耐用年数八十八年
猿川西瓜
お題 88歳
長屋の古い板張りの床に、数多のコードが張り巡らされている。
幾つもの太い曲線が混じり合い、うねり、一体の自走型アーム型ロボットに繋がっている。コードが絡まないよう、深くえぐられた畳のタイヤ痕を丁寧になぞって、動いていく。家の中で、常に決まった動きをし続けているのだろう。
あちらこちらにレールのようなくぼみが作られていて、スコンという空気の抜ける音、シュッという空気の入りこむ音が交互にする。ロボットはアームを器用に窓の外に手を伸ばした。その手の先には、お椀があって、その中には、細かくミンチにされた魚の肉が入っていた。
「あなた……朝ごはんよ。降り…らっしゃい」
塀の上で、早秋のひなたぼっこしている猫が、のっそりと起き上がる。
「あなた、おいし…?」
ロボットが、たずねると、「にゃー」と、猫が目を細めてないた。
「そ…」
烏が何羽か飛び立った。猫を脅かして、魚を横取りしようとしていたらしい。けれど、ロボットのアームの鈍く光る様に、恐れを成してしまったらしい。
猫はひょいと塀の外へと降りていった。ロボットはアームの動きを止めて、カチカチ……と音を立てて静かになった。
ぱー……ぷー……。
のどかなラッパが響いた。
「奥さん、まいどっ。豆腐屋ですー」
いきおいよく豆腐屋のおやじが玄関をあけた。
ロボットは急に起動し始め、アームは素早く折りたたまれ、スコンと音がして、タイヤが勢いよく回り出す。流れるようなスムーズな動きで、玄関に彼女はたどり着く。
「もう夕飯の支度の時間? また、三丁……、もらえる…しら」
彼女はスピーカーから、抑揚のない平板な声を出した。
「へいっ。まいどあり! ……そうそう、奥さん、ここで暮らす毎日はどうですかい? そろそろ4~5年になるんじゃないですか?」
おやじは必ずスピーカーに向かって話しかける。差し出されたアームにつかまれたステンレスの鍋に、豆腐を綺麗に置いていく。
「あら、もう、そんなに経っ………のね。 おだやかで、ちょっ……退屈かもしれないけど、 のどかに、ゆっ……、おちついて……暮らしているわよ。夫にとっては、
この平凡……、つまらないかもしれな…けど、ね」
所々、音声が乱れて、言葉が飛び飛びになる。しかし、おやじはいちいち頷きながら、がってんがってんと言う。
「旦那さん、よく、町で見かけるねぇ。 いい歳こいて、子供と遊んでいたり、公園で昼寝してたり、 ゆうゆうと散歩してたり……充実してるんじゃないですかい? 暇な人ほど、暇がなさそうにしているもんですよ」
「ふ…ふ、そういう人だものね…。 こ…暮らしを、わたし以上…、気に入ってるのか…、しれないわ…ぇ」
彼女は台所に豆腐の入ったボウルを置いて、財布を掴んでまたおやじのところに戻る。
「いつも…安くしてもらって悪い…ねえ」
アームをたたんで、彼女は居間に戻った。
急に、彼女は窓の外までいっぱいに腕を伸ばした。
それから、近くを流れる小川に、そっと釣り糸を垂らした。
アームは極めて精度の高いセンサーを搭載している。釣り糸の先の針に引っかかるわずかな力も感知し、たちまち小さな魚を釣り上げた。
それを細かく捌いて、豆腐と一緒にかき混ぜる。
彼女の夫の大好物だ。
豆腐屋のおやじが、夫婦の家を出た。外にも配線が張り巡らされていて、それを下駄で踏んづけないように、ひょいひょいと飛び越えていった。
大きな荷台のついた自転車に戻ったおやじは、長屋の側を流れる小川が、もうすぐ河川工事の影響で、水を絶やしてしまうという話を聞いていた。今日も奥さんに、そのことを伝えることができなかった。おやじは深いため息をついた。
と、近所のばーさんが、ブンブンと杖を振りまわしながら、どこからともなく現れた。ばーさんというのは、いつもどこからともなく歩いていて、好きなだけ喋ってどこかへ歩き去って行くものなのだ。
ばーさんはけげんそうな顔で、配線だらけの家をうかがっている。
おやじは思わず言った。
「こら、ばーさん。ここへ、あの奥さんが来て、もうだいぶ経つんだ。なんの悪さもしてはいないし、むしろ、 しずかに、おだやかに、ささやかに暮らしているだけじゃあねえか。 そんなに不安がるの、いい加減やめなきゃいけねえ」
と、おやじが説教すると、
「そうは言うけどねえ……。あんたは、奥さんって呼んでるけど、どっからどう見ても、ただのロボットで、 しかも女性の形でもなんでもない、無骨な作業用じゃないか。ああいうのは、昔、あたしの若い頃に流行ったんだよ。人工知能っていって、車の職人がだーれもいなくなったから、勝手に車つくってくれる、超高性能の自立アーム型ロボット。とっても流行ったけれども、もう随分前のことじゃない。いまじゃ、人工も人間も区別のない時代っていうじゃないの。ロボットが子どもを産んだり、人間がロボットになったり。あんなはっきりしたロボットらしいロボット、いやだわあ」
ばーさんは、いっそう、不安がるのだった。
「何がいけねえんだ。 外見なんか関係ない! 心は、優しい女性なんだから、人間様が理解してやらねえと、 いったい、誰がわかってやれるんだ? ええ?」
「あんたは、考えが頑固だねえ……。まあ、とにかく姿形はおいといて、女性としてかんがえるけど、 まあ、旦那さんが、その」
「旦那が猫で、何がいけねえんだ!」
「……。だって、あのロボット、いや、あの奥さん、 なんか体のネジがゆるんで、
そのせいで頭のネジもゆるんじまったっていうじゃないか。それで、5年前に、ここに流れて来たんだろ? 直す人も、誰もいないんだから。勝手にコードをどっかに繋げてもう……どこの電源に繋がっているのか検討もつかないよ。あのロボット、あたしの若い頃にはもうたーくさんあったのよ。たっくさん。もうとっくに、耐用期限なんて切れちゃって……そのままずーっと、長い長いあいだ……」
「そうだよ。そらそうだよ。むしろ奇跡って言っていいじゃねえか。いったいばーさんはなにがいいてえんだ」
「やっぱり、怖いじゃない……。さらにネジがゆるんで、もっとおかしくなって、
何かひどいことするんじゃないかって、 わたしみたいな年寄りは、どうしても心配なんだよ。昔それで、戦争だって起こったんだから」
おやじは、ふーっ……と一息ついて、夫婦の家のほうを見ると、遊びつかれた旦那が、 塀から縁側へ降りる瞬間だった。
「なあ、あの夫婦は、しあわせなんだ。 二人とも、人間じゃねえかもしれないけど、けどな、その……」
おやじはいつもここで言葉につまる。例えば、男と女だから、きっと仲良く出来るとか。あの奥さんの愛は本物だとか。色んな言葉を打ち立てようとする度、すぐ風化して崩れていく。力がこもらない気がする。自分が生まれる前から生きてきたロボットがおだやかにその余生を過ごすことに、どんな言葉がけも、あまりにどこかズレている気がする。だからおやじは、「そっと、しといてやろう。のんびり、ゆるやかに。ほら、こんなのんきな昼下がりみたいに、 おだやかに暮らさせてやろうぜ……」 と、やっと言えるばかりだった。
ばーさんも、ふーっ……と、ため息一つ、 夫婦の家を見つめて、そっと笑った。
「そうねぇ。 ま、やっぱり怖いとこあるかもしれないけど、あの二人が、しあわせってなら、 できるだけ、そっとしといてやるかねぇ」
旦那が腹ごなしから帰ってきたので、 彼女は、「おかえ…なさい、あ…た」と、やさしく声をかけた。塀の上に、メス猫が、一匹、歩いていた。
そこに、豆腐屋のおやじのラッパが、 ぱー……ぷー……と響いた。
塀の上と居間に、猫が一匹ずつ。塀の上のはメスを見て、彼女は笑いながら、「ほら、あっちに、……………が待ってるわよ? 行っておいで。あなたたち、…………になれそうな、気がするわ」
猫はいっしゅん、きょとん、としたが、すぐに塀のうえにあがった。猫たちは、にゃーん、とないて、旅立っていった。
それを、手を振って見送る彼女に、夕暮れのきもちいい風が、ふーっ……と吹いた。
「………ら?」
わたし、いま、ちょっとだけ、居眠りしてしまったのかしら。
それに、居眠りのすきに、あの人が、また遊びにいってしまった。
「こまった、ひ…、ねぇ」
ロボットアームが器用に動き、テーブルの上にお椀を置いた。何一つ無駄のない、なめらかな動きだった。
メニューは、豆腐と魚のミンチが混ざった、大人の猫のダイエットフードだ。
彼女は塀のほうへ向きを直して、カチカチ……と音を鳴らして、つぶやいた。
「夕飯までには、……かえってくるのよ?」
了
耐用年数八十八年 猿川西瓜 @cube3d
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
氷上のスダチ/猿川西瓜
★41 エッセイ・ノンフィクション 連載中 29話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます