【短編】オタサーの姫が部室でオナニーしてるのを見てしまった
夏目くちびる
第1話
「ん……っ。あん……、あっ!?」
「……姫さん?」
扉を開くと、姫さんがオナニーをしていた。俺の頭がおかしくなっていないのなら、この目に映る光景は真実なんだと思う。
「……んっ。い、いや! ち、違う! 違うから! 本当に違うから!」
「いやぁ、はは」
何だか、乾いた笑いが出てしまった。掛ける言葉が、見つからない。
「本当に違うの! ここにあった同人が凄い好みだったの! 凄い私の好みだっただけなの!」
じゃあ何も違わないじゃん、とは言えず。俺は、ただゆっくりと扉を閉めてその場を後にしようとした。
「待ってぇ!」
そして、手を掴まれて強引に引き込まれた。これが、俺たちの関係の始まりだって、否が応でも理解出来る事件なんだと理解した。
理解、してしまった。
……ここは、サブカルチャー研究サークルの部室。メンバー20人の小規模なサークルで、割と歴史の浅い研究所だ。
しかし、サブカルと言ってもその実態はほとんどがアニ研と同じだった。
近代史が好きな俺だから、反戦的で反社的なカウンターカルチャーの研究を求めてこのサークルに入ったけど、活動してみればエスニックマイノリティなんて欠片も感じられなくて。
勧誘時は、新人獲得の為に嘘をつかれていたんだって、結構ガッカリしていた。
アニメや漫画は嫌いじゃないけど、活動するなら別の文化研究がしたかった。大学というアカデミックな場所なのだから、それがいいって俺は思ってるんだ。
だから、俺はサブカル研を辞めようと思って、今日は退部届を持って誰もいなさそうなこの時間にここへやってきたのだ。
そしたら、姫さんがオナニーをしていた。これが、ここまでのあらすじってワケ。
「別に、何も見てません。心配しないでください」
「先回りして答えるなぁ!」
目に大粒の涙を浮かべて、姫さんは慟哭した。
どうやら、いつもの甘ったるいアニメ声は作っていたモノだったらしい。実家では、きっと低い声何だろうなぁとは思ってたけど。
まさか、本当にそうだったとは。
……姫さん。本名、萌川姫子さん。俺の一つ上の2年生で、黒髪ぱっつんにウェーブのかかったツインテールと、アンクルージュのふりふりモノクロワンピースが特徴。
所謂、ステレオタイプなオタサーの姫って容姿をしていて、口癖は「かわいい」。いつも何人かの男子に囲まれて、あーでもないこーでもないと姫プレイを楽しんでいる貴族的な人だ。
しかし、アニメが好きなのは本当のようで、貢がせはするモノの、雑談では「わかんない」と媚を売らない。結構ガチ目のアニオタで、たびたびサークルのにわか男子の舌を巻かせるような知識を披露している。
だから、冴えない彼らは騙される。ただ、知りもせず貢がせようとしている女なら、現代ではそううまくは行かなかっただろう。彼女は、自分の長所を上手く活用する、頭のいい女といえるだろう。
まぁ、そんな人。
「先回りって言ったって、どうせ口止めするでしょうし、姫さんは俺の言うことを信じないでしょう?」
「あ、あぅあぅ……」
「だから、見てないし知らない。物語は始まらず、互いにリアルな日常を過ごすんです。それでいいじゃないですか」
「ぃ、ぃ、ぃぅ〜」
声にならない声で、姫さんは濡れた指のまま俺の服を掴んでいた。テラテラ光って、糸まで引いてますけど。その、凄く変な気持ちになるのでやめてもらっていいですかね。
あと、安物とはいえ結構気に入ってるんですよ。このシャツ。
「な、何でよりによってあんたなのよぉ……」
「そんな事を言われましても」
俺は、彼女の取り巻きではない。そもそも彼女を好きではないし、むしろ苦手な方だ。
しかし、自分が上に立っていないと姫さんは気に食わないだろうし。別の部員なら、これをダシに泣き落として、更に甘い汁を吸えたのかもしれない。
だから、丸め込めない俺に見つかった事を絶望してるんだと思う。
「ムカつく」
ただ、自分で言うのもなんだけど。俺は結構話が分かるし、口も硬い。口外しないって約束出来るし、何ならこのサークルから消えるのだから、すぐに忘れてしまえばいいって。
「そう思うんですけど、どうですか?」
「割り切れるワケないでしょ!? ほんっと死んでくれない!?」
「死にません。じゃあ、どうすればいいんですか」
聞くと、姫さんは無理やり俺に抱き着いてこようとした。だから、半歩離れて肩に手を付き、彼女を遠ざける。めちゃくちゃ体の軽い姫さんだから、それくらいなら造作もない。
「なんですか、大声でもあげて互いに弱点を握り合うつもりだったんですか?」
「む、ムカつく! なんで全部お見通しなのよ!?」
「そこが、俺の長所なんです」
すると、そのままポロポロと泣き始めてしまった。
「……ひっく。だから、頭のいい男とか、モテる男は嫌いなのよぉ。……ひっ」
何を勘違いしてるのか知らんけど、俺は別に頭も良くないしモテてもいない。
「もうやだ。死にたい」
「死んだら、あなたのファンが悲しみますよ」
「うっさい、あんたのせいでしょ?」
「別に、オナニーくらい誰でもしますって」
「だけど……」
「まぁ、普通の人は我慢して、サークルの部室では致さないでしょうけど」
言うと、姫さんはふらっと倒れてシクシクと泣いてしまった。
「いや、すいません。口が滑りました」
これ、俺の本当に悪いところ。言わなくていい事を、つい言ってしまうのだ。
「も、も、もういい! 死ぬまでオナニーしない! 絶対にしない! 一生しない! 百パーセントしない! しないしないしない! オナニーなんてしないから!」
「はぁ、そうですか」
「それで、忘れる。あと、あんたに中出しされて中絶したくないって言ったら腹パンされたって言いふらす」
「あの、何の前触れもなく人間の一線を超えた発言するのやめてもらっていいですか?」
しかも、完全なる嘘だし。
「嫌なら私の下僕になって、私に従いなさい」
「脅迫じゃないですか。というか、誰がそんな世迷言を信じるんですか」
「あんた、ほんと分かってない。モテなくて冴えない男は、ほんの少し匂わせただけで勘違いするのよ。だから、貢いでくれるんじゃん」
急に、炎上したブイチューバーみたいな事を言いだした。マジで頭がいい、というかクソみたいな性格をしている。
「乾いたチンコを燃やす火は、すぐに他に移っていくから」
「信じられないくらい下品な表現だし、よくその見下した態度を内に隠していられますね」
うんこが、かわいい女の皮を被ってる。素直にそう思った。
「……分かりました。でも、下僕って何するんですか?」
「ずっと私の側にいて、誰よりも尽くして。発言は、常にオンタイムで聞かせて」
「えぇ……」
「友達も全員紹介して。連絡先交換して、噂をチェックするから」
「友達、大学には2人しかいませんけど。このサークルの連中は、あまり仲良くないですし」
「いいから、今すぐ呼び出して」
そして、俺は友人を呼び出して姫さんに紹介した。
「えっと、二人はどういう関係なんですか?」
友人の一人のコージが訊く。
「彼、私のこと好きみたいで。何回も付き合えないって言ってるんですけど、どうしても仲良くなりたいから大人数ならご飯にって――」
猫なで声の姫っぷりを発動したが、俺は二次惨事になる前に彼女の言葉を遮った。
「姫さん、彼らにそういう話は通用しませんよ。俺より頭がキレますし、普通にモテます。陰キャは俺だけで、二人は陽キャなんです」
「……ふぁ?」
この言葉を否定しない時点で、二人はなかなか自分に自信があるって分かると思う。
「あのですね、萌川さん。そもそも、今のこいつは恋愛とかあんまり出来無いんです。この前、彼女にフラレて傷心中ですから」
今度は、もう一人の友人のタケトが言った。
「で、こいつと萌川さんはどういう関係なんですか?」
「え、えっとぉ……」
姫さんは、俺を見てまた泣きそうになっていた。仕方あるまい。
「なんか、姫さんは最近文学に興味が湧いたみたいでさ。だから、オススメ教えてほしいんだって。お前ら、そういうの結構好きだろ?」
「なるほど、そういうことだったか」
「別に、変な嘘つかなくても仲良くしますよ。よろしくお願いします」
流石、俺の仲間だ。まともで優しい、いい奴ら。
「ハ、ハイ。ブンガク、スキデス。コンド、オシエテ」
「そういうことだから、そのうち4人で飯でも食いに行こう」
そんなワケで、俺たちの話は終わった。下僕になれと言う命令も、自分の策が通用せずに有耶無耶になって欲しかったが。
「ほんと、あんたみたいな男って大嫌い」
願いは通じず、その日の夜は彼女が眠るまで一生ラインに付き合わされることになり。
「ちゃんと、下僕やってよね」
しっかりと、釘を差されてしまったのだった。
「というか、退部届出し損ねた」
……姫さんの様子がおかしくなり始めたのは、それから三週間後の事だ。
「何をモジモジしてるんですか」
「な、なんでもないっ」
そう言って、他のメンバーから隠れるように、俺の後ろに立ってスンスンと鼻を動かして離れていった。
「お前、姫に何してんだよ」
「いや、何も」
急に、部室に現れるようになった俺を怪しむ声もありつつ、やたら俺と距離の近い姫さんを心配しつつ。だから、ここ最近の俺は、毎日サークルメンバーにネチネチと嫌味を言われていた。
ごめん。気持ちは分かるし、俺だって早く辞めてここから消えたいけど。そうもいかない事情があるんだ。
「ん……っ」
全ての滑稽さに鼻で笑ってしまったその時、姫さんはやたら艶っぽい声を出して、ピクッと震えた。
「ひ、姫!?」
サークルメンバーは、その様子に釘付け。すぐに全員で駆け寄って、何事かとイヤらしくも心配する声をかけている。
「な、なんでもないよぉ……。ありが、とう」
ニコっと笑う姫さんは、声が少し上ずっていたが、部室の端っこでそれを眺めていた俺は、少しだけ姫さんを含めた全員を見下してしまった。
かわいそうだ、俺が。
一体、いつになったら開放されるのだろう。早く、この魑魅魍魎から抜け出して楽になりたい。
……更に2日後。
サークルの飲み会の日。8人の男子に囲まれて、姫さんはウキウキで酒を飲んでいた。俺は、斜向かいのテーブルでチビチビとハイボールを飲みながら、その様子を見ている。
下僕とはいえ、こうなってしまえば俺の出る幕はない。俺的に、新歓コンパ以来の飲み会だから、金を払うのなら楽しみたいと思うのが素直な感想だ。
「相変わらず、姫ちゃんはモテるねぇ」
サブカル研の女子、サワコさんが呟くように口を開いた。
サワコさんは、3年生の腐女子だ。男同士の恋愛にトキメキを感じる、ちょっと不思議な人。そこに自分を含めるのではなく、あくまで外から恋愛模様を覗くのが好きであるらしい。
だから、姫さんに嫉妬せずサークルにいられる。ここにいる女子は、そんな不思議な子だけだ。
「君は、姫ちゃんのところにいかないの?」
勘違いでなく、俺に話しかけていたらしい。
「えぇ、別に用事もないですし」
「あら、びっくり。てっきり、付き合ってるんだと思ってたけど。自分の彼女が他の男にチヤホヤされて、ムカムカしてるんじゃないかなって」
「違いますよ。それに、好みで言えば、サワコさんの方が好きです」
「そういう下心の無い褒め言葉は、ちょっとだけ照れちゃうかな」
言って、サワコさんは笑った。
腐女子って何でも恋愛に絡める変態だと思っていたけど、彼女と出会って俺の中でゲシュタルトチェンジがあったのは事実だ。
彼女の場合、あくまで自然な萌えが好みである。見境があって、提供されるのではなく、日常の一環にこそ腐るべきシチュエーションが生まれる。そう、言っていた。
アホっぽいけど、理念があるのはかっこいい。そんな人。
「下心がないって、なんで思うんですか?」
「君って、凄くクレバーだから。私なんて、まるで見てないって感じがひしひし伝わってくる」
多分、元カノのことが忘れられていないからだ。もう、戻らないのに。早く、気持ちを切り替えたいと思う。
「おい、お前!」
そんなこんなで、サワコさんの好みの話を聞いていると、酔っ払ったのか姫さんが絡んできた。
普通にウザい。
「なんですか」
「下僕らしく、私に尽くしてみせなさいよ。ほら、足でも舐めてみたら?」
要求する姫さんも、それを羨む男子も、全てが異常だ。靡かない相手を屈服させるのは、多分めちゃくちゃ気持ちいいんだろうけど。
俺を当事者にするのって、凄く間違ってる。
「あなた、頭おかしいんじゃないですか?」
「う、ぅぇ?」
……酔っ払って、本音が出てしまった。場がシラケて、店内BGMだけが聞こえてくる。確か、この前放映が始まった映画の主題歌だ。
「姫さん。従わせるなら、主君として尊敬できる部分を見せてくださいよ。支配欲から来る、荒唐無稽な男遊びに精を出すのは否定しませんが、くだらない注文で俺を巻き込むのは止めてください」
「な、な……」
「はっきり言って、不快なんです。下僕にガッカリされたくなければ、それは喜ぶ人にだけ披露してあげてください」
片眉を歪めて、俺は鼻で笑った。
すると。
「しょ、しょれ、ダメ……」
彼女は、隣の男子にしがみつきながら震えて目を伏せた。
……バカだ。俺も、彼女も。
このサークルには、もう本格的に俺の居場所がなくなった。ヒデェ奴だって、とんだもねぇ男だって。姫さんに好意を持っている男子全員に蔑まれたのだから、やりにくくて仕方がない。
帰ろう。もう、二度と来ないよ。
「サワコさん、すいませんでした。俺の会計、置いておきます」
「……うん。また今度、私の話を聞いてくれると嬉しいな」
そして、俺は五千円札を一枚おいて外に出た。これだから、多勢のコミュニティは嫌いなんだ。俺は、陰キャらしく、小さく一人で過ごすのがいい。
……それから、四日後の選択科目の講義前。
「や、やほ」
教室の真ん中くらいに座って準備していた俺の隣に、いつもは見ない姫さんの姿があった。
「経営学Ⅱ、取ってたんですか?」
「と、取ってたよ。でも、他の人に代返してもらってた」
なるほど。課題も、レポートだと教授が言っていたし。確かに、自分が一切は苦労せず単位が取れる講義ではある。
「はぁ、はぁ……」
しかし、様子が変だ。妙に息が荒いし、顔がいつもより赤い。化粧が濃いワケではなさそうだけど。
「熱でもあるんですか?」
「違う、違うけど。ちょっと、黙って手ぇ握ってて」
そして、姫さんは机の下で俺の手を握り、やたら強く締めた。更に、それを自分の太ももの下に引いて、上に座っている。
「あの、流石にそこまでされると変な気持ちになるんですけど」
「黙っててってば」
そう言われて、俺はまた姫さんを見下してしまった。あまり良くないんだろうけど、こうやって他人を蔑ろにする態度が俺は嫌いだ。
だから、鼻で笑って、ため息ついた。すると、姫さんはこの前と同じように小さく震えて。
「ふぁ……」
机の上に、突っ伏してしまった。手を握る力は、更に強くなっている。
……まさか。
「あの、飲み会の時も気になったんですけど。マジで、オナ禁してるんですか?」
「う、うるさい!」
どうやら、マジであれからオナ禁してるらしい。
部室で致すのも我慢出来ないくらい淫乱な女なのに、一ヶ月も我慢しているのか。だから、こんなに敏感になってしまっているとでもいうのか。
バカ過ぎて、意味が分からん。
「悪い事は言わないから、早く帰ってオナニーした方がいいですよ。というか、彼氏とヤッたらいいじゃないですか」
「か、彼氏なんているわけないでしょお!? それに、い、一生やらないって決めたんだから!」
小声で怒りながら、姫さんは涙目で俺の顔を見て、すぐに逸した。
しかし、一体何をキッカケに絶頂してるんだ?飲み会といい、今といい。特に、変わったことは無かったと思うけど。
「と、とにかく黙ってて。お願いだから、それ以上、私を見ないで。ちゃんと、ノート取っといて」
怒られてしまえば仕方ない。俺は、左手を取られたまま講義を受けた。
何だか、付き合いたてのバカップルみたいでとんでもなく恥ずかしい。誰も俺を見ていないことを、心の底から願っておこう。
……そんな生活が、既に一週間続いている。
一体、俺が何をしたというのだろう。元カノにフラレて悲しくて、趣味に没頭しようと退部届を置いて帰ろうと思ったらオタサーの姫のオナニーを見せられて。
挙げ句、すぐに適当な理由を作って二人になって手を握って。密会を勘ぐられて、サークルメンバーにブチギレられて。
本当に、面白くない。
秘密は墓場まで持っていくつもりだったけど、マジでキレてしまいそうだ。もう、悪い噂は上等で、コージとタケトだけと付き合っていければそれでいいと思ってしまっている。
それくらい、追い詰められている。
……だから、日も暮れかけた夕方。
俺は、一人で部室にやってきた。姫さんに、ちゃんと話をしようと思っていたから、彼女を呼び出して待ちぼうけをしているところだ。
「しっかし、よく見るとイヤらしいモノばっかりだ」
棚には、エロ本がギッシリと詰まっている。端っこの方にパンクやアートの資料が置かれているのは、先代の残り香なのだろうか。
これも、エスニックマイノリティとは言い切れないけど。それでも、王道へのカウンターというか。暴力的で、とても存在感があって。やっぱり、俺が好きだって言えるジャンルだ。
「気持ち悪い」
呟きながら、置いてあったゲルニカの考察本を読み、待つこと30分。未だ、姫さんは現れない。
もしかして、性欲で頭がおかしくなって、その辺で野垂れ死んでるんじゃないだろうか。かわいい皮を被ったうんこ女だけど、少しだけ心配だ。
「……ん」
そんな事を考えた時、ふと視界の端に一冊のエロ同人誌が入った。見たことのないアニメだが、俺はそのキャラクターを知っていた。
何故なら、あの日、姫さんがオナニーをするために使っていた同人誌だったからだ。
「絵は、そこまで上手くないな」
しかし、これは、大学内ですら一人の女の情動を激しくさせるエロ本。一体、どんな内容なのだろう。とても気になる。
……だから、思わず手に取っていた。一体、何が彼女をそこまで昂らせたのだろう。俺は、自分の好奇心に抗うことが出来なかった。
「うっわ……」
それは、一人の女が異常な辱めを受け、蔑まれ、最後には侮蔑の視線を向けられて堕ちていくという、一般人が読めばかなり精神ダメージを受けそうな内容だった。
言葉にするのも憚れる、所謂凌辱系と言われるジャンル。それも、軽度ではない。キレイなモノを徹底的に汚し尽くす、サディズムを極限まで突き詰めたような行為が描かれている。
……はっきり言って、俺は少しだけ勃起していた。
上手ではないこの絵で興奮したのは、まさしく作品が持つ負のパワーにやられたワケで。どこまでも王道とは交わることのない、最低最悪のカルチャーが、そこにあったからだと言えるだろう。
「なるほど」
俺は、その場でオナニーをするような真似はしないけど。それでも、姫さんが興奮した理由は分かった。
あの人は、このパワーにやられたんだ。
「……そ、そ、それは」
振り返ると、そこには姫さんが立っていた。俺が持っているエロ本を見て、顔を真っ赤にして小さく震えている。
「見ましたよ、どっちなんですか?」
「は、はい?」
シャンとして、敬語を喋る姫さん。
「どっちに、感情移入してるんですか?」
本を片手に、静かに尋ねた。きっと、意味は分かっているハズ。
「ひ、ヒロインの方、です」
「へぇ、姫さんってドMなんですね」
言って、テーブルの上にエロ本置く。すると、彼女は一瞬だけ表紙に目を落としてから、腕を抱いて俯いた。
「ご、ごめんなさい」
「別に、ドMの変態であることと、オタサーの姫であることは両立出来ると思うので、謝る必要はないかと」
姫さんは、一歩だけ俺に近付いた。ウェーブのかかった、ツインテール。少し揺れて、甘い香りが舞った。
「……で、でも、あんたが悪いんだから」
「なんのことですか?」
目は合わせず、チラチラと見て弱く。しかし、口調だけは強くてチグハグだった。何か、恐れているようにも見える。
「あ、あ、あんたの目が、全部、全部全部全部見下しすような目をしてるから。そんな目で見られたら――」
何でもなんでも人のせいする腐った性根をぶつけられ、俺はまた姫さんを見下してしまった。
本当に、無意識だった。自分からは見えないけど、その目って、きっと俺が鼻で笑った時のクセなんだと思う。
「お゛……っ♡」
姫さんは、下品な声を出してイッた。
俺は、あまりにも困り過ぎて何も言えなかった。天井を仰いで、見ないフリをするしか出来ない。
「ち、違うの! それを読んでからなの! 私、ずっと自分のことをSだと思ってたの! 本当なの!」
「はい」
「いつも、虐める側に感情移入してたハズなの! 読むまでは、あんたの目だって気にならなかったハズなの! お願いだから信じて!」
別に、それが真実だからといって、深層心理ではされる側に感情移入してたワケで。だったら、ただの勘違いって事になるんじゃないでしょうか。
まぁ、いいや。
「辛いですよね、その状況」
「うぅ……、辛いよぉ……」
「だったら、もう俺たちは関係を無かった事にして、家に帰って発散してください。この一ヶ月で、俺が誰にも言わないってことは何となく分かったでしょう」
「……ち、違うの」
椅子に手を付きながら、フルフルと震えて俺を見る。
「何がですか?」
「もう、
「じゃあ、なんで――」
「も、も、もう、見られながらじゃないとイケなくなってたの。わ、私、あの時あんたに見られながら、い、イッてたから……」
……変態過ぎて、苦しくなってきた。
「それじゃあ、なんですか。俺のせいで、自分だけじゃ性欲発散出来なくなったってことですか?」
「う、うん」
俺のせいって。
……俺のせいか。
「どうすれば、いいですか?」
「その、見てて欲しい、かな」
「俺、どちらかといえば、あなたのことが苦手なんですよ?」
「それは、私も同じだから。だいっキライ」
ため息をついて、テーブルの上に腰掛け、足を組んで頬杖をつく。仕方ない、諦めよう。
「まったく。一週間で、何回くらいするんですか?」
「一週間っていうか、毎日かも」
「時間は?」
「朝、大学に来る前。太陽がある時の方が、興奮するから」
もはや、恥じらいもなく淡々と答える姫さん。多分、自分の状況を受け入れて、俺と同じく諦めたのだろう。
「どこに住んでるんですか?」
「高円寺、遠いからあんたの家を貸して。一人暮らしでしょ?」
「……分かりました」
こうして、毎朝苦手な女が自分の部屋にオナニーをしにくる意味の分からん生活が始まったのだった。
バカバカしい。早く、彼女の好みがまともに治って、平和に過ごせる日が来ることを願うばかりだ。
【短編】オタサーの姫が部室でオナニーしてるのを見てしまった 夏目くちびる @kuchiviru
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