死神の勧めで鬼嫁から買った俺の人生は1年あたり10円でした

兵藤晴佳

死神の勧めで鬼嫁から買った俺の人生は1年あたり10円でした

 小学生の頃、僕はやんちゃな子どもだった。

 雨の降る日に学校へ傘を持っていけば、帰りにはもう振り回して壊す。

 授業などはろくに聞かず、ノートは落書きだらけで用をなさない。

 鬼のように怒り狂って叱る父さんや、泣く母さんの言うことなんか聞かなかった。

 おばあちゃんが優しくたしなめても、話は右の耳から左の耳へ抜けていく。

 家族一同、ほとほと困り果てていたときだった。

 いつも無口で、家の縁側に向かって遠くを見てばかりいるお爺ちゃんが、宿題もせずに遊びに行こうとしていた僕を呼び止めた。

「お金儲けの手伝いをせんか?」

 お小遣いの管理も甘かった僕は、いつも金欠に悩まされていた。

 ジュース1本が、大昔みたいに100円だったらいいのに。

「どんな?」

 僕は遊びに行くのも忘れて縁側に座り込む。

 お爺ちゃんは、いつもとはうってかわって、にやりと笑う。

「俺の手伝いをするには、ちっと長い話を聞いてもらわなくちゃならんが……」

 欲に目がくらんだ僕は、お爺ちゃんの話にじっと耳を傾けていた。


 ……俺も若い頃は、真面目に真面目に働いたもんだ。

 なにしろ、金がなかったもんでな。

 生まれはそんなに貧しいわけでもなかったんだよ。

 でも、親父が贅沢三昧だったからな、どれだけ金があっても足りやしない。

 俺がハタチになる前に、親父はすっからかんになって死んだ。

 その前にオフクロは家を出てしまっていたから、俺はひとりで働くしかなかった。

 稼ぐに追いつく貧乏なし、っていうだろ?

 でも、俺に取りついた貧乏神は、どうやらめちゃくちゃ足が速かったらしい。

 8年経って、最後に残ったのは、懐の千円札だけ。

 すっかりやる気なくして、死のうと思った。

 夜のホームで電車に飛び込んでやろうとしたら、もの凄い速さで追いついてきた奴がいる。

「お前が死ぬのは勝手だが、人様に迷惑かけんじゃねえ」

 振り向いてみたら、絵に描いたような貧乏神が後ろに立ってた。

 口を極めて罵ってやったよ、何もかもお前のせいだって。

 今考えると、そんなのが本当にいると思った俺がどうかしていたんだがね。

 そいつは何も言い返さずに、ただ手を突き出しただけだった。

「ジュース飲もうや」

 ムカッときたけど、もうやけくそだった。

 駅の自販機に行って、千円札を入れてジュースを買ってやった。

 それを貧乏神に渡すと、お釣りは880円になる。

 俺の分を買おうとすると、そいつは言ったね。

「それ持ってついてこい」

 連れて行かれたた先は、怪しげな占いの店だったよ。

 そいつは言った。

「年だけは答えるな。何歳と言われても、いいえと答えろ。見料は、言われるなりに払え」

 ひとりで入らされた店の中には、黒いヴェールをかぶった影がうずくまっている。

 どうせしわしわに萎んだばあさんだろうと思っていたら、俺を見上げるその顔は、可愛らしい女の子だった。

「20歳くらい?」

 幼い、甘ったるい声だった。

「いいえ」

 さっき言われた通りに答えると、突き出されたのは小さな手だ。

「200円」

 言われるなりに払うと、また年を聞かれた。 

「21歳?」

「いいえ」

 そこでまた、占い師は金をせびった。

「210円」

 また言いなりに払うと、占い師が聞いてきた。

「今何時?」

 いいえと答えそうになったところで、目の前の壁に掛かった時計が目に留まった。

「22時」

 そこで占い師が小首を傾げたのが愛くるしかった。

「23歳くらいかな」

つい魂を奪われて、はいと答えそうになったよ。

「いいえ」

 何とか踏ん張って、払ったのは230円。

 そこで、また聞かれた。

「24歳?」

「いいえ」

 いつまで続くんだと思いながら答えて、払わされたのは240円。

 すっからかんになったところで、女の子の占い師はまた、ヴェールの向こうに顔を隠してうずくまった。

 払う金もなくなって、俺は店を出た。

 そこには、ジュースを飲み終わったそいつが待っていたよ。

「本当はいくつだ?」

「28歳」

 もういいだろうと思って答えると、そいつは言った。

「280円の価値しかないな」

 あまりの言い草にカッとなって殴りかかったけど、妙に身の軽いそいつは簡単にかわす。

 それが悔しくてな、俺は何度も拳をぶつけた。

 もちろん、一発だって当たりはしない。

 そのうち俺も疲れ切って、その場にがっくり崩れ落ちた。

 頭の上から見下ろしながら、そいつは言ったね。 

「実を言うとな、お前の寿命はさっき尽きていたのさ」

 どうやら、こいつは貧乏神じゃなくて、死神だったらしい。

 こんなのに生き死にを握られてると思うと面白くなかったが、とりあえず聞いてみた。

「じゃあ、何で生きてるんだ?」

 そいつは、事もなげに答えてくれたもんだ。

「買い直したからさ、人生を始めから」

「誰が? いったい、どうやって?」

 さらりと返されたね。

「お前が、さっき、1年あたり10円で」

 そういえば、払った金は880円。

 俺の人生は88年。

 あと60年あることになる。

「じゃあ、もう貧乏しなくて済むってことか?」

 人生を買い直したんなら、今までの苦労もなかったことにならなくちゃウソだ。

 でも、死神の言葉は冷たかったな。

「親父さんは惨めな死に方はしなかったことになってるし、オフクロさんは何事もなかったかのように帰ってくる。それだけだ」

「じゃあ、これからは?」

 いいことがあるんじゃないかと期待したが、それも甘かった。

 死神は面倒臭そうに答えたよ。

「生きてるだけでめっけもんだろう。1年あたり10円だぞ?」

「何でそんなに安く買えるんだ?」

 聞かなければよかったと思ったね。

「まだ生きられるのに、いい加減な死に方で無駄に捨てられた命だからさ。そういうのは地獄の鬼が好きに拾って、好きなようにしていいことになってる」

「じゃあ、あれは……」

 そこで初めて、死神はにやりと笑った。

「もちろん、鬼さ。安い人生を売りに地獄からやってきた……」

 あまりの可愛らしさに魂を奪われそうになったのを思い出して、ぞっとしたよ。

 だが、もっと恐ろしかったのは、その後の人生だ。

「じゃあ、これからの60年は安いままなのか? 俺は……」

「お前次第だな、安く買って高く売るのも、安物を買って銭失いをするのも」

 思わせぶりに言った死神は、霧か煙のように消えてしまった。

 だが、それだけに、自分の身に起こった出来事を信じないではいられなかったよ。

 確かに、死ぬはずだったと思えば、生きていただけでも儲けものさ……。


 思わず聞き入っちゃったけど、そんな作り話にごまかされる僕じゃない。

 どこかで必ず、人生と同じように物を大事にしなさい、という説教が入るはずだ。

 だから、僕は先回りした。

「で、お金儲けの話は?」

 お爺ちゃんは困り果てて目を白黒させるかと思っていたけど、別段、驚きもしなかった。

 代わりに、にやりと笑っただけだ。

 まるで、さっきの昔話に出てきた死神のように。

 やがて、お爺ちゃんは話の続きを始めた。


 ……生まれ変わった気になって、また真面目に働いたが、やっぱり俺は貧乏なままだった。

 それでも、死神の言ったことは、すぐにその通りになった。

 すっからかんで死んだはずの親父が俺の名義でこっそり作っていた銀行の口座が見つかった。

 オフクロも帰ってきた。

 これで家族は元通りになったわけだが、それだけじゃなかった。

 貧乏な俺なんかでもいいっていう、可愛い娘さんが現れたんだ……。


 そこで僕は話を混ぜっ返す。

「それが、お婆ちゃん?」

 お爺ちゃんは照れ臭そうに、怖い顔をしてみせた。

「黙って聞け」


 ……魂を奪われた俺はすぐに結婚して、その年のうちには子供ができた。

 嫁さんは言ったね。

「お父さんの残したお金を元手に、商売を始めましょう」

 死神の言う通り、安く買った人生を高く売るつもりで、小さな店を出した。

 そこそこ儲かったが、欲を出したら元も子もない。

 だが、嫁さんは許しちゃくれなかったね。

「チャンスを無駄に捨てるんなら、私が好きに拾って好きなようにするからね!」

 まさに鬼嫁だったが、そう思い当たったときにはぞっとしたよ。

 死神が教えてくれた、地獄の鬼のやり方そのもんじゃないか。

 そのとき思い出したんだ。

 俺の魂を奪った娘が、あの占いの店にいた鬼そっくりだってことに……。


 今度は僕がぞっとした。

 僕をやさしくたしなめてくれた、あのお婆ちゃんが鬼?

 すると、お父さんが鬼のように怒り狂うのも、その血が流れてるから?

 じゃあ、僕も鬼の子どもだってこと?

 そこで、お爺ちゃんは言った。

「俺も婆さんも、分かってるのさ。やんちゃで欲張りなのは、叱っても治らないってな」

 いつの間にか、雨が降り始めていた。

 これじゃあ、外には遊びに行けない。

 でも、僕はもう、そんな気はすっかりなくしていた。

 お爺ちゃんは長い話を、こんな言葉で締めくくる。


 ……ムダに捨てられたものは、もう、自由にはならないんだよ。

 

 そこへ通りかかったのは、お婆ちゃんだった。

 僕は思わず後ずさる。

 お婆ちゃんは小首を傾げながら、そのまま廊下の向こうに歩み去った。

 哀しげにそれを見送るお爺ちゃんがいつも遠くを見ている理由が、何となく分かるような気がした。

 僕は思わず、つぶやいていた。

「ごめんなさい、今まで」

 お爺ちゃんはずっと、安く買った人生を無駄にしないことだけを考えてきたのだ。

 それに比べたら、傘やノートを大事に使うくらい、なんてことはない。

 28歳から今までの、60年間に比べたら。

 って、え?


「お爺ちゃん、今幾つ?」

「死神が、答えるなと」

 うまくごまかしたつもりだろうけど、何だかおかしい。

 だから、こう聞いてみた。

「その死神が言ったとおり、88歳で死んじゃうなんてイヤだ」

「大丈夫、まだ10年はある」

 そこでお爺ちゃんは、あっという顔をした。

 すると、本当に死神に会ったとして、それから50年経っていることになる。

「死神に買ってやったジュース、何で120円だったの?」

 たしか、50年前は100円くらいだったはずだ。

 気づくのが遅かった。

 見事に僕を謝らせたお爺ちゃんは、何事もなかったかのように、廊下の向こうへすたすたと消えていった。

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死神の勧めで鬼嫁から買った俺の人生は1年あたり10円でした 兵藤晴佳 @hyoudo

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