老後の冒険

コラム

***

これまでの長寿をねぎらい、これからの健康を願うお祝いの年齢のことを米寿べいじゅという。


日本人の平均寿命が80歳を超える現在でも、88歳は長寿といえるので客観的に見てたいへんおめでたいことだ。


だが、実際になった本人からするとありがたいとは言い難く、今日もひとりでただ空を眺めて過ごしている。


妻は去年に亡くなり、一人娘はかなり昔に家を出ている。


家族以外に話す人――友人のいない私には、この後もひとりで生きていく自信がなかった。


日に日に足腰が思い通りにならず、起きてからトイレに行くのにも一苦労。


役所から派遣された介護人が一週間に一度やって来る。


だがろくに面識もない人間に、こんな情けない姿を見られるのは正直いって辛い。


そんなことを考えながらいつものようにひなたぼっこしていると、娘から私の88歳の誕生日にプレゼントが送られてきた。


それは帽子をかぶり、さらには服まで着たテディベアと造花のセット。


米寿べいじゅを意識してか、テディベアの身につけているものと花は黄色だった。


造花のほうはわかるが、なぜこんなクマのぬいぐるみを送ってきたのか。


私は、娘がきっと店ですすめられた物を適当に選んで送ってきたのだろうと思った。


しかしまぁ、それでも嬉しいものは嬉しい。


そう微笑み、大きくため息をつきながら私が添えられていた手紙を読もうとすると、突然テディベアが輝き始めた。


一体何事かと思っていると、光が止んでテディベアが動き出す。


「初めましておじいちゃん。あたしはシュク。あなたの娘の友だちだよ」


クマのぬいぐるみが手を振って声をかけてきた。


私はついにボケてしまったのかと戸惑っていると、シュクと名乗ったテディベアが説明を始めた。


なんでもシュクがいうに、私の娘は悪い魔法使いの集団に攫われてしまったようで、彼女を助けるために手を貸してほしいというのだ。


その話を聞いた私には、娘がなぜ悪い魔法使いに捕まったのか、それ以上にクマのぬいぐるみが言葉を話せるのかがわからなかったが、シュクはこちらのことなどお構いなしに話を続ける。


「さあおじいちゃん、この花を手に持って」


「さっきからお前は何を言ってるんだよ……?」


「いいから! あなたの娘の一大事なんだよ! あたしの言う通りにしなさい!」


シュクはそう声を張り上げると、一緒に送られてきた黄色い花を私に強引に持たせた。


するとどういうことだろう。


花が先ほどのシュクと同じように光を放ち出し、杖へと変わった。


「これは魔法の杖なんだよ。さあ、この杖の力を使ってあなたの娘を助けにいくんだ」


「魔法の杖だって……? これは夢か……? 私はとうとう頭がおかしくなってしまったのか……?」


「そんなのどっちでもいいじゃない。いいから早く支度をして、これからあたしとおじいちゃんで、悪い魔法使いから彼女を救い出すんだから」


そう言いながら、テディベアのシュクが私の肩に飛び乗って急かしてくる。


私は未だにこれが現実なのか信じられなかったが、わかっていることがあった。


それは、娘が攫われたということだ。


たとえこれが手の込んだ新手の詐欺だったとしても、大事な一人娘を放ってはおけない。


「わかった……。お前について行こう。それで私の娘と悪い魔法使いはどこにいるんだ?」


「東京都港区六本木6丁目にある複合商業施設とかいう塔だよ」


「ずいぶんと具体的だな……。本当にそんなところに魔法使いなんているのか……?」


「いるものはしょうがないじゃない。いいからさっさと支度してよおじいちゃん!」


こうして幸か不幸か。


私にも話し相手とやることができた。


せめて娘を救い出すまでは、妻が待つ天国へはまだ行けそうにない。


これが私の見ている幻覚だったとしても、どうせ家にいるだけの老い先短い人生だ。


人生最後の冒険へと向かうことにしよう。


「さあ、いざ六本木ヒルズへ!」


「お前……それって塔じゃなくて高層ビルじゃないか……」


「いいから行くよ! 彼女を悪い魔法使いから救い出すんだ!」


私がシュクに言われるがまま杖を掲げると、魔法の力で空へと飛び上がっていった。



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