もんげえ総一朗けなりい

岩井志麻子

もんげえ総一朗けなりい

 だいたいの岡山の者は明治二十六年を、電気供給会社ができて旅館や紡績所に電灯がつき、岡山も文明開化じゃのうと電灯を見物に出かけた年か、災害の少なさで知られる岡山には珍しく暴風雨が荒れ狂い、多数の死傷者を出した苦難の年として覚えている。

 しかし瀬戸内海に近い長閑のどかな彦根村では、なんといっても「田原の総一朗が蘇った年」として、後々も語り継がれることとなった。


 そもそも電灯は高すぎる上に故障が多すぎ、とてもではないが庶民の家には引けなかった。未だランプの灯でも、もんげえ明るい、ぼっけえまばゆいと充分なのだった。

 大きな河川からは離れている彦根村は、幸いにもそこまでの水害はなかった。家屋の浸水はあったが倒壊や流されるところまではいかず、何人かの負傷者だけで済んだ。とはいえ、あちこちで土砂崩れには見舞われた。

 村の共同墓地も浸かり、墓石がかなりかしいだり倒れたりした。それらを元通りにしようと村人達が足を踏み入れると、腐った棺桶がき出しとなり、白骨や半ば腐った遺骸が放り出されており、なかなかな惨状となっていたのだが。


 男達が驚愕きょうがくし、女達が腰を抜かしたのは、名家の一つに数えられる田原家の墓所にあった、わずか数え十歳で葬られることとなった総一朗の墓だ。

 木棺はほぼ土に還っていたが、中の総一朗は昨日か一昨日に葬られたような、いや、まるで生きた子が眠っているようだったのだ。

 墓石にも刻まれているように、総一朗が亡くなったのは文化十一年だ。明治二十六年からは、実に八十年近い昔となる。

「もんげえ、けなりい」とは、とてもうらやましいという岡山弁だが、総一朗は皆からそれを二つ名として呼ばれていた。総一朗は名家の子であるだけでなく勉学にも品行にも優れ、紅顔の美少年なる形容そのものであったと、岡山の昔話の桃太郎ほどに伝説の子だった。

 わずか十歳で虎狼痢コロリに倒れたのは、神様がそばに置きたくて早く召したともいわれた。

 とはいうものの、最近死んだどこかの子を田原家の墓に隠したのではないか、と警察も呼ばれたが、諸々の状況から推察しても検分しても、それはないとなった。


 こちらも奇跡のように、八十過ぎて矍鑠かくしゃくとしている幼なじみが一人いて、 

「間違いねぇ、こりゃ総一朗つぁんじゃ」

 総一朗の遺骸と対面させれば、涙を流してうめいた。その安則は総一朗とともに秀才の誉れ高く、草双紙くさぞうしの人気作家として江戸で活躍したこともあった。帰郷してからは村の生き字引として、やや偏屈ではあるが敬われている御隠居だ。

 ともあれ当初は総一朗をこのまま改葬しようとしたが、総一朗の直系ではないが子孫に当たる田原家の者達が、連れて帰りたいなどといい出した。

「こりゃ生き返るんじゃねぇか。いや、今も実は生きとるんじゃないんか」

「このまま埋めたら、生き埋めにしたようで寝覚めが悪い。たたられそうじゃがな」


 とりあえず墓を新たにするまで自宅に安置するということにし、田原家の者が本当に総一朗を抱いて、本家に運び入れた。

 体温はまるで無く、医者に診せても死んでいるのは間違いないとなったが、今にも目を開けそうな色艶なのだった。

 いい着物を着せて、座敷の床の間を背に、分厚い座布団に座らせた。とはいえ、即座に生き返る様子もない。菓子や玩具など持ってきても、反応はない。ただ、人が集まって賑やかになると、目や唇がかすかに動いたりし出した。

 徴兵逃れの方法、清との戦争が始まるか、といったきな臭いから、艶っぽい話、他愛ない近所の噂話といったものまで、とにかく人が集まってときに口喧嘩、論争、論議といったものになると、目や口が開きそうになっている。

「総一朗つぁんは子どもの頃から、大人をいい負かすほど口が達者じゃったらしいから、話の輪に加わりたいんじゃろ」

「いんにゃ、どっちかというたら、場を仕切りたいんじゃないんか」

 なぜかもう一人の神童といわれた安則はあれ以来、足が痛いの腰が悪いのと言い訳をし、総一朗に対面しようとはしない。

 しかし総一朗は、日に日に生き返っている。体温も徐々に戻り、わずかに食べたりしゃべったり動いたりできるようになった。


 医者も役場も警察も、処分を決めかねていた。そんなある日、座敷に三人だけで話し合いをさせてほしい、ついに覚悟を決めた、と人伝に安則が田原家にいってきた。

 もう一人はと聞けば、総一朗と安則がどちらも好いていたセッちゃんだという。

 セッちゃんは村一番の、いや、岡山で一番の別嬪べっぴんではといわれた娘だったが、こちらも嫁入り前に病で亡くなっていた。確か総一朗や安則と、同い年だった。

「わしらが三人、朝まで語らい合うのを、あんたらは黙って見といてくれ」

 セッちゃんの家から位牌いはいを借りてきて置き、幼馴染みの三人で語り合いたいのだという。

 安則も村人に尊敬されている古老だし、儀式と遊びが混ざったものであろう、それは供養にも、生き返りにも繋がるかもしれんと、田原家も座敷を提供した。


 この日のために、田原家は座敷に電灯を取り付けさせた。昼間のように明るくなった座敷に、奇妙な三人が集う。生きていれば八十過ぎだが、死んだときのままの十歳の美少年。若くして亡くなった、村一番の別嬪。一人だけ老いて生きている、知識人。

 奇妙な三者の話は、まるで昨日のことのような子ども時分の話から始まった。観客となった村人はふすまの向こうに、三十人ばかり集まったか。

 そっとのぞいてみれば、障子には確かに三人の影が揺らめいていた。本当に、セッちゃんが戻って来ているらしい。

「なぁ安則つぁんよ。わしセッちゃんとこへ遊びに行ってな、セッちゃんのお父さんが大事にしとる備前焼の壺、割ってしもうたんよ。じゃけどわし、さっき安則がここから出ていくのを見た、とセッちゃんに嘘ついてしもうた」

 突然に、総一朗の口が滑らかになった。子どもの声だが、しっかりした口調だ。

「わし、あれをずっと気にしとったんじゃ。好きな女と、一番の友達。どちらも裏切ってしもうたじゃろ。気になって気になって、死んでも死にきれんかったのが、こういうことになっとる訳じゃ」

 安則は、手を叩いて笑った。笑うと、偏屈老人にも幼き日の面影が宿る。

「あの壺な、最初からひびが入っとったんじゃで。それ、わしのせいなんじゃ。そいでわしもな、セッちゃんに、こりゃ総一朗が前に落としたんじゃ、というてしもうた」

「なんじゃあ、あいこか」

 二人が笑い合ったところで、見えないセッちゃんが位牌をかたかた揺らした。

「ごめん。あれ、ほんまはうちが割っとったんよ。猫が割ったことにしといたけぇ」

 猫が化けて出るでぇ、三人は笑った。すぐ真顔になったのは、安則だ。

「セッちゃんよ、総一朗つぁんの積年の未練が消えそうなんで、ついでに頼まぁ。セッちゃんはわしと総一朗の、どっちを好きじゃったんなら」

 そこで電灯が、いきなり消えた。田原の家の者が慌ててランプを持って来たとき、座敷の真ん中に倒れた安則を、総一朗が介抱していた。

 安則はその場で、息を引き取っていた。それこそ眠っているような、っすら笑っているようないい顔で、まさに大往生という言葉が相応ふさわしかった。

 そして傍らにいる総一朗は、一気に歳月を飛び超えたか、取り戻したか、十歳の美少年ではなく、八十を超えた容貌になっていた。セッちゃんの位牌は、もう動かない。

 セッちゃんの影も、もう障子には映らない。セッちゃんは果たして、どちらの男を好きだったといったのか。それもまた明治二十六年の、彦根村の謎として残った。


 安則は、自分が好きといわれ満足したから大往生したのか、総一朗が好きといわれた悲しみで、命が尽きたか。総一朗が一晩で歳相応になったのは、自分を好きといわれて満足したからか、安則が好きといわれて老け込んだのか。

 案外セッちゃんは、まったく違う男の名前をいったかもしれず、どっちも同じくらい好きじゃといったかもしれず、今もって、答えは出ない。答えなど、出なくてもいい。正解など、なくてもいい。それぞれの胸にそれぞれの正解はある、というのもありだ。 

 安則の葬儀も埋葬も終え、総一朗は村の知識人として、田原家の座敷に戻った。今宵こよいも隣村や岡山市、ときに大阪や東京からも噂を聞き付けた話好きが集まり、様々な談議に論議を戦わせ、総一朗がそれを朝まで仕切っているのだ。

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