなるが、それはまた別の話。

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八八歳、ワシ。トラックに轢かれて死んだ。 笛吹ヒサコ @rosemary_h

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