折り返しの人生

うたう

折り返しの人生

 肩を揺すられて、目を覚ました。

 私はブロック塀を背にして、地べたにへたり込んでいた。

 眠っていたらしい。いや、気を失っていたと言ったほうが正確かもしれない。

 私を揺すり起こした男に大丈夫かと訊かれ、私は頷いた。

 男は私に手を差し伸べて引っ張り起こすと、こっちだと言ってそそくさと歩きだした。私は慌てて後を追った。男の白髪まじりの後頭部を見ながら、誰だったろうかと考えた。

 ああ、息子かと気づいた瞬間、息子は振り返って、私に八十八歳なのだからまだ・・無理はするなと言ってはにかんだ。

 家に入ると孫までもが私を出迎えてくれた。孫の溌剌とした笑顔がとても眩しかった。

 いくつになったのかと訊ねると、孫は二十歳だと答えた。

 

 七十五歳になったとき、息子夫婦と話し合って別々に暮らすことを決めた。息子家族は隣町へと引っ越すと言う。会おうと思えば、すぐに会える距離であったし、もう息子たちの手を借りずともたいていのことは自分でこなせるようになっていたため、不安は感じなかった。妻との二人きりの生活を想像すると、新鮮に思えて胸が踊った。


 六十二歳の夏、孫が胎内へと還っていった。十年くらい前から、孫は会うたびにみるみる小さくなっていたし、覚悟はしていたつもりだった。それでも孫が寝たきりになり、泣いてばかりになったと聞くと、胸が押し潰されそうになった。

 いよいよだと連絡があって、妻と息子家族の家に向かった。その後、息子の嫁の両親も来て、六人で孫のことを語りながら夜を明かした。

 朝になると嫁の腹が膨らんでいた。

 十月十日を母親の胎内で過ごした後、人はどこへ行くのだろうか。深い悲しみの中、そんなことを考えた。


 孫がいなくなって四年が過ぎた頃、息子夫婦が離婚式を挙げると言い出した。そんなに急ぐことはないのではないかと説得したが、二人は長く一緒にいると別れが辛くなるからと頑なだった。

 私達夫婦も彼らくらいの年頃になったとき、同じように思うのだろうか。私には、まだ妻と離れ離れの生活は、想像もつかなかった。


 五十六歳になった。病院のそばは桜の花びらが舞っていた。

 一週間前に役所から届いたはがきを受付に渡すと病室へと案内された。

 母はまだ目覚めていなかった。ベッドに横たわる母の隣に腰掛けて待った。二十分くらいが過ぎた頃、母の頬に赤みが差しはじめ、そして無事に蘇生した。

 優しく、気分はどうかと訊ねるつもりだったが、照れくさくてついついぶっきらぼうな口調になってしまった。

 そういえば、三十年ほど前、初めて会ったときの息子も私に同じような口調だったなと思いだして、頬が緩んだ。

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折り返しの人生 うたう @kamatakamatari

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