偏屈爺と米百俵

束白心吏

偏屈爺と米百俵

 ──じじいが死んだ。


 享年八十八歳と一日。心不全だったらしい。

 朝からそんなことを両親から聞いた私だが、それで何か今日の行動に変化があるわけではなかった。いつものように学校に行き、いつものように真面目に授業を受ける。

 流石に葬儀には出るけど、祖父が死んだ翌日から休めなんて小学生でもあるまいし、あるわけがない。そもそも厳しい両親だ。休ませるという考えだってないかもしれない。

 そんなことを考えながら窓の外を眺めていると、トントンと肩を叩かれた。

 誰だろうか。振り返ると『王子様』の異名を持つ男子生徒がいた。


長岡ながおか。お前の爺さんが死んだってマジ?」

「……そうだけど」


 何故知っているのか……訝し気に見ているのに気づいたのだろう。彼は咄嗟に「別にやましいこととかじゃないんだけどね」と捲し立てる。


「実はおじ──じゃない。徹男てつおさんにはお世話になってたんだ。だから葬儀とかってやるのかなって……」


 徹男は死んだ祖父の名前だ。知っているということは、少なくとも縁はあったと考えていいだろう。

 しかし不思議なこともあるものだ。


「葬儀はやるよ。河合かわいも出るの?」

「あー、うん……」


 河合は歯切れの悪い返答をする。

 出るのか出ないのかはっきりしないが……何かしらの事情があるのだろう。


「そう」


 私がそう呟いたのと次の時間のチャイムが鳴ったのはほぼ同時。

 河合は持っていたらしい紙の破片を私の机に置き、去り際に一言残して自分の席に戻っていった。


「葬儀の日、それで教えてくれ!」


 どうやら、紙切れには河合の連絡先が書かれているようだ。


■■■■


「ただいま」


 私以外誰もいないであろう暗い木造の屋敷の玄関の電気をつける。

 寂しい……というよりも、今日一日そこまで人のいなかったであろう家の中は、どこか空気が淀んでいるようで、私は逃げるように自分の部屋がある二階に向かう。

 階段を一段上る度に床が軋む。今日はそれが普段より強く聞こえる。

 どこか不安感を覚えながら、私は鞄を置いて制服を脱ぎ、寝間着に着替えて下に降りる。ふと廊下の奥の部屋から灯りが漏れているのに気づいて覗いてみれば、お婆ちゃんが仏壇の前で拝んでいた。


「──おや、おかえり奈穂なお

「ただいま。お婆ちゃん」


 背中にも目があるかのように、覗いた私にすぐ気づいたお婆ちゃんにそう返して、私もお仏壇の前、お婆ちゃんの隣に座ってご先祖様を拝む。


「あれ、遺影、倒してあるよ」

「いいんだよ、それで」


 お婆ちゃんは優しい声音で言う。お婆ちゃんが言うのなら正しいのだろう。


「ねえお婆ちゃん。お爺ちゃんってどんな人だったの?」

「奈穂がお父さんのことを聞くなんて珍しいねぇ……」


 お婆ちゃんはそう言いながらも、私にお爺ちゃんの為人を語っていく。


「お父さんはねぇ……厳しくて、不器用で、そして子供を大切にしていたわ」

「子供を大切……」

「奈穂は想像も出来ないかもねぇ」


 そう言ってお婆ちゃんは笑う。

 前者は納得や同意しかないが、子供を大切なんて、そんな気概、私は少しも感じなかったけど、お婆ちゃんはそこもしっかりと丁寧に話してくれた。


「お父さんはね。孤児だったのよ」

「爺が?」

「こら奈穂。女の子がそんな汚い言葉を使うんじゃなありません……それでね」


 婆ちゃんは懐かしむように目を細める。

 それから語られたのは、爺の昔の話だった。

 長岡家に拾われたこと、恩を返そうと心血注いで農業に明け暮れていたこと、子供が元気に遊んでいる姿を見るのが好きなこと、身を削って孤児院に寄付をしていたこと。

 知らなかったことに、知ろうともしなかったことに、私の気持ちはグチャグチャになりそうだった。


「知らなかった」

「お父さんは隠してたからねぇ……」


 それで実の子達に素っ気ない態度をとってしまうんですから、ホント不器用な人よねぇ。とお婆ちゃんは楽しそうに続ける。

 嗚呼、きっとお婆ちゃんは、爺のそういうところに惚れていたんだろうな。


「お父さん、よく言っていたのよ。『百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる』」

「何、ソレ?」

「昔の人の偉大な言葉……ですって」


 お婆ちゃんの答えは何とも曖昧なものだったけど、今手元にスマホはないから調べようがない。

 しかし、それはとてもいい言葉だなと思った。


「それにしても突然そんなことを聞いて……学校で何かあったのかい?」

「……お爺ちゃんの葬儀の日を教えてくれって、話しかけられた」

「もしかして、河合くんって子かね?」

「お婆ちゃん知ってるの?」


 少し食い気味にそう聞くと、お婆ちゃんは「お父さんに懐いていた数少ない子供の一人だよ」と教えてくれた。

 すると色々合点がいった。爺を呼び間違えそうになっていたり、名前を知っていた理由も、懇意になっていて懐いていたのなら納得できる。


「どうせなら、お呼び」

「いいの?」

「お世話になった人のお別れに立ち会えないことほど、辛いことはないからねぇ」


 お婆ちゃんのその言葉には言葉以上の重みがあり、私は一つ断りをいれて自分の部屋に戻る。

 すぐにスマホを取り出し、ほぼ未使用と遜色ないメッセージアプリに苦戦しながら、河合のIDを入力していく。


『葬式、明後日』


 河合のトーク画面か確認して、私はメッセージを送信する。飾りっけない、必要最低限の情報を書いただけのメッセージにはすぐ既読が付き、返信も返って来た。


『ありがと』

『それより、赤の他人にそんなこと教えていいのか?』


 今更なことを。


『祖父に懐いてたんでしょ?』


『知ってたの?』


『さっき知った』


 だからなんだと思ったが、それ以降は既読がついても返信はなかった。

 ついでに、私は先程の言葉を調べてみた。


「……これかな」


 世界的に有名な百科事典で『米百俵』と表題を打たれたページを眺める。

 そこには戊辰戦争で領土を減らされた藩士が情けで貰った米を売って学校を創設する話が載っていた。そしてその決定を下した藩士が言った言葉こそが、お婆ちゃんがさっき言っていた『百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる』だった。

 そういえば、爺が死んだのは米寿──八十八歳になった翌日だ。縁起が悪いと思っていたけど、考え方を変えると米と縁のあったと思えた。


『電話しない?』


 一通り『米百俵』の記事を読み終えて、今更ながらに河合から返信が着ていたことに気づいた。

 私は何故電話するのか疑問に思いながらも承諾し、電話を待つ。

 電話はすぐかかって来た。


『もしもし』

「他にも何かあるの?」

『いや……長岡は気にならないのかなって』

「何が?」

『俺が徹男さんに懐いた理由とか』

「知ってどうするの?」


 正直、勘付いてはいるのだ。しかしそれは河合の根幹に関わる話だろうし、無暗に探ろうとも思わなかった。


『そりゃそうだ』


 河合が笑っているのが電話越しながらにわかった。

 不思議と嫌悪感はない。しかしながらその程度の話題なら、別に電話する必要もないと思う。


『──俺さ、孤児なんだよ』

「だと思った」

『……それも知られてたのか』

「それは違う。勝手に想像しただけ」


 事実、お婆ちゃんは河合のことを「爺に懐いてた子供」としか言っていない。

 しかし爺が孤児院に寄付をしていたことを踏まえるに、河合が孤児だと考えるのは自然なことだろう。


『失望したか?』

「何故」

『俺、自分で言うのも恥ずかしいけど、『王子様』なんて呼ばれてるだろ? だから孤児なんて──』

「別に」

『……え?』

「何で、失望する必要がある? 私は河合の噂しか知らないけど、外見からそう言われているのだから、失望する要素はないでしょ」

『……ははっ、それもそうか』


 それからもう少し、河合から提供された話題で通話をした。


「──香典は無理しないでね」

『え、それはでき──』

「じゃあ」


 通話を終わらせる。

 些か強制するようだったが、話してみた感じ、河合は無理をしてでも香典を持ってこようとするだろう。お婆ちゃんにも言わずにそんなことを言ってしまったが、話せばお婆ちゃんもわかってくれる筈。

 私は感謝が端的に記されたメッセージに既読をつけずにスマホをスリープモードにする。さて、もう一度お婆ちゃんのところに行こう。


 

 ──その翌日から、少しだけ河合と話す機会が増えた。

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