終わりよければ…。
鈴ノ木 鈴ノ子
おわりよければ…。
秋の風が窓から入ってきて、一糸纏わぬ肌の上を撫でていく。
まるで荒らされたかのようなベッドの上に横たわりながら、彼女は久々に訪れた愛のある抱擁の果ての高ぶりからゆっくりと降りてくるところであった。
体内の残滓に純粋な愛しさが込み上げてくる。
腹部を優しく愛おしく摩りながら、その残滓が実を結ぶ事を静かに願った。彼と一緒になるまで、そんなことを願うことなんてなかったというのに。
「無理させたかな?」
彼女を愛の抱擁の果てに誘った彼が、お揃いのマグカップを両手に持って現れると、その1つをうやうやしく差し出した。
「ううん。大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
ゆっくりと起き上がってタオルケットを胸元まで引き寄せてから、私は右手で白いマグカップを受け取った。中からはローズティの良い香りが湯気と共に漂い、私はぼんやりとそれを眺めた…。
そしてふと、出会った頃を思い出した。
私と彼は一回りと少し年齢が離れている。
彼が生まれた時、私は学生であったし、彼が小学校を卒業する頃には社会人だった。一般的という事からは、かなりかけ離れた恋愛と言えるかもしれない、かもをつけたのは…同じ人がいて欲しいと言う願望からだけれど。
出会いはとても不純で、淫らで、最低かもしれない。
40間近の女が一方的に婚約を解消され捨てられた。
ドラマなんかでよくある「相手に子供ができたから」という話だ。婚約者は私の他にも若い女性とも密会を重ねていたらしく、そして、その相手には新しい命が宿っていた。
話を聞いた時は激怒を通り越して呆れ果てた。
こんな人と結婚をしなくて本当に良かったと少しだけ安堵もした。
「いいわ、さよなら」
そう言って目の前で婚約指輪を床に投げ捨てて、私は元婚約者と成り果てた男のマンションを後にした。ドラマでは罵倒することがお決まりのシーンだが、実際にそんな目に遭い、しかも、呆れ果ててしまうと、それにかける力すら馬鹿馬鹿しくなってしまった。
でも、暫くして私は過ちを犯した。
その感情は沸く直前の熱湯のように、一気にゴボゴボと音を立てて、心の内側を迫り上がってくると、一気に外へと溢れた。
所謂、自暴自棄というやつだった。
仕事後、オフィスの自席を片付けたあとで、下のフロアで働いているであろう元婚約者を殺してしまおうと、父から譲られた剣型の大型ペーパーナイフを握りしめて席を立った。すでにフロアには人影はなく、止めるものはいない、ドアへと歩みを進めていくと、不意にドアが開いた。
「な・・・、何してるんです・・・課長」
草食系男子で有名な彼が私を見てギョッとすると、両手を真上に上げて降参の姿勢を見せる。
とても滑稽な表情と姿だった。
「ぷっ・・・」
その雰囲気となんとも言えない表情に思わず笑ってしまった。そして溢れ出た自暴自棄は、まるで栓を抜いたように急速に力を失って消えていった。
「だ、大丈夫ですか?」
それに安心したのだろうか、伺うように彼はこちらを覗き込んだ。
「大丈夫なわけないでしょ?」
ペーパーナイフをしっかりと構えて彼に向ける。
「えっと、な、なんでもしますから、まずはそのナイフを置きましょう」
上げていた両手を胸の前で合わせて、拝み手にした彼は、困り果てた子供がお願いするかのような仕草で私にそう言った。
「じゃぁ、飲みに行くのに付き合いなさい」
「え?」
「飲みによ、いいでしょ?」
「は、はい・・・」
ナイフをその場に捨てた私は、そのまま彼を連れ立って会社を後にした。
そして、酒の勢いでストレスからくるフラストレーションをそのまま草食系と言われた彼を煽るように叩きつけた。
今になって思い返せばよく我慢して聞いていたものだと感心してしまう。アルハラ・モラハラ・セクハラの3拍子揃った文字通りの嫌な女上司の話をにこやかに聞き流していた彼だったが、居酒屋を出たのちに豹変した。
男子から男性へと姿を変えた彼に唇を奪われ、酔った勢いそのままにあれよあれよと言葉で言い表すことを躊躇うほど蹂躙された。
木の葉の様に翻弄され嵐が過ぎ去ったあとで、彼に優しく抱きしめられた私は、ここ最近、眠れなかった数日間を取り戻すかのように深い深い眠りに落ちていった。
男子が男性へと変化してしまえば、先は自ずと見えてくる。
彼が求めてくるたびに私もまた応じた。
寂しさを埋めるためもあったが、時よりいずれあの元婚約者のように他の若い女に走るのだろうと、彼を、自分自身を、嘲笑いながらずるずると関係を続けていった。
仕事帰りに、休日に、出掛けては、最後に抱かれる関係へと至る。
一年ほどそうして過ごした頃、彼から唐突に話があると言われて、会社帰りによく使っている待ち合わせの公園ベンチで私は静かに彼がくるのを待った。
( 終わりにしようと言われるかな・・・、もう、飽きた・・と言われるかな)
きっと彼から伝えられるであろう言葉を思い浮かべながら、私はその時が来るのをじっと待つ事にした。右手の時計の秒針が、一つ、また一つ、と刻んでゆくのをぼんやりと見ながらその刻を待つ。
「すみません、お待たせしました」
ぼんやりとしすぎていたのだろう、声をかけられるまで気がつかなかった。振り向くといつもと変わらない見慣れた笑みがそこにあった。
今日で見納めになるのかと思えてしまうと、妙に感慨深くもある。
「話ってなにかしら?」
彼の表情が固まる。
いや、きっと私の言い回しもきっと分かりやすいだろう。冷静を装ってはいるものの両手は拳を握りしめていた。
「僕たちの関係のことなんですが・・・」
やっぱりか、と思いながら私は静かに頷いた。
「辞めたくなった?飽きちゃったかな?」
意地悪にそう言ってみるものの、心の中はで1人になることへの不安がじわじわと溢れ出てきた。1年間の求められる関係に些か依存しすぎていたようだった。
「そうじゃない、色々と考えて、もう一歩、進んだ関係になりたんです」
しっかりと何かを決意した目が私を射抜くように見つめている。その目の中に何か宿っているように思えるほど、力強い視線に思わず目を逸らした。
「えっと・・・」
戸惑って吃ってそう言った矢先に彼がさらに言葉を紡いだ。
「結婚してください」
彼はポケットから小さな小箱を取り出すと目の前で蓋を開いた。シルバーのシンプルな指輪が2つ、街路灯の光を反射して淡く光っている。
「本気なの?」
「ええ、本気です」
「付き合ってすらいないのに?」
「一緒にいた時間も長いですよ?」
それは、そうだ。
ベッドの上の時間も多いけれど、それ以上に話し込んだりした時間も多かった。
「こんな年上だよ?」
思わずそういうと彼が首を振った。
「年上って、それって意味あります?」
「え?」
馬鹿なのだろうかとも思えてしまう一言だった。
「先のこと考えなさいよ、きっと途中で飽きるわよ」
諭すような言い方をすると彼がまた首を振り、ちょっと乱暴に私の手首を掴むと強引に引っ張った。
「そんなこと、どうでもいいんです」
「どうでもって・・・」
「うるさいな」
そう言われて強引に唇を奪われ、しっかりと抱きしめられる。もう、それに贖う力は残されてはいなかった。私も彼の背中に手を回しその感触を確かめるように抱きしめる。
離れるという選択肢はもうなかったのだと思い知らされた。
頭の中で彼と過ごした時間が思い出され駆け抜けてゆく。たとえ、最後は体の関係につながったとしても、そこに至るまで、彼とは多くの時間を一緒に過ごしていた。仕事帰りに予約したレストランの食事で、定時上がり後のウインドショッピングで、休日のドライブで・・・。私のことを理解してくれて、そして、優しく癒してくれていた。
「離れてやらないからね」
それでも悔しくて思わず悪態をつき、そして彼の胸元へとしっかりと顔を埋めた。
あれから一年と数ヶ月を経て私達は一緒になった。
社内のどこでも噂になる程の結婚であったし、互いの両親への説得は時間を要したけれど、それもまた互いの絆を深めることへと繋がっていき、その結果は結晶となって、今、隣の部屋の優しい小さなベッドで安らかな寝息を立てている。
出会いはとても不純で、淫らで、最低かもしれない。
でも、それもいいと思えている。
「終わり良ければすべて良しにしようね」
彼は全てを知っていて、そう言って微笑んだ。
終わりよければ…。 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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