八十八の弔いに

久世 空気

第1話

 廊下を歩いていたら固い物をふんだ。見ると米粒が1粒落ちている。台所から遠いのに。私は拾い上げて手のひらにのせた。ストッキング越しじゃなければ分からなかっただろう。先を歩いていた母が振り返って私の手をのぞき込んだ。

「何?」

「生米が落ちてたの」

 母の目がすーっと光を失うのが分かった。何故だろう。祖父の訃報を聞いてから、母はたまにこんなふうになってしまう。

「お母さん、大丈夫?」

「・・・・・・え、ええ。そっか『八十八の弔い』か」

 返事したは母はいつもどおりのようだったが、聞いたことがない言葉が出てきて私は首をかしげる。母は小さく笑って説明してくれた。

「昔からある風習よ。もう市に統合されたけど、この辺の村ではね、88歳に亡くなるのが特別視されていて、体に生米を入れて通夜を迎え、埋葬するのよ」

 懐かしそうにしゃべりながら母は歩き出した。この母の生家、今は母の弟の家、から通夜・葬儀をする寺まで徒歩10分ほどだ。しかしかなり田舎で街灯も無く、母を頼りに目を慣らしながらゆっくり歩いた。

「何か意味があるの?」

「さぁ? 私もよく分からないわ」

 母は20歳の時に他県から土地の調査に来た父と出会い、駆け落ちしている。それ以来、今日まで一切故郷に帰ってきていない。私が生まれた時にようやく連絡を取るようになり、私も入学の祝い金などいただいた時にお礼の電話をしたことがあるくらいの間柄だ。母から祖父母や叔父のことは聞いていたが、故郷の土地柄についてはド田舎としか聞いたことがなかった。

 寺についてたら、弔問客から冷たい目をむけられた。ひそひそとこちらを見ながら話している。叔父夫婦と対面した時からこうなることは薄々気付いていたが。あからさまな視線に母は表情を暗くし、私は気にしないようにし、背筋をぐっと伸ばした。


 法要が終わり、通夜の振る舞いを受けているときに、男性二人が母に話しかけてきた。

「やあ、俺達のこと、覚えてるかなぁ」

 母は嬉しそうに二人の名前を呼んだ。母の幼なじみで、現在この地域の青年団のまとめ役や、自治会役員のようなことをしている二人だった。私は名前なんかどうでもいいので、四角い顔と丸い顔、とだけ覚えた。

 一通り挨拶し、四角い顔が「ところで」と話し始めた。

「寝ずの番ってお願いできるかなぁ」

 なんでこの人が言うんだと訝しげに思ったが、彼らの後ろのテーブルに祖母と叔父夫婦がこっちを見ていることに気付いた。祖母は到着したときに分かったがだいぶ痴呆症が進んでいて、知らない奴が来たという扱いだったし、たぶん視力の問題で私たちの方は見ているが私たちを見ているわけではないのだろう。問題は叔父夫婦だ。自分たちでお願いしに来る気はないらしい。

 母はそれに気付かないようで四角い顔に

「いいわよ。でも私はあんまり役に立たないから、お嫁さんと弟と交代で頑張るわ」

 なんて明るい声で答えていた。だけど四角い顔は「いやいや」と首を横に振る。

「『八十八の弔い』だよ。一人でやってもらわないと」

 言われた母は一瞬ぽかんとして、「無理よぉ」と顔の前で手を横に振る。その仕草に四角い顔は怒ったような、馬鹿にしたような表情になった。

「なんだい。散々親不孝してきて、都会で苦労知らずに生活して、いい年したおばさんがまだ我が儘言うのか。みっともないぞ」

 母の顔がさっと白くなる。「でも」や「だって」と言い返せない母に丸い顔がさらにヘラヘラしながら言う。

「実の娘が近親者扱いなんて恥ずかしいだろ? せめて、ここらでちゃんとした所をみせてくれよ」

 イライラした私は思わず口を挟んだ。

「『八十八の弔い』って寝ずの番を一人でしないといけないんですか? 徹夜で?」

「徹夜じゃないと『寝ずの番』っていわないだろ」

 鼻で笑いながら四角い顔が言う。

「じゃあ、母には無理ですね。持病でお薬飲んでるんです。薬の作用で眠気が来るんで無理です」

 母が一瞬「あっ」という顔をしたのが見え、私は言ってしまったことを後悔した。案の定、四角と丸は顔を見合わせて同じようにあきれた顔をしてみせた。

「家を棄てて都会に行ったって、早くに未亡人になって自分も病気してたら世話ないね」

「一晩くらい薬飲まなくたって死なないでしょ。元気そうじゃない」

 血管が切れるかと思った。私は立ち上がり、叔父にも、出来れば耳の遠い祖母にも聞こえるようにはっきり言った。

「じゃあ、このド田舎で元気に育った叔父さんにやってもらえばいいんじゃないですか? それとも役立たずなんですか?」

 私の怒りにひっぱられて四角い顔も青筋を立てた。

「余所者適当に口出すもんじゃねぇ。『八十八の弔い』じゃ男は寝ずの番が出来ない決まりなんだよ」

「そうですか、叔父さんは役立たずですか。それならその奥さんにしてもらえば良いでしょ!」

 視界の端で奥さんの顔がゆがむのが分かった。高みの見物、他人に言わせて安全なところで見ているのが気に食わない。

「ほら、奥さんはばあさんの世話があるから」

「へー! 叔父さんは一晩も自分の母親の面倒も見られないほどの役立たずなんですね!」

 私はそう念押しして、ざっと会場内を見渡した。知らない面々が私をにらんでいる。私は母と似た顔でぽかんとしている叔父と目を合わせて言った。

「余所者で1回も祖父と会ったことがない私がやってあげても良いですけど? どうしてもって頭下げるんならね!」


 まさか本当に叔父から頭を下げられるとは思わなかった。

「弟は気が弱いから、あれだけ言われて気持ちが折れたんでしょ」

 一度母の生家に戻って喪服から楽な服装に着替えていたら、母が笑って言った。

「そうだ、病気のこと言ってごめんね」

 私は手を合わせて謝る。人の多いところで言う話ではなかった。

「良いわよ別に。それより、寝ずの番の決まり、話すからちゃんと聞いてね」

 母は四角い顔と丸い顔に言われるまですっかり忘れていたそうだ。「八十八の弔い」の寝ずの番では人が訪ねてくるそうだ。線香を見守るだけではないらしい。

「そのお客さんは8人で来て『赤飯をいただきに来ました』って言うから『準備が出来ております』とお爺ちゃんの寝る部屋に通して、あなたは部屋の前で待っていること。絶対に部屋の中を覗いちゃ駄目だからね?」 

 しばらくして叔父が呼びに来たので、私は母と別れて寺に戻った。祖父と位牌などは寺の離れに運ばれていた。叔父は何の感情もないようで、私に缶コーヒーや軽食を渡して帰って行った。変な人だ。

 

 それから数時間、私はちびちびコーヒーを飲みながら、持ち込んだ文庫を読んで、たまに線香の火に注意していた。私は知らない場所ではいつもよく眠れない。今日も眠らない自信はあったがさすがに長旅の後は疲れもあって、ちょっとつらい。

 2時を回ったあたりで睡魔と戦っていたら、家の周りをざっざっと人が歩く音がした。ついに来たか。私は手荷物とコーヒーをさっと廊下に出し、部屋を整えた。玄関が開く音がする。

「失礼するよ」

 低くよく通る声がし、私は返事をしながら玄関に向かった。

「赤飯をいただきに来ました」

 土間にはずらっと着物を着た男女が並んでいた。全員ニコニコと私を見下ろしている。私はあっけにとられた。これって通夜だよね? どうしてそんなに嬉しそうな顔が出来るんだろう?

「あ、準備が出来ております。どうぞ」

 8人は私の案内に満足そうに頷きながら草履を脱ぎ、上がってきた。話していたのは先頭の男性。順番に並んで部屋に入っていく。全員通夜の法要では見ていない顔だった。

 最後の一人、ふっくらした一番背の低いおばさんが、部屋に入る前に私を振り返った。そしてニコニコ笑顔のまま言った。

「あんた、卑しいねぇ」

「え?」

 おばさんはふっくらした手を私に差し出す。

「ほら、出しなさい。今なら見逃してあげる」

 優しくゆっくりとした話し方なのに、体の芯が凍り付くような恐怖を覚えた。さっきの青筋を立てて暴言を吐く男より全然恐ろしい。

 私は食べ物を棄てるのに抵抗がある。かといってゴミ箱が近くにあったら棄てただろう。でもあの時は見当たらなかったし、寺に向かおうとしていたから急いでいた。母の生家でふんだ生米。拾ったは良いが、棄てるに棄てられず手元にあった数珠袋に放り込んでいた。他に思い当たるものがない。私は、震える手で数珠袋の中をさぐった。

 おばさんの手に生米を置くと、おばさんはじっとそれを見つめ、舌を出してべろんと舐め取った。びちゃっと音を立てて。

 呆然とする私をよそに、おばさんは部屋に入り、障子をぴしゃんと閉めてしまった。途端、中から賑やかな話し声が聞こえ始める。

「久しぶりの赤飯だ」

 そんな言葉の後にズズズズズと何か吸うような音がする。ほんの10分程度だろうか。楽しげな声と、吸う音がずっと続いていた。

 障子がまたさぁっと開き、何も無かったように男たちが出てきた。廊下に座り込む私に「ごちそうさま」「ありがとう」と口々に言い、また玄関から出て行く。

 しんと静かになった。

 祖父がいる部屋は何も変わらないように見えた。慌てて線香を取り替える。その時ふと(祖父の体の中の米はどうなっただろう)と考えた。そしておもむろに、祖父の布団を、私はめくってしまった。


 気がついたら帰りの新幹線の中だった。母が隣で小さく鼻歌を歌っている。

 何をしたんだっけ。

 そうだ、夜が明けて、ちょっと仮眠を取って、お葬式に出て、私たちは新幹線の時間があるから、焼き場まで行かずに帰ったんだった。

「焼いたら、体の中のお米は・・・・・・」

 ふと米が気になって、何も考えずに口したら、母が止めるように私の手を掴んだ。

「もう、大丈夫だから」

「私、余計なことしたかな?」

「あんたは死んだお父さんに守られてるから、平気よ」

 そして母はまた車窓から外を眺めながら鼻歌を歌い始めた。

 

 あの地域は今、何故か発展し交通の便も良くなり行きやすくなったが、私はもう二度と行くつもりはない。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

八十八の弔いに 久世 空気 @kuze-kuuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説