昭和非のじゃロリ狐
ギヨラリョーコ
第1話
真夏の山。
ぎらぎら輝く太陽の真下で、俺はぶっ倒れていた、らしい。
「お兄さん、お兄さん」
びしゃびしゃびしゃびしゃ。
顔面に冷水をぶちまけられて目が覚めた。
「ああ気づいた気づいたぁ」
甲高い少女の大声が耳に響く。
草っ原に埋もれていた上体を起こすと、覗き込んできた少女の顔と額同士で激突した。
「痛い!」
「あ、ご、ごめん」
「でも元気そうで安心したわァ」
額をさすりながら微笑む少女の頭の上でぴこん、と揺れる、ピンと立ったふわふわの獣耳。
……獣耳。
「動物ぅ?!」
「そうなのよ、あたし狐なのよぉ」
ふふふ、となんでもないように笑って、夏なのに長袖を着込んだ狐耳の少女は手招きした。ぴこぴこ揺れる耳は、とても飾りとは思えない。
「ついといで、お兄さん日射病だよ、あたしのお家で涼んでくといいよ」
あんまりに非常識な状況に判断を迷ったが、何より水をぶちまけられたせいでびしょ濡れなので、俺はどうやら命の恩人らしき彼女に招かれるがままに着いて行くことに決めた。
「……ここにお住まいで?」
家、と言われて示されたのは、山を降りたところにある白いプレハブの小屋だった。
「そうよ、あっ冷房もついてるからねえ」
少女の言う通り小屋の中は冷房がキンキンすぎない程度にかかっている。
住居というより事務所のような雰囲気だが、奥に一段上がって畳敷の座敷があり、畳んだ布団やタンスやラジカセや小さなちゃぶ台が置かれている。
「ちょっと待ってね、お茶淹れるから」
しかし声の大きい子である。所在なく座敷の隅に座ってタオルで顔を拭きながらそんなことを考えていると、こっちも見ずに事務机の引き出しからお茶っ葉を取り出しながら狐耳の少女は言う。
「今年88なのよ、耳が遠くてねえ」
え、と思わず声を漏らすと、ふふふと少女は笑った。
「心なんて読めないよぉ、みんな言うからそうだろうなって思っただけ」
「そ、そうですか」
ケモ耳ロリババア。幻覚かもしれない。しかし幻覚でない場合相手に向かってババアと言うわけにはいかないのでぐっとこらえた。
「『◯◯なのじゃ』とか言わないんですね」
「言わないわよぉ、そんなテレビの漫画みたいな」
よく考えたら88歳って昭和生まれか。「◯◯なのじゃ」は、言わないか。
喋りながらせっせとお茶を淹れたりお菓子をすすめてくれたりしているロリ狐を眺めていると、インターホンがピンポンピンポンと鳴らされた。
「どうぞー」
大きな声でロリ狐がインターホンに答えると、勢いよくプレハブの扉が開く。
「山吹ちゃん、久しぶりぃ」
「あっついわね今日」
「水羊羹持ってきたわよ山吹ちゃん」
入ってきたのは姦しい老婆、老婆、老婆。
「……ええと」
ロリ狐、もとい山吹ちゃんは手を合わせて全然済まなくなさそうに頭を下げた。
「ごめんねえ今日お友達が来てて」
「どうして山なんて来てたのよ」
「あ、その、地質学調査で」
「調査? 学者さんなのねぇ」
「ほら水羊羹食べな」
「あ、ありがとうございます」
「アラレあるわよアラレ」
「お茶はいったわよ」
俺は今、姦しい老婆たちと姦しいロリ狐に囲まれて渋い趣味の菓子を食わされている。
聞けば、このプレハブは山麓の町役場が建てた山林管理事務所らしい。そこに勝手に住み着いたロリ狐こと山吹さんと、ハイキングが趣味のこの老婆たちは同世代ということで意気投合したらしい。
「山吹ちゃんこの間のきよしの出てた番組見られた?」
「見たわよぉ、最近曲の雰囲気変わったけどやっぱりきよしはいいわよねえ」
「あ、ここテレビ見られるんですね」
「ここテレビないのよぉ、春子さんのところで見せてもらって」
「お夕飯前に電話かかってきてねえ、ご丁寧に里芋たくさん持ってきてもらって」
「ここの裏で畑もやってるのよぉ」
老婆たちとにこにこおしゃべりをする山吹さんはロリというより普通におばあちゃんという雰囲気だ。
しばらく俺の知らない町の人の話題で盛り上がっていたので、居心地悪く水羊羹をつつく。まだ本調子ではないし、助けてもらった手前なんだかここで席を外すのも感じが悪い気がする。
「山吹ちゃん、まだガラケーよね」
「そうなのよぉ、スマホってよくわからないじゃない」
「意外と簡単よ、わたし孫に教えてもらったんだけどね」
「山吹ちゃんそういえば携帯の名義ってまだ吉竹さんのまま?」
「流石に無理だから前野さん名義で作ってもらったわよぉ」
不思議な会話に僕が内心首を傾げていると、山吹さんはまた僕の心を読んだように付け加えた。
「あたしもとは山の狐だからね、戸籍とかもないのよぉ。だからお友達の名義で携帯作ってもらってね、ほらお電話できると何かと便利でしょう」
「最初は吉竹さんって人の名義で作ったんだけど、あの人亡くなったから」
「吉竹さんまさにピンピンコロリって感じで羨ましかったわね、私もあんな風に死にたいわ」
「そうよね家族に面倒かけるのもね」
老婆たちが理想の死に方の話で盛り上がってしまい、僕はちょっと居心地が悪い。死ぬとか気軽に言われても若いものはなんと返したらいいのかわからないのだ。
「……そうだねえ」
相槌を打つ山吹さんの声に元気がなくなったのが気になって、ふと横を見るとパチリと目があった。
お互い気まずそうな顔をしていて、なるほどと思う。
人外の山吹さんと老婆たちは、生きてきた時間は同じくらいでも、死ぬまでの時間には隔たりがある。
いいお友達でも、分かち合えないものはあるのかもしれない。
老婆たちは元気に喋くって僕にお菓子を持たせまくってから帰っていった。
なんだかがらんとした感じのある事務所の流しで、山吹さんは踏み台に乗ってお茶碗を洗っている。
「布巾、これでいい?」
その茶碗を横から受け取って布巾で拭いてあげると、山吹さんは「ありがとうねえ」と相変わらず大きな声で言った。
「ねえおばあちゃん」
「なあに」
山吹さんの返事はくすぐったそうだった。
「今度スマホの契約付き合ったげようか」
「あら嬉しい」
「ご恩があるからね。僕ならあと50年くらい生きると思うし」
「50年かあ、長生きだねえ」
「うん.長生きするよ」
山吹さんはしみじみと頷いて、うんと背伸びして俺の頭を撫でようとした。俺も屈んで、頭を撫でてくれる掌の小ささを感じた。
山吹さんは、次来る時は寒天作ってあげるからね、と言って笑った。
昭和非のじゃロリ狐 ギヨラリョーコ @sengoku00dr
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