-余生-

岡田公明/ゆめみけい

米寿

 自分がこう長く生きると、若い時には思わなかった。

 88歳という年で、米寿という今まで聞いたことのない言葉を学ぶことになるとは、少し前の自分は思わなかっただろう。


 こう、何かの節目に、人生を振り返ってみると、今があながち悪いものではないと感じる。

 郊外から少し離れた土地で、安いが少し広い戸建てに、妻と住むというのはとても穏やかなものだった。


 随分と前から問題視されていた、高齢化問題は悪化し、結果的に高齢者人口はまだまだ伸びて、しかし若者は増えないということで

 働く年数は、徐々に徐々に長くなり、結果として70までは働いていた、それはまぁ大変だったが、自分にとって仕事は人生で、働いている間が輝いていて、それでいて生きている実感があった。


 だからこそ、定年が怖かったのは今でも覚えている。


 花束を渡された日、私に対して、「お疲れ!」と言ってくれた先輩は、もう既に旅立ってしまった。

 視界に入る同僚と、後輩達、そして自分よりも若い上司が「お疲れさまでした」と見たことがない、だけど綺麗な花束を渡してくれた時。


 あぁ、私の人生は終わるのかと、先走る気持ちで、つい涙を流したことも、その時何故か痛かった、穴の開いてしまったような胸の感覚も、今思い出すことができる。

 いずれ訪れるとは分かっていたが、それでも不安はあったし、近づくにつれて大きくなっていた。


 だけど、がむしゃらに今にしがみついていればいつまでも入れるんじゃないかという根性は、ずっと抜けていなかったらしい。


 最後の最後まで自分は仕事をしたと、胸を誇って言えるが、妻はいても子供がいない私にとって人生の価値は仕事だったと思っていた。


 自分は決してできた人間ではない。

 妻の支えがあって、何とか自分の足で立っていた。


 しかし、恐らく無ければどこかで倒れていてもおかしくなかった。


「お茶が入りましたよ」


 同じように縁側の横に腰を掛ける。

 その髪は、白くなっていて、手には皺があった。


 顏は相変わらずの美しさで、今はその中に優しさがにじみ出ている。


「ああ、ありがとう」


 それに対して、不器用に返事をした。


 二人で同じ空を眺める。


 飛行機が飛べば、白い線となって現れる。

 様々な雲が過ぎていく。


 虫の声は聞こえない。


 太陽はまぶしく自分を照らす。


 前までなら、この空を見ることは無かっただろう。

 自分はいつだって、前を向いていた、下を向いても、歩みを止めないために。


 時間は過ぎる

 しかし、するべきことは変わらん。


 なるべく多くのノルマを取ることが求められているという考え方があった。


 しかし、それを忠実にしたということもあって、今退職金はそこそこに出ている。


「子供、欲しかったか...?」


 自分の中で、後悔していることだった。


 私がちゃんとしていたのであれば、きっと孫の顔を拝むこともできただろうに...


「いいえ、今こうして二人で居られるだけで、幸せです」


 微笑ながら、私の手の甲に、手を重ねる。


「そうか...」


「はい」


 そうして、また空を眺める。


 そよ風が吹く


「風が、気持ちいいな」


「そうですね」


 そうして、二人で、過ごすのが近頃の日課だ。

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-余生- 岡田公明/ゆめみけい @oka1098

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