12  悲恋、物語る

そうちゃん、これ、桐箱きりばこに入れて。大切たいせつあつかってね」


 窓越しに、手にしていた物を奏さんに渡してから、隼人はやとは窓を乗り越えて外に出た。


「おう、判ってるって」


奏さんは受け取った物を、横断幕おうだんまくを入れていた箱にそっと収めた。どうも、掛軸かけじくのようだ。


「こっちはどうする?」

横断幕のはしを持ってヒラヒラさせながらさくが問う。


「それは、そうだねぇ、どうしようか……念のため、雲大寺の住職じゅうしょくたのもうか」

隼人が言うと、


「んだな、いったんは霊体れいたいが二体も入った布だからな」

奏さんが事も無げに言う。霊体が二体? 聞いただけでも腰が抜けそうだ。


「二体の霊体って、なんだったの?」

隼人はチラリと僕を見ただけで

「先に車に行ってる。奏ちゃん、頼むね」

と、ブッシュの迷路に入っていく。


「バン、さっきお城の姫君の悲恋を話したじゃないか」


 朔と協力して横断幕を巻き取りながら奏さんが言う。


「花嫁はその姫君。翌日の婚礼のための衣装を若武者のために着ていたんだ。自分がうのは若武者だけだと、つたえたかったんだろうな ―― あの話はな、実はもっと深いんだ」


若武者に想いを寄せるのは姫君だけじゃなかった。姫君のかたわらにいつも控え、姫君に忠誠ちゅうせいを誓っていた侍女じじょひそかに若武者をしたっていた。三人は幼馴染おさななじみだったそうだ。そして若武者と姫君が引き裂かれるかというとき、侍女は決意した。姫と若武者の幸せを誰に奪わせるものか……


 侍女は姫に言った。若武者のもとにお逃げください、と。若武者とともにお逃げください、と。そのために私は姫を乗せる馬になりましょう。可愛がっていた侍女の申し出に、姫は感謝するとともにさとってもいた。この侍女もまた、若武者を愛している。だがそれに気付いたと口にすれば侍女を苦しめる。自分の思いを捨ててまで、姫と若武者の幸せを願う侍女にむくいるには、気付かないふりをして申し出にしたがうのが最善だ。


「ところが、皮肉なことにその侍女を、愛する若武者が殺してしまった」


 もう若武者のもとにはいけない、姫のなげきに侍女は月に逃げ込むことにした。ほかに行くべき場所がない。


「だけどそう簡単に、恋心は消せないんだな」


 姫君は夜毎よごと、若武者への思いにむせび泣く。そして侍女に頼み込む。あの若武者の息の根を止めに、地上へ連れて行っておくれ。おまえのかたきを討たないことには、思いをち切る事もできない。


「もちろん侍女は若武者を恨んじゃいない。それは姫も知っていた。でも、まぁ、そのままじゃ姫の気が済まなかったんだな、きっと」


 満月の夜になると二人は月から抜け出して、若武者の姿を探し求めて地上を駆け巡る。だが、首のない侍女には若武者が見つけられない。


「姫君も、若武者を見つけたところで殺す覚悟ができていたのか怪しいもんだ」

奏さんは、横断幕を巻き終わっていた。


「こないだ雲大寺に預けた衝立ついたて、あそこに書かれた絵は、侍女を描いた絵なんだ」


 侍女の顔に十二単を着せて描いた絵だ。何かの酔狂すいきょうだったんだろう。なのに、あの衝立にりついた怨霊おんりょうが、あの絵の顔を消しちまった。


「首なし馬がこの辺りを駆けまわるようになったのはそれからだ」


 絵に憑りついた怨霊の怨みにリンクしたと隼人は推測した。だから隼人はまず、あの衝立を供養することにした。


 思った通り、供養されたことで絵に顔が戻り、侍女の首に戻る事が出来た。それがさっきの出来事だ。供養の後、初めて首なし馬が地上に降りて、自分に首が戻ったと知ったんだ。


「ま、そう言う事だよ」

横断幕を奏さんが抱え、朔が掛軸の入った桐箱を運んだ。


「ねぇ、蓑借みかばば顔撫かおなぜも関係あるの?」

 車に向かう道すがらみちるが奏さんに聞いた。


「蓑借り婆はだな。朔が運んでる掛軸をあの婆さんはねらった。で、菩提寺ぼだいじに相談した持ち主が掛軸をこの洋館に移したんだが、洋館を使わなくなって忘れられた」


「そっかぁ……で、頬撫ぜは?」

「あれは妖怪『小袖』の情報を聞くために会いに行った。小袖から手が伸びる妖怪―― 妖怪と言うより怨霊なんだがな」

車の荷台に横断幕と、朔から受け取った桐箱も積み込みながら奏さんが言った。


「ほら早く。何のんびりしてるんだよっ?」

 とっくに車に乗っていた隼人が怒りだす。


「みんな、早く乗りなよ! ボクをけ者にして、なにしてるんだよっ! 話ならボクも混ぜろっていつも言ってるだろ! なんでボクをひとりにすんだよっ!」


「怒んないでよ、隼人。あたしが隣に座ってあげるから」

「だめ! ボクの隣はバンちゃんって決まってる!」


隼人は随分ずいぶんのようだ。車の中に一人でいて、心細くなったのかもしれない。笑いながら奏さんが運転席に乗り込み、エンジンを掛けた。


 国道16号を南下して、129号線に入る。相模原愛川さがみはらあいかわインターチェンジから圏央道けんおうどうに乗り、茅ヶ崎ちがさきジャンクションで新西湘しんせいしょうバイパスを選んで、海岸 沿いのルートをった。1時間半の道のりだ。


 サザンビーチだ辻堂つじどうだ、鵠沼海岸くげぬまかいがんだ江の島だ、と満が喜んで騒ぎ立てる。いつもなら、うるさいってばっ! と、怒りそうな隼人は、僕の背中に顔をうずめて眠ったフリをしたままだ。おなかすいた、とも言いださない。


 昼間なら渋滞する道もスイスイで、それでもやっぱり車も人影も絶えない。24時間営業の店も点在している。海を見ると深夜だと言うのに砂浜を散歩する人がいる。


 目的地の由北ヶ浜ゆきたがはまも客の多い海岸だ。


 僕たちが採ったルートとははずれるが、観光名所の鳩岡八幡宮はとがおかはちまんぐうの正面の道を真っ直ぐ行くと目の前に海が広がる。そこが由北ヶ浜だ。昼間となれば大勢の観光客が押し掛け、平日でも道路は渋滞し、休日ともなると動けないほどになる。


 そんな由北ヶ浜で、隼人は何をしようと言うのだろう。他人目ひとめについても大丈夫なのだろうか ――


 駐車場で車を停めると奏さんが

「隼人、着いたぞ」

と、隼人を起こす。


僕の背中に顔を埋めたまま、

「夜明けまであとどれくらい?」

と隼人が問う。


「1時間ってところだな」

「そう……それじゃ少し海岸を歩く。場所を決めたら呼ぶよ。バンちゃんとミチルは一緒に来て」


 車を降りるとしおの匂いが強烈になった。車の中でも感じていたけれど、それよりずっと強くて新鮮で、海に来たんだ、と実感する。隼人は道路脇の階段を降りると、砂浜を歩き始めた。人影がチラホラあるのに隼人はサングラスをしていない。オッドアイを見られてもいいのだろうか?


 潮騒しおさいすずやかに静かに耳に届く。風のない夜だ。砂を踏む音さえ聞こえそうなほど静まり返っている。空を見上げるといつの間にか月は消えている。西の空に沈んだか、山影に入り込んだのか。


「ここからじゃ日の出は見えないみたいだね」

ぽつりと隼人が言った。


 東はすぐそこに、鎌倉幕府を守った山々がせまっている。日没も日の出もこの海からは見えないのだろう。


 しばらく隼人は砂浜を行ったり来たりしていたが、

「ここだ。見つけた」

と、足を止めた。


「ミチル、奏ちゃんと朔を呼んできて。桐箱を忘れないでね、って」

「うぃ、隼人。すぐ呼んでくるよ」

満が嬉しそうに走り出す。朔も満もやたらと走るのが好きだ。走りながら、笑い転げているときもある。やっぱり犬っころだ、と、こっそり僕は思っていた。


 すぐに奏さんと朔、満が姿を見せた。ゆっくり歩いているのは、奏さんが桐箱を抱えていたからだろう。大事な桐箱を落としでもしたら大変だ。


 日の出までもうすぐだ。空は白み始めている。


「太陽の光が届けばボクの時間だ。始めよう」

太陽神ホルス、隼人がまっすぐ海を見てそう言った。

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