そこにある88歳の記録

SLX-爺

第1話 米寿とダイアモンド

 真藤しんどう沙菜さなは、現代社会に直面していた。

 いつものようにやって来た車葬の内容には時代が凝縮されていた。


 今回の対象は初代三菱・ディアマンテ。

 消費税導入の代償として撤廃された物品税、更にはその後に行われた自動車税の改定によって従来一律にされていた普通乗用車枠、いわゆる『3ナンバー』がぐっと身近になった。

 従来の3ナンバーは国内の自動車産業保護のため禁止税的に自動車税が一律の高額設定にされていたが、これによって従来の2000cc未満以下と同率設定に変更となった。


 その改定のタイミングに従来は高額税制の対象となる2500ccエンジンと、ワイドボディを引っ提げて、日本人の上昇志向を巧みにくすぐったこのディアマンテは、三菱自動車史上初めて『お客様をお待たせした』車となるほどの大ヒットを飛ばす事となる。


 その後、ライバルであるトヨタマークII/クレスタ/チェイサー、日産ローレル/スカイライン/セフィーロ、マツダセンティア、ホンダインスパイア/ビガー等も同様の商品企画を引っ提げて登場するが、それらより1年以上のアドバンテージを持っての登場は大きく、『あのクルマとは、違う。ファーストミディアム宣言クラス』というコピーも大きく響いた。


 好評のまま1995年1月に登場した2代目は、当初からライバルが多かった事や、デザインが好まれなかった事などもあって一転不人気となり、2005年いっぱいまでのロングラン生産となった後、一時代を築いた車とは思えない程寂しく消滅してしまう。


 沙菜は、その車の最期を看取った。

 正確には、祖父のレストア遊びの素材となる車から、残留思念を抜いたのだ。


 沙菜はその能力を使って、まずはオーナーの情報を読み取る。

 新車ワンオーナーで、当時58歳の男性が生涯の伴侶だったようだ。


 登場時に一目ぼれし、1年以上を経ていたが、初期モデルは故障する可能性があるという昔からの経験則と、当時の三菱ディーラーには横柄な態度を取るところが多い事も経験則で知っていたために、しばらく待った上で、当時の同僚の親戚が勤めているというディーラーを紹介して貰って購入。

 下取り車は、ベージュと白の3トーンカラーが眩しいトヨタクレスタ スーパールーセント ツインカム24。


 一男一女の子供も独立して夫婦だけの生活となり、フェアレディZやソアラも考えたが、やはり年齢を経たらセダン一択という、当時の社会常識的な不文律に則っての選択だった。


 その後、定年となって悠々自適の生活となり、上の息子が海外赴任をし、娘が結婚をし……と、順調な余生を送っていけると思っていたのも束の間、息子の赴任地で内戦が起こり、それに巻き込まれて息子が帰らぬ人となってしまう。

 骨になった息子をディアマンテで迎えに行った時の、無力さと無念さは、彼の中で生涯忘れる事の出来ない出来事となってしまった。

 そんな悲しみに暮れていた中で、娘が妊娠して、やがて孫が誕生すると、再び家族に明るい生活が戻ってきた。


 やがて孫も成長して老夫婦の生活も落ち着いたところで、そろそろ車を乗り換えようと思った男性だが、ある理由でそれができなくなっていた。


 それは、彼はAT車が運転できないのだ。

 いや、しようと思えばできるとは思うが、今更身体に染みついた習慣を変えることに拒否感が生じたのだ。


 そう思ったのには理由がある。

 現在は、高齢者が交通事故を起こすと大抵『○○歳の高齢ドライバーが運転する』というフレーズをテレビや新聞が使いたがるが、平成10年くらいまでのテレビや新聞は、交通事故が起こると『事故を起こした車はオートマチック車だった』というフレーズを必ずと言っていいほど使っていたのだ。

 現在は増えつつある高齢ドライバーを駆逐するようなニュースフレーズが過去には長年AT車に対して使われていたため、彼の潜在意識の中で、AT車に対する嫌悪感が強く残っていたのだった。


 しかし、まだ当時は現在とは違って、実用車でもまだまだMT車は普通に選べたのだが、これも古き良き時代の世相で、彼の中で車のランクを落とすことは恥ずかしい事だという意識があったのだ。

 2000年代の前半くらいまでは、子だくさんであったり、商売をやっている家以外では結婚して子供が生まれたらセダンに乗り、次に買い替える際は、サイズアップするか、ステイするかというのが当たり前の車の乗り換え方という風潮があったのだ。


 彼はそのの世代であったため、中古のスバル360から始まる車歴はマツダファミリア、トヨタカローラ、日産ブルーバード、ホンダアコード、トヨタクレスタ……と順調にランクアップをしてきたのだ。

 日本の自動車メーカーが、国内市場ではユーザーに盛んにランクアップを促していたことから、こうした風潮が生まれた事で、自動車メーカーは大いに潤い、海外市場へと進出する資金力を蓄えたのだ。


 この2つの古い時代の常識で育ってしまった彼は、その後も車を買い替えるタイミングを逸したままディアマンテと過ごしていく。

 今までは4~8年のスパンで乗り換えてきた彼からは、考えられない程途方もなく長い時間を過ごしてきたのだが、いつか乗り換える日が来ると思いながら条件に合う車が無いという事実の前にズルズルと過ごしていってしまった。

 1995年以前は、初度登録から10年が過ぎると、次の車検から毎年車検になるという、ペナルティ的な制度があったのだが、それが無くなっていた事も、車の買い替えを急ぐ必要が無くなった1つの理由となった。

 一度だけ、日産スカイラインにMT車が追加されて検討したのだが、どうしても3500ccという大きすぎる排気量がネックになって見送ってしまい、以降は条件に適う中型セダンで2500cc以上のMT車というものが出てこなかった。


 そして遂に30年が過ぎ、米寿を迎えた事から、車を手放して免許の返納をする事となった。

 彼が免許を取った頃は、一生モノという考え方がされていて、きっと死を迎える日まで運転を続けるだろうと思っていたので、こういう終了になるとは思っていなかったようだ。


 車葬を終えたグレーのディアマンテからは、何か背負っていた大きなものが降りて、スッキリしたような表情が見て取れた。

 ある88歳の長年の相棒だったディアマンテには、激動の時代を生きてきた中で、大きく変わっていった価値観が詰まっていた。

 

 そのダイアモンドディアマンテ見る事ができたのは、オーナーである彼以外は、ごくわずかの人間だけだったのだ。

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