13 掛軸、見な
「このところ、この辺りじゃ『
「溝出ってのはね……」
それが、命日でもないのに何かが海に人間を引きこんでる気配がある。だから調査した。
「で、判ったのは、満月城の
馬と化した
「今まで俺たちがしてきたのは、ここで姫さんと若武者を再開させるための準備なんだ ―― おぅ、隼人、いつでもいいぞ」
奏さんは紐を解き終わり、桐箱から
「うん、合図したら掛軸を開いてね」
隼人はそう言うと、海を見詰めながら両腕を前に伸ばした。
≪ 太陽神ホルスが海に命じる。
「奏ちゃん、掛軸を――」
黙ったまま奏さんが腕をもたげ、掛軸がするすると伸ばされていく。見るとそこには花嫁が描かれている。
花嫁の絵は、
≪ おのれ、
この声も耳に聞こえるものではない。若武者は
隼人がフッと腕を払い、一本の風切り羽を宙から取り出した。そしてそれを姫君に渡すと、
≪ おのれ、おのれ!≫
刀を構え、姫が若武者に向かって
≪ おのれ!≫
ついに姫は若武者に
姫は手にした刃を自分の首に向ける。微動だにしなかった若武者が
≪ いけない!≫
と叫び、慌ててそれを止めようとする。姫の首に刃が触れた ――
その瞬間、刀は
≪ わたくしがお二人をお連れしましょう。わたくしの願いはお二人が
馬が
「終わったな……」
奏さんがぽつりと言った。
隼人はゆっくり振り返ると、奏さんが手にした掛軸を見る。花嫁が描かれた掛軸は、多分 元通りなのだろう。白打掛の花嫁が描かれたままだ。
「もういいよ、奏ちゃん。その掛軸も雲大寺の住職に頼んで」
力なくそう言う隼人に奏さんが
ふう、と
「バンちゃん! お
「判った、すぐに何か食べよう。怒るなよ」
「それにサングラス! このままじゃ物珍し気に見られるだろ? 僕を見せ物にしたいのかよっ!」
「ほい、隼人。預かっといたよ」
横から満がサングラスを渡す。
「なんでミチルなんだよ? バンちゃんがしっかりしてくれなきゃボクが困るんだ!」
サングラスを掛けながら、隼人はプンプン怒り続ける。満と僕は顔を見合わせ苦笑する。
海岸から、車を
朔と満は全権を託され、コンビニに走っていった。もっとも隼人は食べ物を選り好みしない。嫌いなものさえ買って来なけりゃ文句は言わない。あとは『隼人にはない』という状況を作らなければいい。
「何にもなかった」
朔たちが買ってきたのは菓子パンだった。もちろん飲み物は、隼人にコーヒー牛乳、満には微糖、奏さん、朔、僕はブラックコーヒー。
奏さんはソーセージを巻き込んだパン、朔はカレーパン、満はメロンパン、僕はピーナツクリームを挟み込んだパンを食べ、隼人はその全部を食べた。
「バンちゃんっ! なんでボクに4つも食べさせるんだっ! お陰で食べ過ぎたじゃんかっ! お腹が苦しいっ!」
だから、買ってきたのは朔と満で……
「寝るっ!」
相変わらず隼人はご
「食べ終わったか? それじゃ行くぞ」
と、奏さんがエンジンを掛ける。そして
「片倉に寄るか?」
と隼人に聞いた。
「うん、奏ちゃん、お願い。見届けてから帰る」
「おう、判った」
車が走り始めると、ふわっとした感触の後、隼人が僕に寄りかかった。
「ねぇ、バンちゃん……」
そしてほかの誰にも聞こえないよう、ボクの耳元でそっと呟いた。
「うん、そうだね……判った、家に帰ったらね」
そっとそう答えると、隼人は安心したのか、僕の背中に顔を埋めて眠り始めた。
僕は結局隼人の願いを拒めない。いつも許してしまう。そう、いつも……隼人の願いが何なのか、それは僕と隼人、二人だけの秘密だ。
「あの片倉の洋館、あの出窓のある部屋は、病弱な少女が住んでいたんだ」
奏さんが誰にともなく話し始める。
少女は寝たり起きたり……それでも大好きな絵を描くのを楽しみにしていた。
彼女が描くのは水彩画だったが、油彩も描いてみたいと思っていた。それを知った幼馴染の少年が少女に油彩の道具を送った。少女は少年にモデルになって欲しいと言った。最初に描く油彩はキミを描きたい。
少年は喜んでそれを承知した。少年と少女は、お互い淡い恋心を抱いていた。初恋だろう。
ところがそれ以来、少年が少女の部屋に来ることがなくなった。少女は毎日少年を待って、なにも描けないキャンバスを見詰めていた。
どんなに待っても少年は来ない。少年は、交通事故で命を落としていた。少女の周囲は少女の嘆きを案じて、その事実を少女に告げられなかった。何年も少女は少年を待ったそうだ。そしてとうとう少女もこの世を去った。
「あの掛軸は、少女が気に入って自分の部屋に掛けていた。洋館には不似合いな、古風な日本画だったが、少女は花嫁に憧れていたんだろうな」
掛軸は、少年と少女のやり取りを、そして少女が少年を待ち続けるのを、ずっとあの壁から見ていたんだ。
「姫君と若武者、そして侍女の物語は、隼人が掛軸から聞いた話だよ」
「紅実那さんって、掛軸の花嫁だったの?」
満が遠慮がちに奏さんに訊く。
「それが……隼人ははっきり言わないんだが、多分違うと俺は思うよ」
その部屋で少年を待ち続けた少女だ、と僕は思った。隼人は少年に成り代わって少女のモデルを務めたんだ。僕はそう思った。
「それにしても、最初に紅実那さんの名前を聞いた時は笑いそうになったよ」
奏さんが言うと、朔がプッと吹き出した。
「
かけじくみな……掛軸、見な――隼人、もう少し何とかならなかったのか?
隼人はすやすや眠っている。やっと肩の荷が降りたんだろう――
<完>
彼女の恋人 ≪ この探偵は「ち」を愛でる 2 ≫ 寄賀あける @akeru_yoga
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