11 月光、照らす
「うわぁ……首がないよ、首なしだよ」
「あれ?」
思わず僕が疑問を口にする。
「うん……お
ぼーっとした口調でそう言いながら、隼人の目は馬を追う。もちろん僕と満も馬を見続ける。
そして馬は……すーーーっと、横断幕の月に飛び込んだ。描かれた月が馬と、その背に乗った姫君を飲み込んでいく。
「閉じて!」
隼人が叫ぶ。
横断幕から蹄の音が鳴り続け、よく見ると中に何かがいるかのように、強風に旗が
「悪いようにはしないから、暴れるのはおよしよ」
巻き終わった横断幕に向かって隼人が話しかける。そしてそっと横断幕を
姫君が泣いている、
隼人は
「首なし馬は
こんな夜中に? そう思ったけれど、言ってきく隼人じゃない。それにしてもなぜ紅実那さんなんだろう。
ここで僕は気が付いた。誰にでも『ちゃん』付の隼人が、紅実那さんだけ『さん』と呼んでいる。なぜだ?……聞いても隼人は答えないだろう。隼人自体忘れている可能性だってある。なんでだったっけ? バンちゃん、教えて、そう言われるのがオチだ。
例によって隼人はすぐに僕の背中で眠り始めたけれど、片倉が近づくにつれ、モゾモゾが始まった。で、急に、顔をあげて、
「やっぱりやめる!」
と叫んだり、すぐさま
「いや、行こう」
と、何度も繰り返すものだから、さっさと決めろ、と奏さんに怒鳴られた。
「だって、奏ちゃん……」
泣き虫の隼人は間もなく泣きだしそうだ。
「隼人よぉ……最後のピースがなけりゃパズルは完成しないぞ」
奏さんが隼人を
「パズルなんかじゃない」
いつになく隼人が声を荒げる。
「一つずつ、全部が別の物だ。それぞれが、それぞれの道を歩き出せるよう、ボクは助けてあげたかったんだ!」
隼人がまた空を見上げた。
「紅実那さんを迎えに行って、その足で鎌倉に行く。夜明けまでには
「あいよ!」
奏さんが、微笑んだように僕には思えた。
今日は洋館の前まで車で行くと隼人が言う。
国道から脇道に入り、さらに脇道に入ると、その道は洋館に付属する道だったようで、行きつく正面に洋館があり、当然、道はそこで終わる。門の正面に奏さんは車を停めた。車を降りて、僕は門扉から中を
「中に入るにはこっちだ」
隼人が
覗き込んだ洋館は荒れ放題だ。たぶん、門の内側はもともと広い車寄せだったのだろう。今は敷石の
「バン、行くぞ」
朔の声に我に戻り、僕は洋館から目を
煉瓦塀はすぐに終わり、その先はブッシュが
建物の
「うん、計算どおりだ」
出窓に腰かけて隼人が空を見上げる。月はまだ空にいる。部屋にも月影が届いている―― 隼人が月影に浮かび上がる。絵のような光景がそこにはあった。
隼人はいつもこうして紅実那さんのモデルをしていたんだろうか? だけど紅実那さんはどこにいるんだろう?
荒れ果てたこの洋館に紅実那さんが住んでいるとは考え
隼人越しに部屋の中を覗く。部屋はお世辞にも掃除が行届いていると言い難い。雑多なものが散乱し、
よく見ると、月明かりと
「バンちゃん、女性の部屋を覗くなんて失礼だよ」
静かにそう言って隼人が出窓から降りた。そしてイーゼルの向こうに立ち、一度窓を見てから、さらに奥の壁に向かった。壁には何かが張られている。それを隼人がじっと見ている。
「隼人、準備ができたぞ」
奏さんが窓の外から声を掛けると、隼人がゆっくりとこちらを向いた。
「判った……始めて、奏ちゃん」
隼人が静かに、とても静かにそう言った。
「バン、
と、言われ、満を探すと、建物に貼りつくように立っている。真似て僕もその隣に貼りつく。
「バンちゃん、バンちゃんは窓の向こう側にしなよ」
「え、ここじゃダメ?」
「駄目だめ、早くして。向こう行って」
渋々、僕は窓の向こう側の壁に貼りついた。
地面にあの横断幕が裏を表に敷かれている。奏さんの言う準備ってこれか、と僕は思った。朔が横断幕の向こうにしゃがみ、奏さんの合図を待っている。
「それじゃ、朔、行くぞ。いっせぇの!」
奏さんの掛け声で、一気に横断幕が裏返され、表が表になる。すると首なし馬が再び描かれた月から、ゆっくり姿を現した。背にはうっすら白く輝く和服姿の女性の姿がある。和服……
残された馬が
女性だ。古風な和服を着た女性だ。月を目指して、ゆらゆらと昇る。そして月の光に消えていく ――
ハッと気を取り直し、部屋の中を見る。馬に気を取られて忘れるところだった。朔と奏さんも、窓に駆け寄ってくる。満はとっくに部屋の中を見ている。いち早く、中を見るのに、満はあの場所が欲しかったんだと、僕は思った。
部屋の中では隼人と、ぼんやり白く輝く花嫁が壁に向かって立っていた。やがて隼人は花嫁に向かい、手を差し伸べる。その手に花嫁が手を添える。
「あなたを守った侍女は月に消えた。本来の姿に戻った。次はあなたの番だ」
「いざ、鎌倉」
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