しがらみ
熾火灯
しがらみ
二度と会いたくないと思っていた奴に鉢合わせたのは、七年ぶりに歩いた通学路。
里帰り中。二度と歩くまいと思っていた町に懐かしさを覚え……せっかくだからと足を向けたのが運の尽き。
あ~あ、しがらみってのはいつまでも手を放してくれないんだなと再認識して、なんとなく足が重くなった。
向こうも私を嫌いだろうに、“市長の娘さん”は七年経っても変わらない愛想笑いを浮かべて──
「戸田? 久しぶりだね。元気だった?」
なんて、あまりにも陳腐な挨拶を口にした。
「……久しぶり、遠野」
露骨に嫌悪感を滲ませた私の態度を気にも留めない。昔からこういうヤツだ。
「二度と帰ってこないと思ってたのに。地元に未練でも?」
「ンなもんないよ」
変わった街並みを眺めても心が一ミリも動かなかった私だ。
「そ? ……ま、どうでもいいけど」
遠野はこれまたどうでもよさそうに、白昼往来のど真ん中で煙草なんぞ吸い始める。
「いいのかよ、市長の娘さんがそんなことして。遅れてきた反抗期か?」
「いいんだよ、普段から全体の奉仕者としてこんなクソ田舎に身を捧げてるんだ。休日の……それも見たくなかった顔を見た時くらいは、ささやかな抵抗を試みたって構わないだろ」
往来には私たち以外誰もいない。
「……私、たばこの煙苦手なんだけど」
「へえ?」
それを聞いて、遠野は悪びれるどころか、満足そうな微笑すら浮かべてみせた。
深く吸い込んだ紫煙を私に向かって吹きかけて、「それは知らなかった」なんて言ってのける。
……というか。
「え、アンタ公務員になったの? ……親のコネで?」
私の問いに頷きを返す。
「最悪かよ。せめてコネは否定しろよ……」
「筆記は実力、それ以降はコネ。最初は同じ条件なんだから、文句ないでしょ」
「ほんと田舎のそういうところが嫌……」
この町にいる限り、私はずっと“戸田さんちの娘さん”で、コイツはずっと“市長の娘さん”なのだ。
コイツはそれを受け入れて、私はそれを突っぱねた。
「相変わらずだね。戸田は? せっかく外に出たんだ、少しは満足のいく人生送れてる?」
「…………まあ、それなりには」
「嘘が下手なとこも変わってない。よかったよ、アンタが陳腐な人生送ってくれてて」
笑顔でロクでもないことを言う女。それが私の遠野評。知り合った時から覆ることはなく、そして今なお健在なのだった。
「親のコネでちやほやされて、狭い世界でイキがって……」
反論しようにも、言葉は続かなかった。
コイツはそれを是としたし、私は遠野の言う通り、満足のいく人生を送れているわけではないのだ。
それに気づいたらもうおしまい。自分で欺瞞だと分かっている言葉を吐いても虚しいだけ。コイツへの反抗心と、それから、瘦せ細ったプライドだけでは……ささやかな反論は、言葉にするまでの間にしぼんでしまう。
「……あんたと違って、私はまだ人の不幸を喜ぶ女にはなってない」
「シャーデンフロイデ? 蜜の味も知らないアンタの生き方より、なおさら私は私の生き方を肯定するよ」
「言うと思ったよ……」
「でもまあ、大人しくなった。昔なら勢いのまま反論してきてたろう?」
「そうか?」
「そうとも。今の流れなら職業批判から人格否定に繋げて、最後は田舎全否定で終わってただろうよ」
「あー……」
言われてみて納得する。確かにそうだ。そしてそれができたのは、私が狭量だったから。物をあまりにも知らなかったから。
「……別に、どこに住んでようが問題じゃない。どんな生活をしているか、それにそいつが満足してるか。それだけが全てでしょ」
炉端の草を眺めつつ吐き捨てた言葉は本心だった。反論でも何でもない。けれど、遠野の舌打ちを誘うことくらいはできたらしい。
「私は戸田のそういうところだけは嫌いじゃなかったのにね。これで心の底から嫌いになれそうだ」
「いいよ、嫌ってくれて。明日にはまた都会に帰る」
「つまらない人生に?」
「…………」
「嫌味な事を言ったね。……ま、戸田の言った通りだ。どこで過ごすかよりも何をするかの方が重要、それに満足できれば万々歳」
遠野は呆れたように笑って、煙草を地面に放る。
「戸田。昔に戻りたいって思ったことは?」
「なに、突然」
「いいや? 見かけた時の表情が、なんとなく途方に暮れたように見えたから」
「…………」
「しかも馴染みの通学路だ。学生時代を懐かしんでるのかと思った」
そうなのかもしれない。今の生活に満足感は覚えていない、「絶対にクソ田舎から出る」と息巻いていたあの頃の方が、いくらか気力は充実していたように思える。
「いくら同じ道を歩いたところで、昔には戻れないんだよ」
遠野が吸殻を踏みつける。立ち昇った最後の紫煙が、風に紛れて霧散する。
何を当たり前のことを嘯いて格好つけてるんだ、この女は。
「……馬鹿だな。戻りたいなんて思ったこともないし、戻れたとしても、またすぐに出ていくよ」
「へえ、そう」
嘘と見抜かれているのは承知の上で、私はなおも虚勢を張る。
「白状するとね、私はこの町だけじゃなくて、アンタのことも嫌いだったんだ」
「知ってるよ」
「今も嫌い。会いたくなかったなと思ったし、改めて話したうえで、やっぱり二度と会いたくないと思うよ」
「…………」
どことなく満足そうな遠野の表情。ああ、うん。そうだよ、私も同じだ。別に、全部は嫌いじゃない。
大多数のうちの一人じゃなくて、共同体のうちの一人として生きることを選んだ正反対な女。
コイツが満足そうな生活をしているのだと分かって、滅茶苦茶嫌な気分になったのは、多分、自分の選んだ生き方が間違いだったのではないかと疑念を覚えてしまったから。
でも、そうじゃない。答えは最初から出ているのだ。
遠野は吸殻を拾い上げて、携帯灰皿に仕舞った。そのまま私の横を通り過ぎたかと思うと、すぐに振り返る。
「じゃあね、戸田。二度と会うこともないと思うけど」
言って、今度こそ本当に立ち去った。
過去には戻れないし、前を向いてゆくしかない。少なくとも、自分の選んだ生き方が間違いでないと肯定するために。そして、私がぬくぬく過ごすことで、この女がその在り方を不安に思うことがあればと思う。
「うん。さようなら遠野。私も、二度と会いたくない」
しがらみの象徴たるその背中に吐き捨てて、私もその場を後にした。
しがらみ 熾火灯 @tomoshi_okibi
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