家族として暮らしていた猫の死。計り知れませんが辛いものがあったのでしょう。
Twitterでもよくお見かけし「でかい」と喜んだことを思い出します。
わかったような事を書いてしまい申し訳ないのですが、墓という終着点がひとつの希望になるのだと感じました。
いつか必ず来るその日まで、どうかご自愛ください。
作者からの返信
日諸さんにはうちの猫センサーがついているのですか(早いよ)
警戒心の強すぎる野良子猫(猛獣)だったこだまを懐かせるために、豪華なカリカリを一粒だけ手のひらにのせて差し出していたのです。
そうやって、生傷をいっぱい作りながら、餌で釣って慣らしていきました。
ご飯のおいしさで手懐けたから、太るのもしかたなしというか…。
終着点、そうですね。自分の旅が終わるまで、あの子たちと一緒にいたいのです。
家族だもんね。
僕は人間以外の生き物と家族になったことないから想像するしかないけど、生き物の種類を問わず家族がいなくなるのはつらいと思う。
どういう結末になるかはさておき、終着点まで、まだ少し時間があるだろうからゆっくり考えてよ。考えればきっといい答えが見つかると思う。
でも今はゆっくり休んで、考えることができる状態まで回復してね。
作者からの返信
「死の覚悟ができているかどうか」が結構重くて。
父が亡くなったときよりも、猫が亡くなったときの方が私は泣いた。
こういうことの薬は時間と、新しい家族を迎えることしかないと思う。
埋められるものではないけども…。