親友が旅行に行ってきたと言うので
凪野海里
親友が旅行に行ってきたと言うので
「おはよう、ミク」
夏休みが明けて、今日から2学期になった。カオリは今日1番に出会った親友のミクに朝の挨拶をした。
とはいえ、久しぶりというわけではない。つい昨日まで後期の夏期講習で、ミクとは何度か顔を合わせていた。前を歩いていたミクは振り向いて、「ああ、おはよう」とげっそりした顔を見せた。
「あれ、どったの?」
2学期が始まったから気分でも悪くなったのだろうかと思った。実際、カオリも気分が良いか悪いかで言われると悪かった。たまにの夏期講習はあれど、せっかく何のしがらみもなく。夜更かし三昧だった日々が終わりを告げた。ちなみに、各教科で言い渡されていた課題は数学だけが終わっていない。明後日の提出期限に間に合うといいのだけど……。
ミクは頭をおさえながらため息をついた。
「ちょっと、旅行行ってたの」
「へえ……?」
昨日まであった講習の最中に、どうやって旅行なんて行ってたのだろう。講習は毎朝午前中には終わっていたから、午後から何かしていたとか?
「どこに行ってたの? イベントとか?」
ミクは困ったような顔をして、頭を掻いた。
「うーんと、なんて言ったらいいのかな……。実は、並行世界に行っていたというか……」
「はあ?」
SF映画みたいな話をされて、カオリは首をかしげる。
並行世界といったら、あれだ。今いる世界があるとして、同じような場所でありながらどこかルールが違う世界。それが並行世界だ。
「どうやって行ったの?」
「それはヒミツ」
「ふぅん……?」
まあ。別に自分にもできるならしてみたいとは思わないから、どちらでも良かった。
「それで、ざっと。トータルで72年くらい旅していたのよ」
「なな、じゅうにねん。てことは、今、16だから……。88歳なの?」
つい、ミクのことをじろじろ物珍しげに眺めてしまう。言われてみると、ちょっと雰囲気が年寄りくさいかもしれない。
「精神年齢的にはね。実際は違うわよ。ちゃんと16」
「うん……。で、なんでそんなことしたのよ」
「…………ちょっと、気に入らないことがあって」
「ふぅん」
「このあいだの、『トラカル』見た?」
「『トランプ・カルテット』のこと? 見たよ。クローバーが亡くなったよね」
『トランプ・カルテット』――ファンの愛称は『トラカル』と呼ばれるそれは、「少年ステップ」という週刊誌で連載されている大人気ファンタジー漫画だ。
このあいだ、というよりは。夏休みが入る前だった気がする。基本的にコミックで話の展開を追っているカオリだが、Twitterを見ると毎週ネタバレの宝庫だ。クローバーが死んだと聞いて、どうやって死んだのか気になって。つい、近所の書店で購入してしまった。
「認めたくなくて」
「ああ、推してたもんね。クローバーのこと。で、並行世界に行っちゃったの? クローバーが死なない世界線に?」
「……いや、行けなかった」
「じゃあ、死ぬのは確実だったんだ」
「……というか、666回目の並行世界で、何もなくなっちゃったの」
「何もって?」
問い掛けたカオリに、ミクは伏せていた目をあげた。
「……なんにも、なくなったのよ」
その瞳の奥が黒くよどんでいるように見えて、カオリは夏が残る気温にもかかわらず、うすら寒い気配を感じた。
「もとに戻れたことは、奇跡ね」
ハァ、とため息をつきつつ。ミクはカオリに背を向けた。
「今日は授業が早く終わることだし。助かったわ。帰ったら寝ようと思うの」
「…………」
立ち去るミクの背中を見つめて、カオリは唾を呑み込んだ。その後ろ姿がとてつもなく遠い存在に見えて、怖くなった。
親友が旅行に行ってきたと言うので 凪野海里 @nagiumi
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