ハチ∞ 〜蜂無限大〜

古博かん

八十八回蜂生を繰り返したとあるセグロアシナガバチの一生×八十八生分の記憶

 とある民家の軒先で、私は、ごく普通の働き蜂として生まれたわ。

 私たちセグロアシナガバチの働き蜂の寿命はせいぜい数ヶ月なんだけど、生まれてくるタイムラグを生かして春から晩秋まで精一杯女王蜂を支えながら巣を大きくして次世代へと命を繋いでいくのが使命なの。


 生まれたての私はまだ複眼も黒くて体も固まり切っていないから、数日間は巣の上でじっとしてるしかないわ。その間も、先に生まれた姉たちが、せっせと妹や、これから生まれてくる弟たちの世話をしているの。


 最初から上手に狩なんてできないから、帰巣した姉たちから渡されるやんわりした肉団子を丁寧に捏ねて、まだ幼虫の妹たちに給餌するのが主な仕事ね。

 でもね、なかなかうまく捏ねられなくて何度か団子をカピカピにしちゃったり、口元じゃなくて妹たちの顔面に貼り付けちゃったり、私って鈍臭いのねってちょっとガッカリしちゃったわ。


 このまま妹たちの成長を見守れたら良かったんだけど、私の最初の蜂生は初めて狩に出た日に終わってしまったわ。

 獲物を狩ることに必死になっていた私は、鳥に捕食されてそれきりよ。硬い嘴に挟まれて、ペシャンコになるなんて考えてもみなかった。


 そして気が付いたら、私はまた、生まれたての働き蜂としてやわやわの体で巣にしがみついていたの。

 何が起こったのよく分からないけれど、私ははっきりと自分の蜂生を覚えているわ。周りで働く姉たちの顔ぶれは、少しずつ違っているけれど、間違いない。私はまた蜂生を始めたのね。

 肉団子の捏ね方だって手慣れたものよ、だって経験してるもの。


 全く同じとはいえない同じ日常で、私は相変わらず何度も鳥に捕食されたり、人間に駆除されたりしたわ。もうすぐ巣に戻れるってところで、力尽きてしまったこともある。

 悔しいわ、すごく悔しい。


 そうやって何度も同じ季節に、生まれたての働き蜂を経験していたら、私ったらいつの間にか数字を覚えてしまっていたわ。

 二十二年目の今は少し状況が違うみたい。

 だって私、まだサナギなんだもの。

 明日にはきっと羽化できる——そう思っていたのに、何かが私の体をバリバリ齧っているのよ。

 痛い、痛い! 何するの!

 あまりの痛みに必死になってもがいて、ようやく育房から抜け出した私の背中にはあるべき羽が無かったの。ヒリヒリするお腹の側面にも歪な凹みができていたわ。

 何が起こったのかまるで分からなかったけど、体が固まるのを待っている間に状況を理解したの。


 私、寸でのところで寄生虫に食い散らかされるところだったのよ。

 ウスムラサキシメマイガ、私たちセグロアシナガバチの巣に寄生して幼虫や蛹たちを餌にする乗っ取り屋よ。

 私たちには噛み切れない硬い繭を張って籠城しながら、育房の内壁を食い破って妹たちを食い散らかすの。私は何とか生まれることができたけど、私の目の前で妹たちは次々と食い殺されていった。

 私はただ生まれただけで、何もできずに終わったの。


 そうやって生まれたての働き蜂を繰り返して三十三年目、私はまた羽化直前に体の一部を食い荒らされてしまったわ。

 羽はないけど、私の体はすごく大きくて頑丈で、顎はとっても強かったのよ。

 飛べない代わりに、私は籠城する寄生虫の繭を逆に食い破ることができたの。ただ見ていることしかできなかったあの時とは違って、私は次々と籠城する寄生虫を育房から引き摺り出して仲間に渡していった。

 巣の外に捨てたり、噛み砕いで肉団子にしたり、そうやって私は力の限り闘ったわ。今までの蜂生で直接寄生虫を駆除したのは初めてよ。

 でも、飛べない私は力尽きて巣から落っこちてしまったの。でも、これはこれで満足よ、私頑張ったって胸を張って言えるもの。


 四十四年目、私たちの巣はオオスズメバチの餌食になった。

 姉たちとは世代交代して、妹たちが命懸けで面倒を見ている弟たちが、目の前で次々育房から引き摺り出されて肉団子にされていくの。

 私も必死で抵抗して応戦したけど、小さな体じゃ、とてもじゃないけど太刀打ちできなかった。あの時の大きな体があれば違ったかしら。強い顎があれば少しは互角に戦えたかしら。

 悔しい、悔しいわ。

 バリバリと音を立てる私の体はもう痛みなんて感じないんだもの。


 六十六年目、私は初めて働き蜂じゃなくてオス蜂として生まれたわ。こんなことってあるのね。毒針もないし、顔だって色白で何だかとぼけた感じなの。

 秋に交尾の相手を求めて巣立つまで、何もしないでお世話をされるだけ。

 何だか、とっても肩身が狭いわ、変な気分よ。今まで面倒見てきた弟たちは、一体何を思って何を考えていたのかしらね。


 その後も何度も蜂生を繰り返したけれど、雄蜂になったのはあの時の一度だけだったわ。やっぱり働き蜂でいる方が、私の性には合ってるみたい。狩だって上手にできるし、肉団子作りだってお手のもの。

 時には全神経を集中させて敵を攻撃することだってあるし、チームプレイを活かして寄生虫にも立ち向かったわ。

 それでも、うんと満足できる蜂生を送れたかって聞かれたら、正直どうかしらって答えるしかないわ。だって、悔しくて後悔することがあまりに多かったんだもの。


 八十八年目、いつもの季節じゃなくて私は夏の暑さも厳しい時期に生まれたわ。体もすごく大きくて、でもすごく大事にされて何もしないの。

 私の周りには、私と同じくらいの羽化したての大きな蜂が他にもいたわ。それでようやく理解したの。

 私、どうやら働き蜂じゃなくて次世代を育成するための新女王蜂になるのね。びっくりしたわ、こんなことって起こるのかしら。雄蜂以来のびっくりよ。


 この夏は本当に暑かったけど、そんな時は空いている育房にこもって暑さを凌ぐの。それにしても暑いわね。こんなことでへばっていては、越冬なんて夢のまた夢、しっかりしなきゃ。

 秋になったら交尾の相手を求めて巣立つのよ。そうして寒さを凌げる場所で冬を越して、次の暖かい季節が来たら営巣してしばらくは一人で子育てしないといけないわね。女王蜂の姿はずっと間近に見てきたもの、大丈夫よ、きっと何とかなる。


 越冬なんて初めてのことよ。無事に寒さを乗り越えられるかしら……いいえ、弱気になっている場合じゃないわね、だってこうしている間にも大事にお世話してくれた姉たちが次々と寿命を迎えて巣から落ちていくの。私もあんな風に死んでいったわ、何度も何度も。

 姉たちは次世代に命を託して落ちていくんだもの。私は何としても生き延びなきゃならないの。

 だってそれが越冬する新女王蜂の役目なんだもの。

 ああ、一段と朝晩の寒さが厳しくなってきたわね、そろそろ巣立ちの時かしら。

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