渋谷、スクランブル交差点。午前8時8分。

fujimiya(藤宮彩貴)

憑かれたのは

 どうしても欲しい限定グッズの発売日。

 茉莉香は早起きして家を出た。目的地は渋谷。人通りは少ない。

 一月、とある土曜日の朝、晴れ。時刻は午前8時8分。

 寒くて起きられなかった。もっと早く来たかったな、自分と同じような考えの人はたくさんいるだろうし、すでに並んでいると思う。

 信号を見つめる。早く変われ。青になれ。前傾姿勢で小走りの準備。


 すると。

 不意に、がんっと後頭部を叩かれたかのような重い斬撃が走った。なに? 誰? 事件に巻き込まれたの?

 でも、人はいない。なのに、年寄りの声が耳に響く。


『言うとおりに動け、行け』


 ……突然。脳内に、じーさんが入って来てしまった。意識を共有しているらしい。この現実離れした状況、ある意味事故だったと思うしかない。


『ちょっとなんなの。私、これから大事な用があるんだ。ほかの人を当たって』

『選べるならおれもそうしたい。こんな小娘の頭の中に入りとうないわ』


 勝手に入り込んで、文句を言っている。冗談じゃない。茉莉香は声を無視して渋谷の坂道を上る。


『そっちではない。行き先は』

『私の目的地はこっちなの』


『八十八歳のおれは今さっき、死んだ』


 ……は? し……


『気がついたら小娘の頭の中にいた。このあとどうなるか分からぬが、ひとつ思い残したことがある。それだけは叶えたい』

『それはご愁傷さまだけど、私には関係ないことだし』

『祟るぞ』


 寒さのせいか、恐怖のせいか、いやどちらでもない。茉莉香は、ぶるると震えた。


『なに言ってんの、じーさんが! あのねえ、こんな朝早くに渋谷まで出てくるって私にしてみたらとんでもないことなの。一応は女子高校生だけど、そもそも、ふだんは渋谷なんて縁がないし。リア充じゃないし。しかもひとりで来るって決めるのに、どんだけ勇気が必要だったと思う? じーさんには分かんないよね。気安く小娘なんて呼ばないで』


 茉莉香はひどく怒りを覚えた。


『なのに、祟るとか? 脅しに負けるような私じゃないから』


 まさか、反論されるとは考えていなかったようで。茉莉香の勢いに押されたじーさん(故人)は、あっけにとられている。


『どこで死んだの? あ、病院か。家族がいるんでしょ。こんなとこにいないで、早く戻りなよ』


『……分からぬ……もう、分からぬ。家族がいたのかもすら。おれは、あの方が眠っている場所へ行きたい』

『家族よりも大切なの?』

『分からぬ。ただ、どうしても行きたいのだ。協力してくれぬか』


 この世とあの世の狭間にいるらしい。ちょっと切ない。


『その、場所ってどこなの』

『三鷹だ』


 ……それって、自宅うちのすぐそばじゃん。目的を達成していなのに、戻れと?


 ***


 脳内のお荷物をかかえながら、茉莉香は電車に乗った。


『じーさん。名前を教えて』

稗田利八ひえだりはちだ』

『ひえ? りはち……分かった、ハチ公ね。渋谷だけに』


 ハチ公。それでいい。『八』だし。


 じーさん……自称『稗田利八』は、とあるお寺に行きたがっている。なんでも、ゆかりの人が眠っているお寺らしく、でもでも無沙汰をしていたらしい。


『ハチ公、どうしたの黙っちゃって』

『これはどういう乗り物でござるか』

『電車のこと? 電気で動くんじゃないかな……あなた、どこから来たの?』


 今さっき死んだ、とか言っていたけどハチ公の指す『今』は茉莉香の『今』と重ならないかもしれない。


『今は今じゃ。昭和十三年一月十六日以外になにがあるのか』


 しょうわ?

 やめよう、突っ込むのは。じーさんを脳内に飼っている時点でおかしい。深く考えるな。たぶん、じーさんは気が済んだら出て行くような気がする。さっさと終わらせたい。


 ハチ公の目指すお寺は微妙に駅から遠い場所だったので、茉莉香はバスに乗り換えた。目的地が近づくにつれてハチ公は黙りがちになってゆく。


『ここだね』


 広い、立派なお寺さんだった。『龍源寺』とある。あたりは静かだった。空が広い。

 中に入ったことはないけれど、茉莉香も何度か門前を通ったことがあった。もしかして、この場所をなんとなく知っていたから、自分が道案内人に選ばれたのかもしれない。


 近所に住んでいるらしいおばあさんとすれ違った。軽く会釈してあいさつする。


「お参りかい、ゆっくりしていって」

「は、はい」


 ひとり、しかも若いので警戒されたのか、おばあさんは茉莉香に声をかけてきた。境内に吸い込まれてゆくのを見届けられている。


 石畳の参道に続くのは、本堂。ハチ公は本堂に目もくれず迂回して墓地に進む。ああ、お墓参りなのか。ここに知っている人が眠っているんだ、きっと。お花もお線香も持っていないのに。


『局長!』


 きょく、ちょう……?


 驚いた茉莉香が前方に視線を移すと、黒い羽織と黒い袴の少年が走っていた。まっすぐ、墓地に向かって。茉莉香のほうは振り返ろうとはしない。少年、しかも髷を結っている。な、なに、何時代の人? あれって、ハチ公の声だよね。今よりも張りが合って少し高い調子だけど、確かにハチ公のものだった。


 ハチ公はとある墓石の前で正座になって頭を下げた。


『近藤局長、ご無沙汰しております。稗田利八……池田七三郎です! これからそちらに参ります!』


 やや距離を置いて、茉莉香はハチ公の様子を見守った。口を挟めるような雰囲気ではない。自分と同じ歳ぐらいだろうか。男子にしては小柄なので幼い印象を受けるけれど、姿勢もいいし表情が明るい。見直した、ハチ公。


 ハチ公はしばらく墓前で額づいていたが、ふと頭を上げて茉莉香のほうを向いた。


『ありがとう。そなたがいなかったらここには辿り着けなかった。感謝する』

『いいえ。大切な人にあいさつできてよかったじゃん』

『助かった。お礼はするぞ』


 にこっと、ハチ公は笑った。その表情がうつくしくて、不覚にもどきっとしてしまった。少年の姿だけど、中身は八十八歳のじーさんなのに。うろたえた茉莉香は、つい視線を逸らしてしまった。


『あのさ、このあと……』


 どうするつもりなの、と聞こうと思ったのに。一瞬、目を離したときに、ハチ公の姿は消えてしまっていた。午前中の光に照らされた墓石がきらきらと光っていた。


 ***


 ハチ公がお参りしたのは、新選組局長・近藤勇のお墓だった。

 あいつが名乗った『稗田利八』は本名で、墓前で名乗った『池田七三郎』は隊にいたころの名前らしい。スマートフォンで軽く検索したところ、池田七三郎なる人物は昭和まで生き残った新選組最後の隊士だった、とのこと。入隊したころは近藤局長のそばに仕えた少年隊士だった。思い入れがあったのだろう。


 ***


 続けて、SNSを開くと阿鼻叫喚のお知らせが渦巻いていた。

 茉莉香が並ぼうと思っていたグッズが発売時間になってもショップに届かず、今日の販売開始は中止になり、しかもネットでの抽選発売のみに切り替えられたらしい。

 並んでも寒いだけで無駄だった、ということになる。

 ハチ公のおかげ? いやもしかしてハチ公の仕業??


 さらに言うと、茉莉香は狙っていたグッズの抽選に当選し、すべて買うことができた。お正月にもらったお年玉があっさり消えてなくなったのは痛いけれど、これもハチ公のいたずらなのかな、と茉莉香は頬を緩ませた。


(了)















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

渋谷、スクランブル交差点。午前8時8分。 fujimiya(藤宮彩貴) @fujimiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ