11  月光、照らす

「うわぁ……首がないよ、首なしだよ」


 みちる、今さらか? 隼人はやとは車の窓に貼りつくようにして馬を見詰めている。首なし馬はどんどん近づいて、もうすぐ僕たちの横を抜けるだろう。


「あれ?」


 思わず僕が疑問を口にする。ひづめの音はするけれど、空気の振動とか、まったくない。存在感がない。


「うん……おんまさん、生き物じゃない。妖怪でもない。幽霊のたぐい


ぼーっとした口調でそう言いながら、隼人の目は馬を追う。もちろん僕と満も馬を見続ける。


 そして馬は……すーーーっと、横断幕の月に飛び込んだ。描かれた月が馬と、その背に乗った姫君を飲み込んでいく。


「閉じて!」

隼人が叫ぶ。そうさんとさくが走り寄って横断幕を巻き込み始める。


 横断幕から蹄の音が鳴り続け、よく見ると中に何かがいるかのように、強風に旗がひるがえるように、バタバタとうごめく。それを奏さんが押さえつけた。隼人が車を降り、僕と満がそれに従う。


「悪いようにはしないから、暴れるのはよ」


 巻き終わった横断幕に向かって隼人が話しかける。そしてそっと横断幕をでた。横断幕はおとなしくなり、微かなすすり泣きが聞こえ始める。


 姫君が泣いている、もらい泣きしそうなほど悲しい声で――横を見ると、満はもう涙ぐんでいる。


 隼人はしばらく横断幕を見詰めていたが、やがて静かにこう言った。

「首なし馬は桐箱きりばこに……さて、紅実那くみなさんに会いに行こう」

こんな夜中に? そう思ったけれど、言ってきく隼人じゃない。それにしてもなぜ紅実那さんなんだろう。


 ここで僕は気が付いた。誰にでも『ちゃん』付の隼人が、紅実那さんだけ『さん』と呼んでいる。なぜだ?……聞いても隼人は答えないだろう。隼人自体忘れている可能性だってある。なんでだったっけ? バンちゃん、教えて、そう言われるのがオチだ。


 例によって隼人はすぐに僕の背中で眠り始めたけれど、片倉が近づくにつれ、モゾモゾが始まった。で、急に、顔をあげて、

「やっぱりやめる!」

と叫んだり、すぐさま

「いや、行こう」

と、何度も繰り返すものだから、さっさと決めろ、と奏さんに怒鳴られた。


「だって、奏ちゃん……」

泣き虫の隼人は間もなく泣きだしそうだ。

「隼人よぉ……最後のピースがなけりゃパズルは完成しないぞ」

奏さんが隼人をさとそうとする。


「パズルなんかじゃない」

いつになく隼人が声を荒げる。


「一つずつ、全部が別の物だ。それぞれが、それぞれの道を歩き出せるよう、ボクは助けてあげたかったんだ!」

隼人がまた空を見上げた。


「紅実那さんを迎えに行って、その足で鎌倉に行く。夜明けまでには由北ヶ浜ゆきたがはまに到着したい。奏ちゃん、急いで」

「あいよ!」

奏さんが、微笑んだように僕には思えた。


 今日は洋館の前まで車で行くと隼人が言う。


 国道から脇道に入り、さらに脇道に入ると、その道は洋館に付属する道だったようで、行きつく正面に洋館があり、当然、道はそこで終わる。門の正面に奏さんは車を停めた。車を降りて、僕は門扉から中をのぞいた。

「中に入るにはこっちだ」

隼人が煉瓦塀れんがべいづたいに歩き出す。


 覗き込んだ洋館は荒れ放題だ。たぶん、門の内側はもともと広い車寄せだったのだろう。今は敷石の隙間すきまから雑草が生い茂り、植栽しょくさいも長く放置されていたのが見て取れる。枝が好き勝手に伸びて、樹姿がみだれ、樹勢もない。使われていたころは、さぞや瀟洒しょうしゃだっただろう建物は、つたからまり、バルコニーにはくずれも見える。


「バン、行くぞ」

朔の声に我に戻り、僕は洋館から目をらした。


 煉瓦塀はすぐに終わり、その先はブッシュがい茂っていた。外側は自然のままで人間の手が入っているようには見えない。ブッシュはり組んでいて、まるで迷路のようになっていた。その隙間すきまを隼人は進む。


 建物のわきに出るのに時間はかからなかった。そこは窓枠が落ちた部屋の前で、中を覗きこんでから、フワッと隼人は中に入った。窓は出窓だ。紅実那さんが絵を描いている、あの出窓だと僕は思った。


「うん、計算どおりだ」

出窓に腰かけて隼人が空を見上げる。月はまだ空にいる。部屋にも月影が届いている―― 隼人が月影に浮かび上がる。絵のような光景がそこにはあった。


 隼人はいつもこうして紅実那さんのモデルをしていたんだろうか? だけど紅実那さんはどこにいるんだろう?


 荒れ果てたこの洋館に紅実那さんが住んでいるとは考えづらい。もし本当に住んでいるのなら、なにもわざわざ生け垣を抜けることなく、門を開いて貰えばいい。そうしなかったのは紅実那さんがここに住んでいないか、もしくは……もしくは紅実那さん人間じゃないからだ。


 隼人越しに部屋の中を覗く。部屋はお世辞にも掃除が行届いていると言い難い。雑多なものが散乱し、分厚ぶあつほこりもっているように見える。けれど、月影は埃すらキラキラと輝かせている。


 よく見ると、月明かりとやみ狭間はざまにイーゼルが立っている。乗せられたキャンバスはあちら向きだ。絵描きは窓に向かって立っているという事だ。周囲に落ちているのは絵の具や絵筆だろうか。


「バンちゃん、女性の部屋を覗くなんて失礼だよ」

 静かにそう言って隼人が出窓から降りた。そしてイーゼルの向こうに立ち、一度窓を見てから、さらに奥の壁に向かった。壁には何かが張られている。それを隼人がじっと見ている。


「隼人、準備ができたぞ」

奏さんが窓の外から声を掛けると、隼人がゆっくりとこちらを向いた。


「判った……始めて、奏ちゃん」

隼人が静かに、とても静かにそう言った。


「バン、退かないと危ないぞ。満と二人、離れてろ」

と、言われ、満を探すと、建物に貼りつくように立っている。真似て僕もその隣に貼りつく。


「バンちゃん、バンちゃんは窓の向こう側にしなよ」

「え、ここじゃダメ?」

「駄目だめ、早くして。向こう行って」

渋々、僕は窓の向こう側の壁に貼りついた。


 地面にあの横断幕が裏を表に敷かれている。奏さんの言う準備ってこれか、と僕は思った。朔が横断幕の向こうにしゃがみ、奏さんの合図を待っている。


「それじゃ、朔、行くぞ。いっせぇの!」

奏さんの掛け声で、一気に横断幕が裏返され、表が表になる。すると首なし馬が再び描かれた月から、ゆっくり姿を現した。背にはうっすら白く輝く和服姿の女性の姿がある。和服……白打掛しろうちかけ? 花嫁? 白く輝く姿は、すぅっと浮いて隼人がいる部屋の中に、吸い込まれるように消えていく。


 残された馬がいななき、空に浮かぶ月に気が付く。そして、ひづめをカッカと鳴らした。そして嘶きを残し、月に向かって駆けていく。いつの間にか馬に首がある。しかも馬ではなくなっていく。


 女性だ。古風な和服を着た女性だ。月を目指して、ゆらゆらと昇る。そして月の光に消えていく ――


 ハッと気を取り直し、部屋の中を見る。馬に気を取られて忘れるところだった。朔と奏さんも、窓に駆け寄ってくる。満はとっくに部屋の中を見ている。いち早く、中を見るのに、満はあの場所が欲しかったんだと、僕は思った。


 部屋の中では隼人と、ぼんやり白く輝く花嫁が壁に向かって立っていた。やがて隼人は花嫁に向かい、手を差し伸べる。その手に花嫁が手を添える。


「あなたを守った侍女は月に消えた。本来の姿に戻った。次はあなたの番だ」

ささやくような隼人の声が聞こえる。隼人に先導されるように、花嫁は壁に向かって進み、そして姿を消した。隼人がゆっくりと壁に手を伸ばす。そしてそこにあった何かをがした。それを丸めながら隼人が言った。


「いざ、鎌倉」

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