リナリア

櫻木 水仙

リナリア

 長い廊下の突き当たりに旦那様の書斎がございます。

今の時期は西日がちょうど廊下の窓より差しますので、少し暖かく、庭のリナリアの花も陽気の中で、楽しそうに踊っています。

そんな景色を窓に映し、静謐な廊下には銀食器の音が子供の声のように甲高く響きます。昔は賑やかだったこの屋敷も、今では食器の音一つにしても耳障りでございましょう。旦那様へ夕食をお持ちするのも、私の立派な勤めの一つにございます。今日も好物の芋粥を運んでおります。こんな料理でも美味しくい召し上がってくださいますから、嬉しい限りです。


此処は旦那様の、お祖父様の持ち家でございました。私も一度だけお会いしたことがあります。お祖父様は、とても寡黙な方で私のような者とは言葉を交わすことも許されませんでした。そんなお祖父様に旦那様は育てられました。

そうなった経緯は、少しだけ小耳に挟みましたが、旦那様のお父様とお母様は、それぞれ幼い頃にお亡くなりになられているそうで、それからお祖父様に引き取られたときいております。お父様は渡船中に嵐で、お母様は流行り病で、と幼き頃の旦那様の心中を考えますと、とてもお辛かったと察します。


そのお祖父様は、有力な地主であったこともあり、度々お貴族様がこの屋敷を訪ねて来るほどの御立場であったそうです。旦那様もそんな、お祖父様の経営ですとかの手腕を見て育ち、お祖父様の死後、起業をなさいました。親の七光りと言う訳ではなく、お祖父様から学び得た腕で、この辺りでは実業家として名が通る程にまで成られました。

私が召し上がった頃も、よくお貴族様がお見えになられておりました。お屋敷が広いこともあり迎賓に適したお部屋も幾つかございます。お泊まりになられて、旦那様と今後の経済やら何やら話に花咲かせていたのを覚えております。昼夜問わず、お忙しい御身でございましたが、美しい奥様と可愛いお嬢様に恵まれ、とても幸せそうにされていらっしゃいました。

旦那様は、心配する私を見かねて「大丈夫だとも。私には皆がいるから」と暖かな言葉をかけてくださいました。いつも食卓のテーブルの明かりが、まるで陽だまりのように感じられました。


以前には私の他にも召し使えるものがおりました。ですが、お嬢様の一件もございましたから、今は私と旦那様の他には誰もいません。町では、外れにあることも相まって、「お化け屋敷」などと呼ばれているようです。

それでもいいのです。

誰がなんと言おうと、私にとって此処は特別な場所ですから。そして、その多くの育んだ思い出達も大変愛おしく、子も産めぬ今となっては、この記憶こそが我が子同然でございます。(誰もこの感情を解ることはないでしょう)特にこの書斎は色濃く子が生きております。

旦那様は書物がお好きな方で、私に色んな御伽噺をお聞かせくださいました。数多くのお話の中で、どれが良かったと聞かれれば困りますが、強いて挙げるなら初めて旦那様が教えてくださった物語でしょう。

それは、小さな女の子が王子様と旅するロマンス小説であったのを覚えております。苦楽を共にする2人の間に、愛が芽生え、ラストシーンでは女の子は王子様と契りを交わし、幸せに暮らしました。どこにでもあるような物語でございます。そんなものかと笑われても致し方ありません。しかし、私はその少女に強く憧れました。

というのも恐らく、その少女にどこか自分の境遇を重ねていたのだと思います。それを話し終わると旦那様をこう仰いました。「何も、怖いことはない。大丈夫だ、僕がついているからね」と。

これが不躾にも、生まれて初めて、幼いながらに旦那様をお慕いし始めたキッカケにございます。それから、恋心とはこんなに苦しく切ないものだと知りました。旦那様には奥様がいらっしゃいましたから、私の夢なんぞ秋の枝葉の様に望みないものです。

ですがその情もあってか、今もこうして此処に一人残っているのでしょう。こればかりは、なんとも気恥ずかしいものです。

旦那様はお優しい方ですから、こんな私でも許してくださるでしょう。思えば遠方から売られた私を、不憫に思われて言葉や読み書きを教えて下さったのかもしれません。旦那様は優しすぎるところがあるように思います。



ここまでは、華やかな記憶ばかりでございます。ですが、中にはあまり好ましくないものも一つや二つございます。人誰しもはずべき過去や、後ろめたいものはあるものです。私にとっては、この屋敷に召すまでの生い立ちというのが、それであります。そんなものでも我が子と認めなければいけない。

そういう戒めにもにたものがありますので。これからお話しするのは、私の過去でございます。


 

 私には、等しく両親というものがありました。顔は幼かった故に朧気でございますが覚えてはいます。私と父と母。3人とも、頬が痩け、ケジラミを被り、体に纏った布切れから痩せ細り浮き出た肋が良く見えておりました。

お分かりの通り、貧民の出でございます。決まった家はなく、様々な場所を転々と致しました。高架下、路地、山中などで夜を明かす生活でした。

これは旦那様や御家にご迷惑をかけるの憚りますので、大口で言えない過去でございます。

しかし、どこにでもある話でございます。今こうしている間にも、変わらずその暮らしをしている人が多くいらっしゃいますから。

当時は当たり前ですがお金なんて物は家族の誰も持ち合わせておりませんでしたから、お腹を満たすのにも苦労いたしました。たまに、町に下りては道ゆく人から恵んで貰ったり、ゴミを漁っていたり、露天や畑から盗み得た食べ物で飢えを凌ぐばかりでございます。たまに、母が夜に稼いできたお金で、最低限生活に必要なものを買い揃えました。その度に父に、「おまえも母親みたいに、早く稼げるようになれ」と叩きながら、怒鳴られていました。目に血が滲むほど、沢山叩かれました。母は泣きじゃくる私に、「ごめんね、ごめんね」と繰り返し念仏を唱えるだけでした。それ以外に何かされた覚えはございません。ですが、私は両親を恨んだことはありません。望んでこの人たちもこう生きているわけでもないでしょうし、何よりこれからの人生なんてものを考えていませんでしたから、そうなるのだと物いのようにその時を待つことしかできませんでした。家族がいる、それだけで嬉しかったのです。そう思いひたすらに二人と共に生きておりました。

あれは、北風が吹き荒び、雪がちらつく日でありました。微睡に日が差し込み、私に太陽が起きろと告げました。普段私と母は隣同士で眠りに着くのですが、その日の朝は、母の姿はございませんでした。いつもなら夕刻に出掛け、夜遅くには戻る人でしたから、不思議に思っておりました。次いで父が目を覚まし、何も言わず何処から出したのか分かりませんが、酒を浴びる様に飲んでおりました。待てば戻ってくるだろうと考え待ち続けていました。しかし母はいくら待てども帰ってきませんでした。父は、相当酔った様子で「連れて帰るまでお前も帰ってくるな」と、



曖昧な喋りで私を追いやりました。とは言っても何処かという当てもありませんから、とりあえずは山から町に下り、道行く人に訪ねて回りました。

「母を知りませんか?」

「私の母を知りませんか?」

簡単な言葉しか喋られませんでしたから、そんな調子で投げかけていくわけです。ですが、あんな身なりであることもあり、私をまともに相手する人はおらず、そのうち声を出す気力を失くし、ただ歩くことだけで精一杯になっておりました。雪が深々と心に沁み始めました。

このまま帰ればまた父から怒られてしまう、母の身を案ずるより先に、私は保身のために歩みを止めませんでした。日は空に溶け、地面は一層氷上のように冷たく感じられました。私はとうとう膝から崩れ、氷の上に横たわりました。このまま楽器の弦が解れ切れてしまうように、私も息絶えるのだと覚悟しました。街の灯りが次第に溶け、どこか暖かく冷たいものに映りました。

どれほど経ったのか、ふっと目が開いたとき、私の躰は氷上にはありませんでした。

何やらゴッゴッしたものや弾力のある感触、様々な感覚が私を占めようとする中、一番に私の鼻に猛烈な臭いが飛び込んできました。その時、今まで午睡の目覚めの様な霞がかった頭が晴れ、今自分がどこにいるのか明瞭にと分かりました。そこは人々が幾重にも折り重なった、場所でした。人間の石畳、そう呼んでも過言でない程大勢の人間が積まれていました。後にそこは、モルグ(死体置き場)であるということは分かりました。まじまじと屍人と見ることはありませんでしたが、幼い私でも亡骸との区別はつきました。大方、倒れた私を死体と間違え、此処に運ばれたのだと思います。

日はとっくに上り、乾いた風がモルグへ吹き込んでいました。早く父の元へ戻らねば、と思っていますと、ふと見覚えがある顔が飛び込んできました。

そこには、母がおりました。ぶくぶくと青色に腫れ上がった目であったり、ガサガサに切れた唇であったりと、元型が分からないほどでございましたが、確かに母であると確信いたしました。倫理に欠ける話ではありますが、累々と重なる足やら手やらから、顔を覗かせる母はあまりにも滑稽で少し笑いが込み上げてきました。と同時に心底安堵感を覚えました。

「よかった、これで帰れる」そう思えたのです。

そこからどう帰ったのかは、ぼんやりとしていますが、父のもとへ帰りついた私

は、母のことを伝えすぐに気を失ったようです。不思議なことに父はその後、私を叩くことが無くなりました。

覚えているのは、それから数日ほど経って、父に手を引かれ町の市場す。父が私を連れて町に下りるということは珍しいことでしたので、記憶に残っています。町へ着くや否や父は迷いない足取りで、市場の方角へ歩き出しました。どこへ行くとも知れず、その時は父との"お出かけ"に胸を躍らせていました。

市場は、蟻の群れのように人で溢れ、あちこちでたたき売る男たちの声が飛び交っていました。その中で、ひと際静かな露店がありました。鳥や獣、壺や首飾りが所狭しと陳列され、あまり市場では見慣れない物に私は目を惹かれました。雑貨商は良く見かけましたが、そこは異質な気配がございました。

店先では、小綺麗な服を召したお貴族様と男が談笑していおります。物見の客も他の店とは異なり、身なりがきれいでした。父は、そちらを見ながら、一瞬たじろいだ様に見えましたが、私の腕を握り、勢いよく、お貴族様と男の間に割って入っていきました。

口一番父は「買い取ってくれ」と男に言っていたことから、男はどうやらここの店主であるようです。店主は驚く素振りこそありませんでしたが、怪訝そうな顔を向けていました。


「それでは」と、慣れた手つきで、私は服を剥かれ、二人の目の前おりました。下から上まで舐め回すような視線に、少しの気恥ずかしさがありました。店主は私の手首に鉄を通しました。なにが起きているか、私には理解できませんでした。

店主は父に言葉をかけると、すぐ店の奥に消えていきました。その間父に私は話しかけましたが、言葉が返ってくることは、ありませんでした。

しばらくして、店主が麻袋を持って戻ってきました。父はそれを手早に受け取ると、来た道へ戻り、消えていきました。取り残され、木偶のように立ち尽くす私に店主は平手を打ち、私の髪を荒々しく掴み、辛うじて私が入る簡素な檻に詰め込まれました。

この時に、自分が売られたことを悟りました。店主に着けられた手枷は、酷く冷たく、私の幸せまで深い底へ閉じ込められた思いでございます。

それから私が買われたのは、三度目の枯れ枝の頃でございます。私の他にも、同じように身売りをされた者がありました。減ったり増えたりを繰り返し、どんな人達だったか生憎、記憶には残っていませんが大人の男や、頃合いの良い女性がいました。その日は雪がちらつき、冷たさを帯びた鉄が、肌を焦がし手足が赤く色付く季節でございました。

一人のご老体がこの店を訪れました。

理路整然とした佇まいに、気圧されて店主は気構えている様子でした。


「あれは、売っているのかね」

と老人は口を開きました。

「ええ、今で15、6といったとことです」

「なにができる」


どうやらこの老人は、店主と商談に来ているようです。

ですが、老人は一通り問答を終えると「考えます」と帰ってしまいました。店主は呟くように「冷やかしか」と毒づいていましたが、すぐさま次のお貴族様のお相手をしておりました。

それから3日程経って、またあの老人が来ました。日も落ちかけ、外から錆びた光が私の檻に差し込んでいました。

今度は御付きの人を侍らせておりました。御付きはあまり綺麗とは言えない麻衣のコートを身に着け、深々とフードも被っておりました。

てっきり父と同様に老人は売りに来たとばかり考えていました。

ですが、店主はこの間の態度とは打って変わって、その麻衣の人へ腰を低く犬のようにすり寄っていきました。

その人は店主に口を利く素振りもなく、代わりに老人が三言ほど交わすと、三人で奥の応接間へ入っていきました。つかつかと歩む姿の麻衣の人は、一見冷淡のように映りましたが、迷いなく進むあの姿は清らかな小川のように淀みなく、まっすぐなものだと直ぐにわかりました。

確実に私たちとは別の世界に住む御方である。そう思いますと、すこし恨めしい気持ちも湧きましたが、商品であるこの身が何かできるわけもありません。ただ茫然とお姿を目で追うより他にございませんでした。

店主があのように、謙った態度をするのは珍しくもなかったのですが、今回は少し違うようでした。あの麻衣の人の醸すものもあってか、そう思えたのです。それは他の商品たちも、同じでした。

奥の扉が閉まると同時に、他の商品たちがここぞと口々に呟きます。

「新入りか?」「上客だ」「誰が出るだろうな」「どうせ、貴族の玩具になるだけ

だ」

商品になった今でも、元をただせば人間なのですから、噂話が好きなのでしょう。私もあの麻衣の人が気になっていました。噂というのは恐ろしいもので、広がれば広がるほど、色々な飾りが付け足されていきます。

仕舞には、客ではなくあの二人は巷で流行りの自由軍で、私たちを解放せんとしている、なんてことも言う始末です。私には興味ありませんでした。

私は何度かあの部屋に入ったことがありましたが、荘厳とした雰囲気がどうも好きになれませんでした。

先に出てきたのは店主でした。ゆっくりと私に近づき、ジャラジャラとカギをちらつかせて「よかったな、買い手があったぞ」と、嬉しそうに錠を解きました。檻から強引に私を連れだし、私はあの二人の待っ応接間へ手を引かれるままついていきました。

嫌味な応接間で、二人は長椅子に腰掛け卓上の豪華なティーカップに指を掛けていました。

「この子ですか」と先に口を開いたのは、麻衣の人でした。驚いたことに、その声はまるで絹のように心地良く綺麗に思える女性の声でした。しかし同時に、弓のように張り詰めた緊張感が伝わってきました。

この女性ではなく、どうやら店主がこの空間を作り出しているように思えました。老人が頷くと、麻衣の女性は席を立ち、私の前で膝を折り問いました。

「名前は?」

それまでは、顔こそ見えませんでしたが、品の有る方ということはわかりました。

膝を折り私に目線を合わせて私はここで大きな気づきと悩みに苛まれました。名前というのはあって然るべきものでしょうが、これまで一度たりとも名前を呼ばれたことがございません。

名乗ろうにも、名もないのですから。併せて、店主が先ほどからジワジワと脂汗を掻いていることから、この返答次第で、何かが変わるのだと確信いたしました。

私が間誤付いているのを見かねてか、店主は私を殴りつけました。

「聞かれたことには、答えろ」

店主の姿を老人も麻衣の女性も、ただ静観に徹していました。私はというと、殴られるのも久方ぶりですから、足元がおぼつかなく、よろよろと起き上がるので精一杯でございました。するとまた、起き上がった私に例の女性が問いかけました。

「痛いか?」

痛いに決まっています。私と店主は身の丈でいえば倍ほどありましたから。涙は出ませんでしたが、唇を切ったようで鉄の味がいたします。私が血を拭おうといたしました、手を掴まれました。ですが手にかかる指はやけに優しく、腫物に触れるように大人しいものでした。知らない感覚に内心驚きながら、指の主を見ますと、麻衣の女性でした。

彼女の手は震えているようでした。しかしフードから覗く瞳には、熱く滾るものがあるように感じました。

それを見るとふと安心し、ため息のように、言葉がこばれ出ました。

「名前は、ありません」

女性は、口が利けるのが分かると安心したようで、そうかそうかと強張った肩の力を抜きました。

それから老人に目配せをすると、老人は店主に歩み寄り、ただ一言、

「では、こちらを頂きます」とだけ告げました。店主の脂汗は引かないままでしたが、胸を撫でおろすような仕草を見せ、いつもの作り笑いに戻りました。

話が終わり、ついに店主は私の手珈を解きました。枷は落ち、重く無機質な響きが足を伝いました。

店の外へと手を引かれながら、一つ分かっていたことがございます。これから、どうなるかなど見当もつきませんでしたが、この女性の手は誰よりも優しいものであることだけは、分かっておりました。手を引かれながら、あの女性の言葉が今でも脳裏に焼き付いております。

「今日からは、【エニル】と名乗りなさい」

 

 そんな"奥様"は、私が来た年の冬にお亡くなりになりました。聞くところによると、長く闘病を続けられたようです。流行り病を患い、治りが悪かったと聞いております。

母も然りですが、人とは脆いものです。

死は富より平等に人に与えられるものである、と以前拝見した書き物にございました。この私にもいつか与えられるものだと知っています。奥様がいなければ、こう思うこともなかったでしょう。

しかし、奥様は強い方です。

あの時は病床の身であるにも関わらず、あの市場へ赴いたようでした。その真意はいまだに聞けず仕舞でございますが、旦那様を見ているとなんだか理解できる気が致します。(ここで記すには言葉が足りませんので、お許しください。)

晩年は寝室にて、よく話相手になってくださいました。陽が短いことを嫌だ嫌だと呟いていっしゃいました。

ですが、最後まで旦那様のことを思われているようでした。もうそれも聞くこともないのだと思いましたら、今でも悲しくあります。

旦那様も酷く応えていらっしゃるご様子でございました。

旦那様のお母様と姿が重なったこともあったかもしれませんが、お嬢様もあの当時まだ年端もいかぬ幼子でしたから、無垢であるが故に「お母さんはどこに行ったの?」と寂しがり泣いておりましたから。

旦那様はお嬢様の前では、いつも通りに振舞ってらっしゃいました。

お嬢様がお眠りになられてから、書斎でよく酔い潰れていらっしゃいました。


 あれから多くの時間が経ちました。旦那様は足を悪くされ、今では出会った頃の勢いと言いますか、お加減がよろしくありません。

今朝、旦那様にロバート様が訪ねてきました。

差し出がましいようですが、私もここが長いこともあり、ロバート様に旦那様の容態をお伺いしました。ると、「あまり、良いとは言えない。アルコールの所為ではあるが、変わらず」と

言われました。薄々ですが、私も分かってはいました。

ロバート様は神妙な顔でこう続けられました。

「風邪の噂で聞いたのだ。新政権の残党狩が二、三日も経たず来るかもしれぬ。可能なら此処を離れた方がいい」


つい先日、幼い頃噂に聞いた自由軍が旧王政を転覆させ、取って代わったようです。旧政権の残党狩りだと名乗る連中が、暴れ回り、町の方は酷い荒れ様です。

激しい轟音が日夜この離れた屋敷まで聞こえてきます。

私が暮らした橋桁も山も今は見る影もないでしょう。

国も人も、皆変わりました。それほどの時間が流れたのです。

ここは旧政権と呼ばれるお貴族様とも関わりがございましたから、どうなる事か検討つきませんが、ロバート様のお話を聞いても此処を発つ気は起りませんでした。

ロバート様のお越しを旦那様に伝えるべく、ロバート様を一人応接間に通し、いつもの書斎へと向かいました。

ノックの軽い木の音色が、廊下の反対側まで広がります。

扉越しに旦那様の返事が聞こえましたので、ドアノブにゆっくり手をかけ、入ります。

「旦那様」と一つお声掛けしますと、旦那様は「あぁ、エニル」と私に微笑みかけながら、車椅子に腰を落とす最中でした。その笑みに、私は会釈で返しました。やはり何度見てもこの光景は慣れません。余りに居た堪れない姿でございます。足を悪くしてからも旦那様は私を、あまり頼ろうとされませんでした。私を気遣ってか、本棚の上段の本もご自分でお取りになろうとされます。何度も、注意しますが、お分かりではないのでしょう。

すると旦那様は、「そうだ」と思い出したように、お気に入りの机へ向かいました。引き出しを開けると、中から見慣れた花冠を取り出しました。

旦那様は、自慢げに

「見てごらん。あの子も、まだ5歳だというのに、こんなに立派なものをくれたんだ」と花冠を私に手渡しました。

私は、驚いたように「可愛らしいですね」と咄嗟に答えました。

旦那様は「まるで僕のティンカーベルだよ」と緩んだ笑みで、そう溢します。

花冠を丁重にお返しすると、旦那様はどこか上の空の様に続けます。


「閉月羞花、という言葉を知っているかい?」


「東洋のことわざでしょうか。」


「そうだよ。“その美しさに花をも恥じらわせ、輝く月でさえも雲に隠れてしまう”という意味だ。」

まさにお嬢様は、そういうお人でした。このお話も、今まで何度も聞いたことがありますが、その度に旦那様は変わらず、奥様もお嬢様も愛されていると伝わります。私にとってそれは、とても美しく残酷なものに見えます。「そういえば」と旦那様は私に何用か尋ねました。

「旦那様にお客様がお見えです。プシコのロバート様です。」

と告げますと、少し厄介そうに旦那様は頭を掻きました。それから冗談まじりに

「彼の話は空想的だが面白いが、最後の最後で同じ話になるから残念だよ」

と言われました。ロバート様が、初めて来診されたのは、5年前ですから、そう思われるのも仕方がないかもしれません。

私がニコリとそれを笑みで返すと、

「応接間で良かったかな?」と尋ねられました。「はい」とお答えすると、去り際に旦那様はこう仰いました。


「これをあの子に、渡しておいてくれ。すぐ戻るから、お利口にねとも伝えておいて」


書斎を背に廊下を進む旦那様の後ろ姿は、昔のように変わらず、大きく見えます。私は、預かった花冠を元の書斎の机の中に優しく戻しました。


旦那様が作ったリナリアの花冠は、とても不恰好でした。

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リナリア 櫻木 水仙 @makakaraten

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